ジェレミー・ブレーデン/ロジャー・グッドマン『日本の私立大学はなぜ生き残るのか』

 なんとも興味を引くタイトルの本ですが、実際に非常に面白いです。

 2010年前後、日本では大学の「2018年問題」が新聞や雑誌を賑わせていました。これは2018年頃から日本の18歳人口が大きく減少し始め、それに伴って多くの私立大学が潰れるだろうという予想です。 

 ところが、2022年になっても意外に私立大学は潰れていません。もちろん、経営的に厳しいところは多いでしょうが、なんとか生き残っているのです。

 

 この謎にオーストラリア・モナッシュ大のブレーデンと、イギリス・オックスフォード大のグッドマンが迫ったのが本書です。

 ふたりは社会人類学者であり、「異文化」として日本の中小私立大学を観察し、その特徴を明らかにするとともに、「同族経営」という日本では見過ごされることが多い部分にレジリエンス(強靭さ)を見ています。

 特にグッドマンが2003年度に大阪のメイケイ学院大学(大阪学院大学と思われる)で研究していたときに行われたフィールドワークの部分は非常に面白く、日本の大学のカリキュラム、教員、入試などさまざまな特質があぶり出されていて読ませます。

 そして、ある意味で現在文科省が進めようとしている私立大学のガバナンス改革に疑問を呈するようなものにもなっており、今後の日本の大学のあり方に関心がある人にもお薦めできる内容です。

 

 目次は以下の通り。

序章 「2018年問題」
第1章 予想されていた私立高等教育システムの崩壊
第2章 日本の私立大学を比較の視点から見る
第3章 ある大学の危機―MGU:1992‐2007
第4章 法科大学院とその他の改革―MGU:2008‐2018
第5章 日本の私立大学のレジリエンス
第6章 同族ビジネスとしての私立大学

 

 2000年代半ば以降、日本の18歳人口はおよそ120万人で安定していましたが、2018年から減少し、2030年にはおよそ100万人まで減る。日本の大学に入る人の95%は18歳か19歳ですから、大学に入学する学生は減り始め、結果として中小の私立大学が潰れていく。これが「2018年問題」です。

 

 ただし、学生数の減少はそれ以前に進んでいて、1992年〜2002年にかけて18〜19歳人口は30%も減っています。その一方、大学数はこの時期に30%も増えました。

 このからくりとしては4年制大学に通う18〜19歳の割合が92年の36.9%から02年の48.6%におよそ30%伸びたということがあります。特に女子学生が短大から4年制大学に進路を変えたことが大きな要因でした。

 それでも、02年以降も学生は減り続けており、2018年あたりを目処に中小私立大学が消えていくだろうというのが識者の見立てでした。

 

 ところが、日本の大学の崩壊は起きませんでした。また、人材市場における大卒価値の暴落といったことも起きていません。

 何よりも閉鎖に追い込まれた私大は少なくて、2000年に存在した私大で2018年までに完全になくなってしまった大学は11校(1.5%未満)に過ぎません。

 今後どうなるかわからないとはいえ、日本の私立大学は意外なしぶとさを見せているのです。

 

 日本では私大の割合が高く、90年代初頭で大学の75%が私大でした。一方、偏差値的な序列では国公立が上位を占めており、私大は偏差値が低い層を引き受けるはたらきをしていました。

 アメリカでは難関大学ほど学費が高い傾向にありますが、日本では高い学力が必要な国公立の学費が安く、そうではない私大の学費が高くなっています。タイヒラーは「レベルの低い(一般的には私立の)大学でより高い学費を払う学生は、教育システムの中で成功できていないことに対する「罰金として払っているのだ、と表現して」(45p第1章註6より)。

 

 学生にとって大学は厳しい受験競争を勝ち抜いたあとの「息抜き」の場として捉えられており、入学に比べれば卒業は簡単です。

 こうした中、、21世紀になると「大学の危機」が語られ始めます。新聞や雑誌などで「全入時代」「定員割れ」といったことがさかんに語られるようになり、同時に日本の大学教育の問題点が指摘されるようになりました。

 大学が潰れることはもちろん問題ですが、この中で質の悪い大学が淘汰されるとする論調もあり、改革を進めるテコとしても「大学の危機」は語られました。

 

 日本の私立大学の収入の77%が学生からの学費であり、政府からの助成金は9%に過ぎません(一方、国立は収入の50%近くが助成金(64−65p))。

 しかし、一方で私立大学を経営する学校法人は税金の面で大きな便宜を受けています。教育活動を通して得る収益は免税となり、消費税なども免除されています。また、複数の学校を経営することも可能で、安定した学校法人は多くの資産を貯め込んでいます。

 

 私立大学のガバナンスは複雑で、大学本来の教育や研究を担う機関と、その機関を管理運営する学校法人の二元的なものになっています。前者は学長や学部長が中心で、後者は理事長を中心とした理事会によって運営されています。

 建前として評議委員会と監事が理事会をチェックすることになっていますが、実際には理事会と理事長の力が強くなっています。

 設立が古く、規模も大きな大学だと教授会が大きな力を持つこともありますが、歴史の浅い大学では理事会の力が強いことが多いです。

 

 日本の私立大学セクターは戦後になって大きく拡大しました。高等教育への需要の高まりを受けて、アメリカでは公立大学が拡大しましたが、日本では私大が高等教育の需要を吸収したのです。

 1955年に228校あった大学は75年に420校に増えましたが、国立72→81に対して私立122→305と私立の伸びが圧倒的です(残りは公立。84p表2−2参照)。

 

 私立への助成は憲法89条の問題もあって進みませんでしたが、1975年に私立学校振興助成法が成立します。これによって私学の経営は安定しましたが、同時に文部省が補助金を通じて介入することを可能にしました。

 また、大学の新設が制限されたことで、既存の大学は顧客を失う恐れなしに学費を引き上げられるようになりました。日本では大学養育は私的利益のために行くのだという認識が強かったこともあり、この学費の値上げは受け入れられていきます。

 

 80〜90年代前半は私立大学の黄金時代ともいうべきものでした。第2次ベビーブーマーと高等教育への需要の高まりによって入学希望者は増えつづけ、私学への助成金もあって経営も大きく改善しました。

 1991年にはカリキュラムに関する規制が緩和されたこともあってさまざまな学部や学科が生まれてくることになります。

 

 しかし、90年代後半から18歳人口は減り始めます。これに対して私立大学は新たな学部や学科をつくることで学生を集めようとしましたが、私立セクター全体ではかえって首を絞め、「募集地獄」を生む要因になります。

 さらに景気の低迷によって学費の値上げも次第に難しくなっていきました。

 

 第3章、第4章がグッドマンが行ったMGU(メイケイ学院大学)のエスノグラフィーですが、ここは面白いです。

 MGUは1940年代に創立された経理学校を前身とする大阪にある4年制大学です。経理学校に経営学校が加わり専門学校となり、高等学校がつくられ、短期大学がつくられ、60年代初頭に4年制大学も設立されました。

 1990年代前半にはMGUは1万人の学生と200人の専任教員、200人の非常勤の教員を抱えるようになり、第2志望校として人気を集めました。

 

 MGUは駅からのアクセスがよく、そのためにアルバイトもしやすい、またキャンパスが非常に綺麗で、マルチメディアの設備などもいち早く取り入れ、大学スポーツにも力を入れており、国際交流のための提携校を増やすことにも熱心でした。学内に入っていた紀伊國屋書店であり、売店高島屋が運営していました。

 こうしたこともありMGUの学費は他の多くの私立大学よりもおよそ30%高くなっていましたが、それもあっておとなしい「お坊ちゃん」「お嬢様」が集まる学校だとも認識されました。MGUは社長になった卒業生ランキングで国内70位以内に入っていましたが、中小企業の社長の子弟が多かったためと思われます。

 この学費に対応するかのように教員の給与も高めで、国立大学を定年になった教授の再雇用もさかんに行っていました。

 

 このMGUも90年代末になると入学志願者の急速な減少に見舞われます。91年に41334人いた志願者は03年には4442人と90%近い落ち込みを見せたのです。途中で退学する学生も20%程度になり、卒業から9ヶ月後にフルタイムの職についている卒業生は30%程度、01年からは定員割れにもなっています(130−131p)。

 

 MGUは同族経営の学校法人であり、トップは総長と呼ばれていました。総長は創設者の次男で、その弟、二人の妹、妹の夫、総長の妻が何らかの形で大学に関わっており、特に総長の母親は亡くなるまでもっとも影響力を持った人物とされていました。

 理事会のメンバーは公になっておらず、理事会に誰がいるか知っている教授たちはほとんどいませんでした。

 

 MGUには魅力的なキャンパスがありましたが、平日の朝9時から夕方18時で空調が切られてしまうこともあって、遅くまで残って研究する教員はおらず、キャンパスに長居することはありませんでした。そのため、オフィスアワーを設けている教員もほとんどいませんでした。アカデミックな雰囲気は薄く、多くの教員が他大学との掛け持ちをしていました。

 教員の待遇はよかったものの基本は年功序列で、どんなに優秀でも44歳までは教授になれなかったといいます。

 

 教員は「何を教えるか」について大学からプレッシャーを受けておらず、カリキュラムの統一性は希薄でした。「英語1」「英語2」「英語3」があったとしても、必ずしも難易度は順番通りになっておらず、「週末に何をしたかを英語で説明するのにも苦労する学生が、エリザベス・ギャスケルの1850年に出版された『ジョン・ミドルトンの心』や1858年に出版された『マンチェスターの結婚』の原文をリーディングのクラスで読まされる、ということも起きる」(141p)のでした。

 

 学生もキャンパスにいるのは基本的に授業のときだけであり、それ以外では文化祭くらいでした。この文化祭には総長も姿を見せましたが、教員の姿はほとんどなかったといいます。

 学生はアルバイトに忙しく、平均で週に15時間程度働いていました。

 

 こうした中で90年代末からMGUは急激な志願者の減少に見舞われます。90年代前半には一般入試でさばききれないほどの志願者を集めていましたが、90年代末になるとさまざまなルートで生徒を集める必要に迫られます。

 付属校からの推薦は大きな部分を占めていましたが、付属校の学力レベルが上がり、一方で大学は下がったために他校に流出する生徒が増えました。

 そこで入試の機会を増やし、一般公募型の推薦を導入したりと、さまざまな形で入学のルートが整備されることになります。

 

 しかし、入試の回数が増えればそれだけ試験問題をつくらなければなりません。英語の入試委員会は18通りの問題をつくっていたといいます(委員は60万円の手当があったが年間で100時間近い打ち合わせがあったとのこと)。

 しかも、この問題作成の最重要事項は受験生の学力に見合ったものをつくることではなく、「日本社会の中で期待されているある水準を反映した試験問題を作成すること」(157p)でした。

 ある委員長は「最終的に我々が世間の笑いものの対象にならないように」(157p)と言っていたそうですが、そのために受験生は自分の学力から見て難しすぎる4択問題を勘で解くような形になりました。

 そして、不合格者はほとんど出なくなりました。

 

 2003年には改革委員会が組織され報告書(「危機レポート」)が教員たちにも配られます。しかし、その後も有効な対策は打てず、2010年には大学基準協会から厳しい批判レポートを突きつけられています。

 それでも大学の財務状況を知るものは一部にとどまり、教員たちは大学改革は総長らが実行すべきものであると考えていました。

 

 2004年、MGUは法科大学院を設立します。司法制度改革の一環として導入されたロースクール構想にMGUも手を上げたのです。

 当初は30校程度と見られていた法科大学院でしたが、私立大学が次々と手をあげ、また文科省が門前払い的な対応をしなかったこともあって68校が認可されます。MGUも看板の法学部の生き残りのために法科大学院は必須と考えていました。

 

 MGUは学力や知名度を補うために、さまざまな設備を新設するとともに、多くの授業を夜や週末に行うことで社会人学生の獲得に努めます。

 この狙いはそれなりに成功し、初年度は定員50名に対して381名が受験、その後も5年ほどは学生を集めることに成功しました(192p表4−2参照)。

 しかし、2007年度の司法試験合格者が2名にとどまると(合格率14.3%(全国平均は40.2%)、受験生は集まらなくなってきます。

 MGUの売りは「仕事との両立」でしたが、それでは司法試験を突破できないという現実が突きつけられたのです。結果、MGUの法科大学院は2014年に募集停止に追い込まれます。

 

 しかし、著者はこの失敗は必ずしも悪いものではなかったと見ています。

 法科大学院設立時に手をあげなければ、法学部の地位は他大学に比べてさらに下がったでしょうし、退出は制度的な失敗が明らかになったあとのものだったので、大きなブランドイメージの毀損にはなりませんでした。

 

 MGUは法科大学院以外にも、校内で専門学校の教員が教える英会話などのコースを開講したり、ドイツ語学科などを閉じ、ホスピタリティ経営、スポーツ経済といった新しい学科を開設したり、教員の授業力の向上に務めました。

 そんな中でもっとも効果のあった対策が2009年に行われた学費の約27%の引き下げです。2007年に854名しかいなかった新入生は08年に1438名、09年に1654名と回復し、その後も1500名前後をキープし続けます(200p表4−4参照)。

 MGUは関西エリアでもっとも給与の良い大学ではなくなり、教員の定年退職年齢は70歳から65歳に引き下げられました。国立大学を定年になった教授を採用しなくなり、若くて給与の安い教員に置き換わりました。その代わりに学生との交流は密になりました。

 高島屋売店もなくなりましたが、MGUは危機を乗り切ることができたのです。

 

 一方で危機を乗り切れなかった大学もあります。大阪の聖トマス大学(旧英知大学)は、入学生の減少に対して外部コンサルタントの提案を受けて、大幅な学部再編や幼児教育学科の新設などを行いましたが、そのために借金を抱え、また学生の募集も順調には行かずに2014年に閉校に追い込まれてます。

 その他にも、デリバティブ取引で大きな損失を出した神戸夙川学院大学、大学は廃止されましたがその他の学校の運営は継続された東京女学館大学福岡国際大学などがあります(218p表5−1参照)。

 

 他にも他大と合併した大学もありましたし、公立大学に転換して生きのびた私立大学もありました。公立化に関しては、もともと公設民営だったものが公立化した高知工科大学静岡文化芸術大学、私大から公立になった成美大学山口東京理科大学などがあります(223p表5−3参照)。

 

 それでも多くの私立大学はしぶとく生き残っています。

 まず、当初想定されていた大学院教育、社会人の学び直しといったニーズはそれほど伸びませんでした。2018年の時点で私大は学生の95%が学部レベルであり、入学する生徒は相変わらず18歳が中心です。

 留学生の受け入れは進み、留学生の受け入れに活路を見出している私大もありますが、全体を見れば経営状況を大きく好転させるようなレベルではありません。

 

 ただ、「大学全入時代になれば大卒の価値はなくなる!」などと言われていましたが、日本において大卒の学歴プレミアムがなくなったということはなく、いまだに大卒の学歴はそれなりに効果をもっています。

 また、全入時代になれば難関大学以外は一般入試をする意味がなくなるとも言われましたが、AOや推薦が増えたとはいえほとんどの大学が一般入試をつづけています。「若者の通る道として重要な儀礼の一つ」(241p)として入試は位置づけられているのです。

 結局のところ、日本の大学はあまり変わっていないとも言えます。

 

 それでも私大が潰れなかった理由としては、短大からの女子学生の移動、日本学生支援機構による教育ローンの拡充(下位の大学ほど利用者が多い)、文科省による「護送船団方式」的な大学行政などがありますが、著者たちが見逃されがちな要員として注目するのが同族経営です。

 

 日本の私立大学の約40%が同族経営だと試算されています(265p)。

 金子元久は日本の大学を明治の頃に知識人によって設立された「自発的組織型」、宗教法人や財界人などによって設立された「庇護型」、すでに教育ビジネスを行っている者が「企業家型」の3つに分けていますが、同族経営が多いのは最後の企業家型です。

 有名なのは世耕一族が3代にわたって経営している近畿大学や39もの異なる大学や学校、幼稚園などを運営している冲永一族の帝京大学グループなどがあります。朝日大学明海大学を運営している宮田一族は中華料理チェーン店なども運営しています。

 

 同族経営がマスメディアでとり上げられるのは、たいてい不祥事のときであり(加計学園問題なんかもそう)、その実態が表にでることはあまりありませんし、基本的にはネガティブなものとして捉えられることが多いです。

 実際に、学校法人の非課税特典を利用して利益を作り出したりすることができると言われています。

 私立学校法では、役員のうちに配偶者または三親等以内の親族が一人を超えてふくまれてはならないとされていますが(275p)、この制限は個々の学校法人にしか当てはまらず、学校法人グループをつくり、それぞれの理事長に家族を当てはめることは可能です。

 

 同族経営の大学は日本だけでなく、中南米やアジアにも見られるといいます。

 基本的には腐敗などのネガティブな印象がもたれがちな同族経営ですが、長期的な視点に立てる、危機に対してトップダウンで対処できる、研究への注力が薄く学生の学費に依存しているのでいざとなったら学生寄りの思い切った改革ができる、といった長所もあります。

 学校法がグループとなっている場合、大学はそのフラッグシップの役割を果たしており、なんとしても守るべき対象となります。

 

 そもそもトヨタ自動車キヤノンキッコーマンサントリー同族経営であり、海外に目を向けてもサムスンウォルマートやイケアやレゴも同族経営です。

 日本では医療においても同族経営は幅広く行われており、戦後に急増した教育や医療のニーズに同族経営が応えたとも言えます(だからこそ私立の医学部はべらぼうに高い入学金を設定できるという面もある(296p))。

 さらに社会福祉法人などでも同族経営が多く見られ、これが子どもが減ったのに児童福祉施設が減らなかった一つの要因だと考えられます。

 

 私大のガバナンスに対する批判は高まっており、さらなる18歳人口の減少も進むと考えられ、日本の私大を取り巻く環境は厳しくなると予想されます。

 それでも著者らは、次のように述べています。

 日本の同族経営の私立教育機関はしばらく存続し続けるだろう、さらに、日本では1000年以上続いてきて、確かに存続することを何よりも重視するために存在しているという同族ビジネスの構造によって、多様性のますます進むこれからの時期にこそ恩恵を受けることになるだろう。私たちは、現在日本に存在する大学のほとんどが何らかの形で2030年にも存在すると予想する。(309p)

 

 長々と書いてしまいましたが、本書には「外から見た日本の大学」という面白さと、「私立大学はなぜ潰れなかったのか?」という問いに対する謎解きという2つの面白さがあり、しかもそれがきちんとリンクしています。

 

 ある国の制度をつくっているものとして政策がありますが、政策がつくりあげた構造が粘着力をもって残り続けることもあります。

 日本では戦後の成長期に急増する教育や医療や福祉の需要を満たすために民間セクターを頼りましたが、そこに同族経営が入り込むことによって古い体質が維持されるとともに独特のレジリエンスを持つようになったという流れは、大学のみならず、さまざまな問題を考える上でも参考になることではないかと思います。

 面白く、読み応えのある本ですね。