山下格『誤診のおこるとき』

 みすず書房で新しく始まった精神医学の名著を紹介する<精神医学重要文献シリーズ Heritage>の1冊。
 内容としてはこんな感じ。

「診断とは、疾患について、疾患をもつ個体について、さらに個体をつつむ環境について、必要なあらゆることを知り尽くそうとする、終わりのない努力を意味すると言える」

『精神医学ハンドブック』で知られる著者が誤診例をまとめた名著。
再刊にあたり、「うつ病労務災害」「発達障害」「精神安定剤睡眠薬の副作用」など今日的なトピックを追加した。
さらに最終章に加えた論考「精神科診断の宿命と使命」では、診断に必要な経験と知識、操作的診断運用上の注意点を踏まえながら、あらためて精神科診断の基本を整理する。
精神症状のみならず付随する身体症状にも着眼した症例検討は、精神科以外の医師にも日々の臨床の一助となるだろう。
研修医から精神科志望者まで、診断学への入口に最適の一冊。

 というわけで、基本的には精神科医向けにかかれた本。
 けれども、精神医学のいい本が、必ず人間全般に対する鋭い洞察を含んでいるように、この本にも精神医学の分野、先進疾患のある人びと相手の洞察だけにはとどまらないものがある。


 例えば、前任の医師について書いてある次の部分。

 患者が前に診察を受けた医師について述べることを、善きにつけ悪しきにつけ、そのまま客観的事実として信じてはならないことである。改めてその医師に問い合わせるとまったく別の事情がわかったり、鬼のような医師が実際に会ってみると仏のような好人物であったりする。しかし患者があることに対してある受け取り方をしてある感情をいだいたということは、そのままひとつの臨床的事実であって、そのまま尊重し、治療的検討の対象とすることが必要である。(36p)

 他人にたいする評価というのは往々にしてその人への好悪の感情であり、実際に突き詰めていくとたいした根拠がなかったりもします。ですから、ある特定の人の判断だけどその場にはいない第三者を評価することは出来ませんが、でも、その好悪の感情をある程度は受け入れない限り、その人との関係は深められません。
 

 また、この本で繰り返しかかれているのがその病気が心因性なのか?内因性なのか?という判断。
 心因性の疾患は、大雑把に言えば何かストレスとなる出来事などが原因で起きる病気で、内因性の疾患は何かその人の生まれつきの素質などが原因で起こる病気。
 精神医学が取り扱う病気には心因性なのか内因性なのかはっきりとしていないものも多く、この両者は簡単に切り分けられるものではありませんが、人間は因果関係に引きずられることが多く、直前に病気の原因となるような出来事があると、どうしてもその病気が心因性のものと決めつけがちです。
 この本ではそうした誤診の例をいくつも紹介していますが、この誤りというのは精神医療の現場だけではなく、さまざまな場所で起こっていることではないでしょうか?


 さらにこの本は「名著の復刊」という体裁ですが、大幅な加筆修正もしてあるようですし、現在の精神医学の状況にも十分に対応するものになっています。
 次のうつ病の誤診のケースなどは今も数多くなされていそうなものです。

 たとえば、一般外来患者に医師が真剣な表情で、朝おきるのが億劫ではありませんか、勤めに出るのが嫌ではありませんか、仕事をするとすぐ疲れませんか、人生は面白くないと思いませんか、死んでしまった方がいいと思うことはありませんか、などと立て続けに聞くと、真面目なインテリはそういうこともあるという意味で「そうです」と答えるので、うっかりすると典型的なうつ病患者が出来上がってしまう。(53p)

 
 これ以外にも、著者の反省も踏まえた上で発達障害などについても増補がされており、今の時代に対応する本になっていると言えるでしょう。


誤診のおこるとき――精神科診断の宿命と使命 《Heritage》 (精神医学重要文献シリーズHeritage)
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