ポール・オースター『幻影の書』

 以前、オースターについては「『ムーン・パレス』にしろ『偶然の音楽』にしろ、リアリズムな小説でいるようで途方もないホラ話に引き込まれていくのがある意味」だと書いたことがありました。この『幻影の書』も、ここに描かれているヘクター・マンという喜劇役者にして映画監督でもある男の生涯は、ホラ話とか思えないような波乱万丈に満ちたものです。
 ただ、この『幻影の書』が他のオースターの小説と違うのは、そのホラ話が圧倒的に暗い色彩に彩られているということ。
 確かに『偶然の音楽』なんかは読み終わってみれば暗い話なのかもしれませんが、読んでいる最中は一種の爽快感がありました。ところが、この幻影の書は主人公の巻き込まれるドラマにしろ、ヘクター・マンの人生にしろ悲劇にズッポリとはまってしまっています。


 主人公は飛行機事故で妻と子どもを失った男。そんな絶望の淵にあった主人公がたまたま目にし笑うことができたのがヘクター・マンの無声映画。喜劇役者で映画監督でもあったヘクター・マンはいくつかの短編映画を残して1929年に謎の失踪を遂げており、それ以来まったくこの世界から姿を消していました。ところが最近になって各地のフィルム・アーカイブスに、失われたと思われていたヘクター・マンの映画のフィルムが匿名の人物によって送りつけられたことを主人公は知り、そこから残されたヘクター・マンの作品をすべて見て本を書こうと主人公は決意します。
 そして、その本が出版された後、ヘクター・マンの夫人を名乗る人物から、ヘクター・マンがあなたに会いたいと言っているという手紙が届くのです。


 ここから主人公と主人公をヘクター・マンのもとにつれていくために現れた女性アルマとの出会いと関係の深化、ヘクター・マンの過去の秘密といったことが語られ、物語はヘクター・マン失踪の理由と、ヘクター・マンの残した映画の謎へと進んでいきます。
 このあたりのストーリーの動かし方はさすがにオースターといった所で、かなり強引な展開を含みつつも読ませます。


 ただ、個人的には最後の展開がいまいちしっくりと来なかったです。
 特にヘクター・マンの残した映画とヘクター・マンの今までの人生の関係のようなものがいまいち繋がりませんでした。そしてヘクター・マンの妻・フリーダの行動もやはりいまいちしっくりと来ませんでしたし、アルマとの関係の決着の付け方もあまり上手いものとは思えません。
 オースターの作品だと『ムーン・パレス』なんかもある意味でご都合主義的ではあったと思うのですが、そこには手品を見せられるような鮮やかさがありました。一方、この『幻影の書』は同じご都合主義でもちょっと安易に思えるんですよね。


幻影の書 (新潮文庫)
ポール オースター Paul Auster
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