河野勝『政治を科学することは可能か』

 この本の「はじめに」では、25年以上前、著者がスタンフォード大学にいたときに佐藤誠三郎氏から「政治は科学ですか」と聞かれたエピソードが紹介されています。
 佐藤氏の言葉には「政治は科学であるわけない」という響きが込められていたそうですが、それに対する時を越えた応答がこの本のタイトルには込められています。
 前半は安倍政権の支持率の動きなど、近年の日本の政治に対する意識を世論調査の分析やサーベイ実験などによって解き明かそうとする「科学的」なものですが、後半では「科学的」に取り扱うのは難しい「価値」の領域の話にも踏み込んでおり、政治学によるさまざまな切り口を見せてくれる非常に興味深い内容になっていると思います。


 目次は以下の通り。

1 もう一つの安倍政権論
第一章 なぜ安倍内閣の支持率は復活するのか
第二章 新しい安保法制は何を後世に残したのか
第三章 何が憲法改正を躊躇させるのか
2 実験が解明する政治経済のロジック
第四章 日本における「観衆費用」と対外政策論
第五章 バンドワゴン行動の政治経済分析
3 正義についての思考およびサーベイ実験
第六章 復興を支援することは、なぜ正しいのか
第七章 他者への支援を動機づける同情と憐れみ
4 民主主義と自由を考え直すための三つのエッセイ
第八章 正しい民主主義とは
第九章 なぜ憲法
付録 虚の拡散にどう対処するか


 第一章の「なぜ安倍内閣の支持率は復活するのか」は、去年の11月の『中央公論』に載ったもので、安保法制や森友・加計問題で支持率を低下させたにもかかわらず、その支持率がなぜ復活するのかという謎に迫ったものです。
 2013年12月の特定秘密保護法案、2014年7月の集団的自衛権行使を容認する閣議決定、2015年夏の安保法制、2017年春から夏にかけての森友・加計問題と、安倍政権はたびたびその支持率を大きく低下させてきました。しかし、その支持率はしばらくすると反転し、結果として安倍政権は近年稀に見る長期政権となっています。
 
 
 「右派の支持層が岩盤のようにしっかりしている」というのは一つの説明でしょうが、著者は、それでは安保法制のときの支持率の急落が説明できないと言います。
 また、「経済状況が良いから」という説明もありますが、支持率が株価や有効求人倍率などと連動しているわけではありません(13pの図-2参照)。
 著者はここに「難解なパズル」(14p)があるとして、実験によってこの謎をとこうとします。


 著者の行なった実験は、「安倍内閣を支持するかどうか聞いてから、安保法制について聞く」(グループA)、「安保法制について聞いてから、安倍内閣を支持するかどうか聞く」(グループB)に分けて、質問を行うというものです。安保法制についての刺激が安倍内閣の支持にどのような影響を与えるかということを調べるためのものです。


 結果はグループBのほうが、支持率がやや減り、態度保留が増え、不支持はほぼ変わりません(17pの図1-3参照)。
 支持率が減ったということで、安保法制に反対だけどその他の理由で安倍内閣を支持する人が動いたと考えてしまいますが、実はここで反応しているのは安保法制が合憲だと考えている人です。つまり安倍首相の政策ポジションに近い人たちなのです。


 著者の見立ては次のようなものになります。安倍内閣の支持率を大きく変動させるのはもともと安倍首相の政策ポジションに近い人たちです。しかし、彼らは政権の説明責任が不足しているなど、何らかの不満をいだいています。そこで、支持を一旦取り下げるのですが、もともとの政策ポジションは同じなので、しばらくすると支持に戻るというものです。
 著者は日本はポピュリズム手な状況にはなく、有権者は冷静な判断を行っていると見ています。


 第二章の「新しい安保法制は何を後世に残したのか」では、2015年から2016年にかけて調査を行うことで、人々が安保法制についてどのように考えを変えたのかということを探っています。
 「いかなる場合にも集団的自衛権の行使は認められない」と考える人を、安保法制成立前の2015年3月の調査と成立後の2016年7月の調査で比較すると、明らかに減っています(32pの図2-1と34pの図2-2参照)。これだけ見るとたんなる現状追認の動きに思えますが、著者は「存立危機事態に限る」ケースと「存立危機事態に限らない」ケースを比較したときに、「存立危機事態に限る」ケースへの支持が高いことに注目し、存立危機事態という歯止めが人々に評価された可能性を指摘しています。
 法案審議時にはその曖昧さが批判された存立危機事態ですが、それなりの歯止めとして一定の評価を得ていると考えられるのです。さらに著者は存立危機事態の曖昧さが、曖昧であるからこそ一定の歯止めとなる可能性も指摘しています。


 第三章の「何が憲法改正を躊躇させるのか」では、改憲を掲げる安倍内閣がなぜ改憲に踏み切れないのかという問題を扱っています。
 憲法改正に関する世論調査では聞き方(ワーディング)を変えることでその賛否が揺れ動くことが知られています。例えば、「現在の憲法は占領下に制定されたもので、一度も改正されていない」といった一文が入ると、憲法改正への賛成は増えます(48pの表3-1参照)。
 著者はこうしたことを踏まえた上で、同一人物に連続して回答してもらった調査をとり上げ、同一人物であっても憲法改正に対する態度が一貫していないことに注目します。
 「世論調査に適当に答えている」と考えるかもしれませんが、例えば、他の増税外国人参政権、購読新聞、支持政党などの項目と比較すると、他の項目の一貫性に比べて、憲法改正についての一貫性は明らかに低いです(56p表-37参照)。有権者憲法改正に対する態度の安定性は低いのです。
 そして、この国民の「迷い」が安倍首相が憲法改正を躊躇する理由ではないかと著者は見ています。


 第四章は、一国の指導者が脅しを行ったにもかかわらず、実際の行動が伴わないとその指導者の支持が落ちるという「観衆費用」という概念が日本でも当てはまるかどうかを実験で確かめようとしています。
 第五章は、いわゆる「勝ち馬に乗る」というバンドワゴン効果を、次世代DVDの規格導入というトピックを使って実証しようとしたものです。


 第四章と第五章はいかにも実験向きという話題ですが、第六章「復興を支援することは、なぜ正しいのか」では、シュクラーの「不運」と「不正義」、アーレントの「同情」と「憐れみ」の概念を使って、「復興を支援することはなぜ正しいのか」ということを問い直しています。
 この第6章は今までの章とはガラッと違う印象を受ける章で、いわゆる「科学」が扱う実証できるような問ではなく、規範的な問に踏み込んで議論を行っています。詳しくはぜひ本書を読んで欲しいのですが、著者は「結論」で次のように書いています。

 本章が追求した「何がどうあるべきか」という問いかけは、規範的な問題設定である。それは、「何がどうなっているか」という、経験的な問いよりも根源的で、先験的である。ともすると、現代の社会科学においては、具体的な制度の設計や現実的な政策の決定を理解すること、そしてそれに専念することが、適切な学術的態度であると思われている。しかし、それは誤った思い込みである。なぜそもそも制度を作る必要があるのか、どういう政策を実施することが正しいのかを知るとこなく、制度や政策を分析したり、評価したり、ましてや提言したりすることはできない。(137p)


 第七章の「他者への支援を動機づける同情と憐れみ」は著者ならでは部分で、第六章にも登場したアーレントの「同情」と「憐れみ」の概念を、サーベイ実権を通じて解き明かそうとしています。
 アーレントによれば、「同情」は苦難を被っている他者(個人)への同一化によって生じる感情であり、一方、「憐れみ」は他者というよりもある種のカテゴリー(かわいそうな人びと)に対して向けられる「感傷」ということになります。アーレントはこの「憐れみ」を「自分自身の空想の中で満たされる欲望に関係している」(148p)と捉え、自らの徳を誇示するための心のはたらきだとも考えています。


 このように非常に思弁的な議論なのですが、著者はこの2つの概念のはたらきをサーベイ実験を使って見ようとします。具体的には、「同情」が個人へ「憐れみ」が集団へと向かうというアーレントの考えを利用して、困窮している個人または集団の写真を見せた後に、「援助を増やすべきか?」といった問いを行い、その違いを分析するというものです。
 何かを鮮やかに示した論文とはいえないと思いますし、やや強引と思われる箇所もあるのですが、こういった思弁的な議論を実験で確かめようというチャレンジ自体が非常に興味深いと思います。


 第八章「正しい民主主義とは」と第九章「なぜ憲法か」は、ともに民主主義を基礎づける民主主義の外部について語ったエッセイです。
 特に「なぜ憲法か」は、立憲主義の主張なのですが、いわゆる「護憲派」とはかなり違った色合いの議論が行われており(今の前文は国民の合意を反映していないからよくないとしている)、興味深いと思います。一読の価値ありです。
 また、付録「虚の拡散にどう対処するか」は遊び心を含んだ構成になっています。

 
 このようにこの本は、前半の時事的な問題から始まり、最後は民主主義の本質をめぐる問題に行き着くという思わぬ広がりを見せる内容となっています。
 さまざまな実験の設計から思弁的な議論まで、著者の引き出しの多さ、深さを感じられる内容といえるでしょう。現在の安倍内閣の行方を知りたい人から、政治の本質について考えたい人にまでお薦めできます。
 また、偏りはありますが、政治学の入門としても一つの入り口を提供しているのではないかと思います。


政治を科学することは可能か (単行本)
河野 勝
4120050696