マーク・マゾワー『暗黒の大陸』

 20世紀(第一次世界大戦終結時から東欧変革まで)のヨーロッパ史を描いた本ですが、扱われている対象の広さといい、歴史を象徴するエピソードを拾い上げるセンスといい、その分析の冷静さといい、これは素直にすごい本だと思います。
 読みながら、アーレントの『全体主義の起源』やバリントン・ムーアJr『独裁と民主政治の社会的起源』を思い出しました。この本もそうした古典に連なっていくのではないかと思います。


 目次は以下の通り。

はじめに
第1章 見捨てられた神殿 :民主主義の興隆と失墜
第2章 帝国、国民(ネイション)、マイノリティ
第3章 健康な身体、病んだ身体
第4章 資本主義の危機
第5章 ヒトラーの新秩序、1938-45年
第6章 黄金時代への青写真
第7章 残忍な平和、1943-49年
第8章 人民民主主義の建設
第9章 民主主義の変容 :西欧、1950-75年
第10章 社会契約の危機
第11章 鮫とイルカ :共産主義の崩壊
エピローグ ヨーロッパの形成

 この本の大きな特徴は、ヨーロッパの20世紀を単純に民主主義や自由主義の発展の歴史と見るのではなく、ヨーロッパ全体がナチズムや共産主義といった「反民主主義」、「反自由主義」に染まる危険性もあった中で、からくも民主主義や自由主義が西欧を中心に根付いたという観点から描かれているところです。
 また、そのことを示すために中欧や東欧の歴史が厚めに描かれています。ナチズムと共産主義を経験したこれらの地域こそ、ヨーロッパの歴史が凝縮されているとも言えるのです。


 第一次世界大戦後、帝国は解体され、「民族自決」の原則によって中・東欧につぎつぎと独立国家が誕生し、それらの国々は議会制民主主義という統治形態のもとで安定して発展していくはずでした。
 しかし、まず議会制民主主義は思ったようには機能しませんでした。「1918年に勝ち誇っていた民主主義は、二十年後には事実上消滅していた」(23p)のです。
 ナショナリズム共産主義、反共産主義ファシズムの流れは、あっさりと民主主義の理念を覆していくことになります。この民主主義の「弱さ」について、著者は当時多くの国で採用された比例代表制の問題点と絡めて論じています。

 比例代表制は、最初から警告した批判者がいたように、立法府の断片化、多党化を招いた。人民の意志を反映しようとしたシステムそのものが明らかにしたのは、階級、エスニシティ、宗教の違いが逆巻く最中に、人民の意志など存在しないということだった。(中略)カンボによれば、「イタリア議会の非効率が最大になったのは、……比例代表制採用と同時であった」のであり、彼は比例代表制を「ファシスト革命成功の最も明確な理由の一つ」としていた。(37p)

 
 立法府の行き詰まりは執行権の強化の要求を生み出します。各国で執行権を強化する憲法改正が行われ、ドイツでは憲法第48条の緊急令がさかんにもちいられるようになります。そして、ヨーロッパの国々はあっさりと独裁を受け入れていくことになるのです。
 

 このように民主主義が分断をもたらし、その分断を独裁によって修復しようとしましたが、もともとの分断をもたらした大きな要因の一つがエスニシティの問題でした。「エスニシティがパッチワークをつくる東欧」(64p)では、「民族自決」というものは単純なものではありませんでした。

 ヴェルサイユは六千万人の人々に自分たちの国家を与えたが、二千五百万人をマイノリティにした。マイノリティには、ユダヤ人、ロマ、ウクライナ人、マケドニア人だけでなく、旧支配集団であるドイツ人、ハンガリー人、ムスリムも含まれていた。(65p)

 と、著者が述べるように、今までマイノリティだった民族が国民国家をつくることによって、新しいマイノリティが生み出されました。しかも、それらの国家は、今までのハプスブルク帝国のようにさまざまな民族を内包する前提をもっておらず、「新民主主義諸国はエスニックな関係に関して排他的、敵対的な傾向があった」(65p)のです(一方、ロシアは諸民族を内包する姿勢をとったためソ連という「帝国」として生き延びたと著者は考えています(73ー76p))。
 

 マイノリティの権利に対する差別待遇は、もっぱら反動主義者や保守主義者の仕業だったわけではない。反対に東欧では、とりわけ近代化を試みる自由主義者が、国家の行動によって国民共同体を作り上げようとし、そのような行動をとった。彼らにとって、国家は「何ぴとであっても何ものにも」まさる権力を誇示し、教会であれ、山賊であれ、共産主義者であれ、エスニック・マイノリティであろうが、あらゆる敵を凌駕しなくてはならなかった。(86p)

 このように新しい国家を建設しようとする姿勢がマイノリティへの排除を生み出しました。そして、この「国民共同体」からは当然ながらユダヤ人も排除されることになります。「ナチス・ドイツは、「国民浄化」政策のような政策において、例外ではなく先駆者ですらなかった」(87p)のです。


 とは言っても、ナチス・ドイツの人種主義というものは突出したものなのですが、それをもたらした背景には戦間期にヨーロッパが抱えたいくつかの問題がありました。
 この本の第3章には「戦争と肉体破壊」という節があります。第一次世界大戦は未曾有の戦死者をもたらし、大量の未亡人を生み、生き残った者に肉体的・精神的な傷を与えました。これによって、家長制的な家族は崩壊し、社会秩序もまた崩壊したという感覚を多くの人に抱かせました(111ー112p)。
 さらに19世紀末から続いた出生率の低下は優生学と相まって人々の不安をかきたてました。「フランスの指導的な人口統計学者は、人口が1980年までに2900万人にまで縮小するだろうと推計した」(115p)そうです(実際の1980年のフランスの人口は5400万人ほど)。
 この「危機」を回避するために、伝統的な家族が称揚され、中絶を規制しようとしました。この「危機」は第二次世界大戦という大きな危機が到来したあとも「危機」として認識され続けました。

 あるナチスの労働学者は次のように書いている。「一定の職業に外国人要素が一時的に増加する方が、女性の労働現場への配置を増やすことによってドイツ人民の民族的生物的強さを危険にさらすことに比べれば、はるかに許容可能である。(「203p)

 ここに見られるように、何よりも「人種」を重要視したナチス・ドイツでは、最後までこの「危機」に対する恐れを手放すことはなかったのです。
 そして、人口減少や優生学からくる不安はドイツだけでなく、ほかのヨーロッパ諸国にも共通したものでした。著者は次に述べるように、福祉国家の起源も、この人口や健康に対するこの時代の不安からきたとしています。

 ウィリアム・ベヴァリッジ卿が、ナチスの「戦争(warfare)国家」と対照的なものとして彼の「福祉(welfare)国家」を提示したのは、第二次世界大戦中のことだった。しかし、戦間期には、福祉と戦争は密接に結びついており、人口数や健康を改善する社会政策は、敵に満ちた世界のなかで自らを守り通すことを主張することに夢中だった国民国家の不安を映しだしていた。(139p)


 経済面においては、金本位制への復帰に代表される第一次世界大戦前の安定への回帰と、労働者階級への高い生活水準の約束は両立不可能なものであり、「その結果、民主主義が傷つくことになった」(148p)のです。
 1929年に始まった世界恐慌のなか、イギリスやフランスなどの主要国が有効な対策を打てない一方で、成果を上げたかに見えたのがソ連社会主義であり、国家統制を重視した経済ナショナリズムでした。


 このように、戦間期には、自由主義も民主主義も資本主義もそのすべてが揺らいでいました。多くの国で権威主義的な体制を歓迎する雰囲気が出来上がりつつあったのです。
 そこに登場したのがヒトラーナチス・ドイツでした。ドイツだけでなく他のヨーロッパ諸国でも権威主義が台頭する準備ができていたため、ナチス・ドイツの成功は人々を惹きつけましたし、また、ドイツの勢力は瞬く間に拡大しました。
 しかし、ドイツ以外のヨーロッパ諸国の人々が予期していなかったのは「ナチス帝国主義の野蛮な現実であり、ヨーロッパへの奴隷制の再導入や、ドイツを除いてすべての国民主義的な願望が否定されるということ」(183p)でした。
 「ヨーロッパ人の心や頭を連合軍が勝ち取ったというよりも、ヒトラーがそれを失った」(184p)のです。


 あまりにもドイツ中心であり、他国の人々を機械の部品のようにしか考えることが出来なかったナチス・ドイツウクライナバルカン半島で略奪を繰り返し、不合理な外国人労働者の徴発を行い、そして人種戦争へのめり込んでいきました。
 「ヨーロッパを完全に人種的に再構成する」(231p)というヒトラーの目的は、経済合理性を押し潰し、ドイツの自滅をもたらしました。そして、皮肉なことに敗戦とともにドイツ人が東欧地域から追放されることによって、第二次大戦後に「ヨーロッパの人種的な再構成」が行われることになったのです。

 もちろん、この「ヨーロッパの人種的な再構成」はドイツ人だけではなく、住む家や財産をとり上げられて追放されたユダヤ人にも当てはまります。さらに「ポーランド人、チェコ人、スロヴァキア人、ウクライナ人、バルト人の七百万人以上の難民が故郷を追いたてられ、再定住し」たことによって「ヴェルサイユの夢であった国民的同質性が現実のものとなった」(278p)のです。


 戦間期から第二次大戦にかけての混乱は、ヨーロッパの人々にある程度の経済統制が必要だということを意識させました。もちろん、社会民主主義者は以前から「計画」といったものの必要性を訴えてきたわけですが、「ヨーロッパの保守層がそのような考え方の側に引き入れられたことで、結果として左翼と右翼の収斂が起き、戦後の政治的安定の前提条件」(244p)となりました。
 さらに戦前には「危機」として認識されていた出生率の低下も反転します。「何年もの戦闘によるまったくの疲弊感と、イデオロギー構想の世界から退却したいという願いは、家庭生活の理想化の一因となった」(267p)のです。
 

 戦後のヨーロッパでは、ドイツは分割され、冷戦が始まります。私たちはこの冷戦について、「結局、平和は実現しなかった」と考えがちですし、それは完全な的外れではないのですが、著者はこの冷戦に関して次のようにコメントしています。
 

冷戦による残忍な平和によってヨーロッパ大陸はなによりも貴重なもの、つまり「時間」を手に入れることができた。時間こそが、経済生活の並外れた、ほとんど予想外の再生と、政治的習慣の広範な変容を可能にしたのである。(314-315p)

 
 冷戦の中、東欧諸国はソ連の影響下のもとで社会主義化していくことになります。ソ連もドイツ同様に自国の安全保障のために東欧を押さえる必要があり、東欧諸国を独立国家として尊重する姿勢は見せませんでしたが、そこには次のような違いもありました。

 ソヴィエト・ロシアの政策は人種的ナショナリズムによってではなく、共産主義として知られる社会経済転換の哲学によってかたちづくられていた。このイデオロギーは排他的であるというより包括的であり、そのためにさらに強力だった。ロシア人の帝国は、ナチスとは異なり現地のエリートに依拠し、困難も伴ったが東欧のナショナリズムと順応した。このためにソ連支配は限界ももったが、持続力も得たのである。(317ー318p)


 社会主義国家となった東欧諸国は当初、目覚ましい経済成長を見せました。「東欧にはマーシャル・プランがなく、実際、ソ連はこの地域に資源を投入するのではなく、ここから引き出していたにも関わらず」(338p)です。国家主導の投資がこれを可能にしました。
 しかし、この投資は「スターリン主義は集団化の導入、税の引き上げ、農民への貸付や信用の削減によって、成長の負荷を農業部門に担わせた。一種の国内植民地のように、農村地帯は成長する都市に食糧と労働力を供給した」(338p)と書かれているように、農村で収奪したものを都市や工業部門に回しているというもので、農民たちがこの恩恵をうけることはありませんでした。


 その一方で、都市化は急速に進み、都市部の人々の生活は大きく変わっていきます。女性の社会進出も進みました。こうした東欧の変化を著者は次のように分析しています。

 家族手当(しばしば収入に累進的に結びつけられていた)、保育サービスの提供、中絶の自由化はみな「女性の解放の一部」とされたが、女性労働力なしには立ちゆかない経済とも無関係でもなかった。大勢の既婚、未婚女性が労働者となったが、男性よりも報酬が少なかったことも記憶する必要があろう。また、それができたのは、公的な保育施設のためだけではなく、小さなアパートに孫といっしょに住むことになった祖母たちが数多くいたおかげでもある。
 この事例は、東欧福祉国家の特徴的な性格を示している。単純化するなら、ナチス福祉国家が人種の必要性にあわせられているとすれば、戦後の西欧モデルは個々の市民の権利に、共産党モデルはなによりも経済生産の必要性に答えるようにデザインされていた。そえゆえ女性労働への動機づけが行われる一方、年配者や農村住民に対する配慮は都市住民と比べて欠けていた。(348-349p)

 
 しかし、経済が成長し、生活水準が上がったにも関わらず、消費財は不足していました。もちろん、それは社会の不満を生みましたが、同時に「ある面、不足は党支配の脅威ではなく、実際には権力の基盤となっていた。党員になったり、党に協力する主な理由の一つは、不足している資源に優先的にアクセスできることだった。物資が突然潤沢になったとしたら、党は支持の主要な源泉を失っただろう」(350p)とあるように、党の基盤を強化しました。


 西欧では、第二次世界大戦前に機能不全に陥っていた民主主義が復活しました。もちろん、これにはファシズムナチスの苦い記憶が背景にありましたが、著者は右翼陣営が極右勢力の支持者をうまく取り込んだことを指摘しています。特に西ドイツのアデナウアーはその代表例で、彼の功績は次のように指摘されています。

 アデナウアーは、確かに言語道断なほど多くの旧ナチ党員に職と保護を与えたかもしれない。(中略)しかし、潜在的な起爆力を持つ難民票を、1950年代から1960年代初期にかけてばらばらにした彼の手腕は見事であった。彼がナショナリスティックな難民党を分裂させ、その一部をキリスト教民主同盟内にとりこんでしまうことで、難民党の衰退をもたらさなかったならば、東欧からの数百万人のドイツ人は、新しい連邦共和国の基礎そのものを危機にさらしていたかもしれない。(361p)


 一方、ソ連共産主義は西欧では思うように支持を広げられませんでした。この事情について著者は次のように説明しています。

 根本的には、「すべての『主義』は時代遅れである」という感覚が広まっていたためである。戦争が、イデオロギー政治に対する深い嫌悪を残していた。そしてこのことは、主流に属する諸政党が、過去の分極化から妥協へと姿勢を変化させたことにも反映されている。左翼と右翼はともに議会制民主主義と和解し、かつての議会制民主主義に対する留保を取り下げた。(362p)

 そして、もうひとつの大きな要因が「奇跡」ともいわれた経済成長でした。この経済成長の要因としてはさまざまなものがあげられていますが、著者が指摘するのは、マーシャル・プランそのものよりもマーシャル・プランを受け取るために各国の対話のチャンネルが開かれ、それが貿易を再生させたというものです(370p)。この対話のチャンネルがECSCやEEC、といった経済統合へと結びついていきました。
 

 また、この経済成長が福祉国家を実現させ、福祉国家が安定的な経済成長をもたらしました。この福祉国家は後にその税負担などが批判にさらされることになります。しかし、この時代の人々はそれを受け入れたのです。

 一般的にいえば、戦争が社会的連帯への要求を作り出し、または強化したと思われる、その一方で、経済の発展がこの変化に必要な資源を作り出した。もちろん、政府の収入に対する姿勢が、支出に対するそれと同様に変化したことも忘れるべきではない。言い換えれば、完全雇用という安全を享受して、人々は十年または二十年前ならば考えられないような税率を受け入れたのである。(376p)


 しかし、この福祉国家は1970年代に行き詰まります(それ以前の、例えば1968年の騒乱に関して、著者は「長く残る達成物よりはノイズ」(399p)と冷淡)。
 インフレがコントロールできなくなり、イギリスではサッチャーが登場します。70年代後半から80年代にかけて、いわゆる「新自由主義への転換」が起こったとされますが、この「新自由主義」はあくまでもイギリスのものであってヨーロッパ全体に広がりはしませんでした。これについて著者は次のように述べています。

 一つ目は、歴史的な記憶の問題である。サッチャーが奉じたような意図的な対決型の政治が、大陸全体で起きたイデオロギーの大混乱と政治的暴力をほとんど経験しなかった国において展開したのは、確かに偶然ではない。他の国では、過去における分極化の記憶が政策形成者を拘束していた。(中略)
 二つ目の要素は、一つ目の要素と関連しているが、戦後ヨーロッパの最も重要な政治勢力であるキリスト教民主主義勢力と、イギリスの保守主義は、価値や将来構想における溝によって分かたれているという点である。社会などというものはない、というサッチャーのよく知られた断言を支持するキリスト教民主主義の政治家など想像しがたい。(419-420p)


 こうした中、ヨーロッパの各国はEUというプロジェクトを推進していくわけですが、この本の原著は1998年に出版されたものであるにもかかわらず、「慎重であるが選挙で選ばれているわけではないドイツの中央銀行家に、西欧のほとんどの領域での経済政策のコントロールがゆだねられた」(450p)と書いており、近年の経済危機の姿を予言しています。


 他方、東欧諸国が奉じていた共産主義はあっけなく崩壊することになります。
 1970年代以降、西欧と同じく東欧の経済も変調をきたしていきますが、その対応策は違っていました。
 

共産党体制は、西側諸国の方法をまねて、デフレや大量解雇によって経済を調整することが、政治的理由からできなかった。そこで彼らは西側とは正反対の戦略を取り、労働者を仕事から追い出すより、消費者を不足や粗悪な商品に苦しませることを選んだのである。(457p)

 党の幹部は高齢化し、ルーマニアチャウシェスクのような個人支配やナショナリズムによって支配のテコ入れを図る必要がありました。
 そして、そのような中でゴルバチョフソ連が政策転換をしたことで、「クレムリンは東欧からの撤退を選び、帝国はほとんど一夜にして解体された」(471p)のです。


 その後の、ドイツの統一やユーゴスラビア内戦などを描いてこの本は幕を閉じます。
 ここまで行ってきた多くの引用からわかるように、この本は20世紀のヨーロッパをトータルで描こうとしています(引用はしませんでしたが、文化や移民などについての言及もあります)。また、それを個人でやっているのがこの本のすごいところです。
 ある時代や地域について鋭い考察を行う歴史学者はいますし、ある観点から大きな歴史を鮮やかに切ってみせる人もいますが、これだけの題材をさまざまな観点から、そして一貫した視座でもって語れる人間というのはそうはいないでしょう。
 税込み6000円超で、500ページを超えるボリュームですが、読み応えは抜群ですし、多くの発見がある本だと思います。


暗黒の大陸:ヨーロッパの20世紀
マーク・マゾワー 中田 瑞穂
4624112059