待鳥聡史『アメリカ大統領制の現在』

 アメリカ大統領選におけるトランプ勝利に衝撃を受けた人も多いでしょうし、選挙戦での彼の主張が実行されたら世界は大変なことになると心配している人も多いのでないかと思います。実際に大統領に就任すれば意外と現実的に振る舞うのではないかという期待もありますが、そうなるとは限りません。
 ただ、トランプが暴走したとしても、議会共和党がしっかりと手綱をしめるのであれば、そう大きな暴走にはならないかもしれません。アメリカの大統領というと「世界のリーダー」であり、日本の首相とは比べ物にならないほどしっかりとした権力を握っているという印象を持っている人も多いと思いますが、アメリカの大統領の権力というのは政治学的に見ると言われるほど強いものではないのです。


 そんなアメリ大統領制を歴史と制度の面から分析してみせたのがこの本。著者は『代議制民主主義』中公新書)、『政党システムと政党組織』『首相政治の制度分析』など、多くの鋭い分析を含んだ本を出していますが、もともとはアメリカ政治の研究からスタートした人物であり、この本も入門的でありながら深い内容になっていると思います。

 
 目次は以下の通り。

第1章 大統領制の誕生
第2章 現代大統領制のディレンマ
第3章 ディレンマを考える視点
第4章 新大統領に何ができるか
第5章 議会多数党の交代を何をもたらすか
第6章 アメリ大統領制の未来

 まず、この本では大統領という役割の位置づけを歴史を辿り直すことで明らかにしています。
 アメリカ合衆国憲法がつくられた当時、政治権力の担い手として想定されたのは議会でした。しかし、憲法制定の中心にいた共和主義者たちからすると、議会への権力集中もまた危険なものだと考えられました。そこで持ち込まれたのが権力分立制であり、大統領も議会の権力を抑制するための存在として導入されたのです。


 この大統領の役割が変化してくるのは、19世紀になってアメリカの工業化が進んでからです。州を横断して走る鉄道、独占企業、多くの移民といった問題は州政府だけでは解決できず、また、その解決には官僚の持つ専門知識が必要になりました。大統領が官僚機構を率いて政治的課題に対処するというスタイルが要請されたのです。
 そして、大統領の仕事が決定的に増えたのは世界恐慌に対処したフランクリン・ローズヴェルトの時でした。いわゆるニューディール政策の一環としてアメリカでも社会保障政策が行われ、連邦政府の役割が増します。また、戦争時には大統領が軍の最高指揮官になり、外交を担うため、第二次世界大戦は大統領の役割を押し上げました。


 本書はこの時期にアメリカの大統領は、民主主義に抵抗するための存在意義を持つものから民主主義の担い手に変化し、「現代大統領制」と呼ばれるスタイルに移行したと考えています(69p)。
 しかし、この大統領制の変化とそれに伴う大統領の権限拡大は憲法典の改正によって行われたものではありませんでした。

 アメリカにおける現代大統領制の出現は、合衆国憲法の明文規定を変化させずに、あくまで既存の権限の拡大解釈と、それを連邦議会や裁判所が追認することによって行われてきたことが、大きな特徴であった。(中略)明文規定が変わらないままだったことは、大統領権限がどこまで拡大したのか、どれほど安定しているかについて別の解釈の余地を残すものであった。それゆえに、議会と大統領の蜜月関係が崩壊する1970年代以降には、大統領権限とその行使をめぐって新たな課題を生み出すことになる。(71p)


 この実質的な憲法改正は、1960年代までは特に問題なくいきました。民主党の力が強く、大統領も議会も民主党というケースが多かったですし、共和党アイゼンハワーは中道路線を歩んだからです。
 しかし、1970年代以降民主党が勢いを失い、民主党共和党イデオロギー的な分極化が強まると、議会と大統領のどちらが政治のイニシアティブをとるのかという問題が浮上していきます。そして、大統領と議会の多数派が違う分割政府が度々出現し、政治が停滞するようになるのです。

 
こうしたことを踏まえた上で、この本では分極化したアメリカ政治において、どのように対立を乗り越えるための試みが行われているのか? そしてそれは成功しているのか? ということを見ていきます。
 ここで興味深いのは第3章第2節での国際比較を用いた大統領制の分析です。大統領は、同時に所属政党の指導者である場合も多いのですが、ラテンアメリカ諸国では一般的に大統領としての憲法上の権限が強いと政党指導者としての指導力は弱く、政党指導者としての指導力が強いと大統領としての憲法上の権限は弱いという関係になっています(102p)。
 

 ではアメリカはどうなのか? 著者は憲法上の権限も政党指導者としての指導力も弱いとしています(117p)。
 大統領の権限は議会を抑制するためのものでしたし、また、アメリカの政党の凝集力は弱く、党議拘束も基本的にかからないからです。
 しかし、1994年の中間選挙共和党のギングリッチが掲げた『アメリカとの契約』のような例もあって、近年、アメリカの政党の凝集力は強まっている感があります。また、先程から述べているようにニューディール以降のアメリカ大統領に期待される役割は強まっています。
 このように憲法上の権限と期待される役割にズレが生じている中、大統領はメディアや政治任用スタッフの活用など非公式的なやり方で、議会との対立を乗り越え、その役割に応えようとしているのです。


 この本の後半では、分割政府になった時のさまざまなケースを分析しているのですが、今度のトランプ政権は上下両院で共和党が多数となっており、大統領の政策が受け入れられる環境は整っています。
 しかし、「大統領が提起したアジェンダを立法化する上で大きな意味を持つのは、議会内政党、とりわけその執行部の影響力だという見解が、今日では通説的な位置を占めている」(133ー134p)とのことで、このあたりは共和党の執行部との関係があまり良くないと見られているトランプにとって問題となってくる可能性があります。
 これから共和党の執行部がトランプにどう向き合うのか、トランプ大統領に対してどれくらい民意が盛り上がってくるのかはわかりませんが、とりあえず世間一般の人が考えるよりもアメリカ大統領の権限は弱く、その政策を実現させるには議会、特に政党の執行部の支持が必要なのです。


 この本は今年の夏にかけて書かれたようで(「あとがき」が書かれたのが2016年8月)、当然、今回の大統領選の結果について何も知らない状態で書かれているのですが、トランプに関しては次のように述べています。

 トランプの当選は困難であろうが、彼がもしも大統領となったらたいへんなことが起こるという不安が、アメリカはもちろん、日本の政策当事者たちの間にも存在することは理解できないことではない。しかし、一人の大統領がアメリカ政治をそれほどまでに変えることができるのだろうか。それは、オバマが唱えた「変革」に対し2008年から09年に初めにかけて寄せられた、過剰なまでの期待と実は似通った部分があるように思われる。(210p)

 
 上記の引用文からもわかるように、著者もトランプ当選はまったく予想しておらず、トランプのような強烈なキャラの人間が大統領になったらどうなるかということが書いてあるわけでもありません。
 この本は基本的にアメリ大統領制という制度に分析を当てた本であり、その制度の中で実際の政治がどのように動くかということについて、その歴史的変遷を追いつつ、いくつかの仮説や分析を紹介したものになります。
 しかし、だからこそトランプ現象の射程を見極める上で有益な本と言えるのではないでしょうか。


アメリカ大統領制の現在―権限の弱さをどう乗り越えるか (NHKブックス No.1241)
待鳥 聡史
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