前田亮介『全国政治の始動』

 本書は、明治23(1890)年の帝国議会解説によって現出した、日本列島を単位に、選挙に基づく国民の代表が政府と相対して、全国大の観点から地域的利害の調整・統合について議論する内政のアリーナを「全国政治」と名づけた上で、この全国政治の下で進行した藩閥体制の再編とこれに参画する政党の浮上の力学を分析することを基本的な課題とする。(1p)

 これがこの本の序章の冒頭に置かれた文章。かなり硬めの文章ですが、この本が分析しようとしていることを端的に示していると思います。
 なかなか面白そうなテーマを扱っている本ですが、もともと博士論文をまとめたもので、想定している読者はこの時代やこのテーマにそれなりの予備知識をもっている読者になります。
 徹底的に一次史料を読み込むことで大きな絵を描こうとするスタイルは、小林道彦『政党内閣の崩壊と満州事変―1918~1932』を思い出しました。


 目次は以下の通り。

序章 日本における議会制の導入と政治変容
第1章 政府内改革をめぐる長派優位の確立―北海道政策、一八九一‐一八九二
第2章 第四議会における内在的危機の予兆―地価修正政策、一八九二‐一八九三
第3章 内閣の統治機能不全と自由党の参入―治水政策、一八九三‐一八九六
第4章 日清戦争後における政党間競合の帰結―銀行政策、一八九五‐一八九八
終章 旧体制の軟着陸による全国政治の安定

 
 松沢裕作『自由民権運動』岩波新書)が描くように、自由民権運動には、近世身分秩序の崩壊の中でそれに替わる社会をつくりあげようとする雑多なビジョンが紛れ込んでおり、その中心となった自由党も当然ながら明確な政治的ビジョンを持った政党とは言いがたい存在でした。
 ですから、どの地域から選出された議員であろうとも基本的に賛成する地租軽減による「民力休養」が中核的な主張になりました。
 一方、「富国強兵」路線をとっている藩閥政府にとって、地租軽減は飲み難い政策なわけで、両者は「富国強兵」VS「民力休養」で対立することになり、初期議会はその対立の舞台となりました。
 

 しかし、厳しい政治的対立を経て第二次山県内閣で、自由党憲政党との妥協が図られ地租の引き上げが実現します。
 この自由党憲政党立憲政友会と山県系藩閥勢力の妥協という構図は、桂園時代にも引き継がれ、ある程度安定した政治を生み出します。
 こうした激しい対立から「情意投合」とも言われる桂園時代へといかに着地していたのかということが、この本が描こうとするものです。
 薩摩閥はいかに凋落したか、政党はどのように官僚の政策形成に食い込んでいったのか、伊藤博文藩閥と政党を股にかけた政治抗争が挫折し藩閥勢力が山県閥にまとまっていったのかはなぜなのか、といったことがこの本の論点となります。


 ただ、この本ではミクロ的な政策への関わりを通じてそれを描き出そうとしているので、ややわかりにくい面もあります。
 以下、第3章と第4章をとり上げることで、この本がやろうとしていることを見てきたいと思います。


 選挙で選ばれた議員は、「民党」、「吏党」といった立場にたつ存在であるとともに、選挙区の利益を背負う存在でもあります。所属政党の主張が「民力休養」であっても、自分の選挙区には金を使ってほしいというのが一般的な政治家の姿です。
 この本の第3章では、治水政策において、自由党の政治家と藩閥政府に妥協の余地が生まれ、それが自由党総裁・板垣退助の第2次伊藤博文内閣における内相就任につながったことを論じています。また、それまで地方と中央政府のパイプであった地方官に代わって、政党がそのパイプ役を果たそうという動きもこの治水政策をめぐって出てくることになります。

 この動きの中でキーパーソンとなったのが、第一次や山県内閣の西郷従道内相と、第一次松方内閣の品川弥二郎内相の下で内務次官をつとめ、第2次伊藤内閣の改造時に逓信大臣となった白根専一です。
 白根は品川内相のもとでの大選挙干渉に関わった人物として知られているかもしれませんが、内務省生え抜きの彼は藩閥よりもむしろ内務省の利益を重視する人物であり、地方官や内務官僚の信望を集めていました(97p)。また、吏党の国民協会を率いていた人物でもあります。


 日本のような雨が多く急峻な河川の多い国土では、治水事業は必須のものとなります。江戸時代は、幕府が各藩に普請役を負わせる形で治水事業がなされましたが、明治期になると当然このような方法を使えません。治水事業の費用を流域の府県と国でどのように分担するかが問題となってくるわけです。
 この治水事業に関して、最初に政府に対して積極的な要求を行ったは府知事、県令といった各地の地方官でした。一方、藩閥政府の側も、第一次山県内閣においては国防と治水が「二大急務」に指定され、この2つを民党の「民力休養」の圧力から守ろうとしました。治水は農民の暮らしを守るものであることから「民力休養」にも通じる面があり、山県はこの治水にこだわることで議会操縦を企図したといいます(105-107p)。


 一方、吏党である国民協会も、また治水事業に対する国庫支出を主張し、民党の「実利」軽視を避難しました(109p)。そして、治水問題に関しては政府と対峙する路線を進んでいくことになります。地方官にとって、地域社会での求心力を維持するには国に働きかけて地方利益を実現することが必要であり、地方官の影響力が強かった国民協会は治水事業への国庫支出にこだわりました。
 

 しかし、予算を通すには帝国議会の賛成が必要になります。ここに政党が治水問題に関わるアクターとして登場してくることになります。第二次伊藤内閣に「「与党」としての承認を求める自由党」(130p)は、治水政策に参入しようとしました。
 自由党はあくまでも行政整理による「民力休養」にこだわっており、治水政策の重要性は認識しつつも、党内の足並みはなかなか揃わない状況でしたが、第六議会では土佐派の領袖である林有造らが「府県非常土木費国庫補助案」を提出します。これによって規定が曖昧だった水害などへの国庫補助の明確化を図るとともに治水事業への議会のコントロールを強めようとしました。

 
 治水問題に手を広げようとする自由党と、治水問題に政党が口を挟んでくることを嫌がる地方官や内務省。その間に立って藩閥政府と自由党を結びつけようとしたのが国民協会の白根専一でした。
 白根は自由党土佐派や河野広中にパイプを持ち、日清戦争後に与党化していた国民協会と自由党を提携させることで、自由党を「与党」へと引き込んでいきます。
 そして、治水問題についても明治29年2月に河川法が成立します。著者はこの河川法の成立を境に治水対策を頼み込む先が地方官から自由党へと変化し、「地方問題を媒介する主体が地方官から政党へ移行した」(153p)とみています。
 この後、伊藤は板垣を内相に迎え、自由党の「与党化」は、ますます進んでいきます。しかし、伊藤がさらなる政治基盤拡大のために大隈重信の入閣を画策し、これがもとで第二次伊藤内閣は崩壊します。
 白根はこの伊藤の動きを「某大臣」という匿名ながら、「所謂功臣網羅策」は「憲法実施前、即ち前世期の説」だとして批判しています。白根に言わせれば「立憲政治は少くも政治上の意見を二個に分け、其の是非特質を互ひに討究するを一利益とす」ものなのです(158p)。
 この2つの政治勢力の対立が出来上がっていったのが第二次山県内閣であり、これが確立したのが桂園時代になります。


 第4章では、この「伊藤から山県へ」という動きが、日本銀行を中心とする銀行政策にもとづいて分析されています。
 1889年に日本銀行の第3代総裁に就任した川田小一郎は、中央銀行の総裁として日清戦争を乗り切り、さらに山本達雄高橋是清井上準之助といった人材を集めその存在感を増し、「日銀の法王」と呼ばれるようになります。
 このような中央銀行の積極的な拡大に呼応しようとしたのが、「民力休養」と「地域振興」の両立を図りたい自由党でした。財政政策を行えば増税などが必要になりますが、日銀が地方に資金を供給するという形であるなら増税の必要はなく、地域振興も図れるわけです。


 ところが、1896年に川田が急死したこと、1898年に成立した隈板内閣が銀行問題をうまく扱えなかったことなどから、この日銀と自由党の協調の目はなくなっていきます。
 この後、次第に経済官僚も山県中心に組織されていくようになり、いわゆる山県閥が広がっていきます。これに対して、伊藤は挙国一致的な政党や内閣の実現をめざしますが、その構想は専門性を深めていく官僚たちにも、地域的な利益を中央につなぐパイプ役を果たそうとする政党にも、それは十分に受け入れられませんでした。


 このようになかなかおもしろい議論がなされている本だと思います。
 特に、いわゆる「山県閥」の形成に関しては、ネガティブなイメージしか湧きにくいのですが、この本を読むと改めて伊藤の構想の「無理さ」というのがわかり、相対的に山県の現実主義が浮上してきます。
 同時に、自由党がいかにして後の立憲政友会へとその体質を変化させていったかということがわかるので、桂園時代がなぜ安定したのかといったことに関しても理解が深まると思います。


 ただ、もう少し「大きな絵」への言及があったほうが一般の読者にとってはわかりやすいです。
 かなりミクロ的な問題を論じつつ、政党や藩閥政府の変遷を追っているのですが、例えば政党と藩閥政府の関係が大きく変わった日清戦争についてこの本ではほとんど触れられていません。別に詳しくとり上げる必要はないですが、日清戦争が政党と藩閥政府の関係にどのような影響を与えたかということなどを簡単にでも触れてくれると、歴史の流れがより見えてくると思います。
 博論を元にした専門書なので、想定されている読者というものは限られているのかもしれませんが、章の始めなどに第二回衆議院議員総選挙での選挙大干渉や日清戦争や隈板内閣といった「大きな絵」への言及があると、もっと広く読まれるのではないかと思いました。


全国政治の始動: 帝国議会開設後の明治国家
前田 亮介
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