砂原庸介『領域を超えない民主主義』

 版元の東京大学出版会からお送りいただきました。どうもありがとうございます。

 

 まず本書のタイトルですが、これが「領域を超える民主主義」だと、「グローバル化の中での、EUなどの国家を超えた主体や国境を超える多国籍企業NGOの話なのか?」となりますが、「領域を超えない」というところで多くの人は「?」となると思います。

 タイトルに続く副題は「地方政治における競争と民意」で、著者の仕事をそれなりに追っている人からすると本書が著者の今までの仕事の集大成的なものであることが見えてきますが、そうでない人にはまだ本の内容はイメージしづらいと思います。

 

 本書が主にとり上げるのは都市の問題とその意思決定です。

 都市は経済成長の源泉でもありますが、都市が成長し拡大すると今までの地域的な枠組みに収まりきらなくなることがあります。

 例えば、東京はその発展とともに周辺地域に市域を拡大させ、さらには千葉県に「新東京国際空港」ができるなど、都市機能の一部を他県に置くようになりました。

 

 人口の移動が常に起きているのに対して、都市の枠組みを変えることは容易ではありません。市町村合併を行うのも簡単ではありませんし、ましてや日本では都道府県がほぼ不動の枠組みとなっており、同じ都市圏に複数の都道府県があることも珍しくはありません。

 そして、そもそも日本の地方自治都道府県−市町村という2段階の地方自治体があり、ここでの意思決定が食い違うこともあります。

 都市は既存の領域を超えて広がっていくのに、その意思決定の枠組みというものは一定の領域に閉じ込められており、まさに「領域を超えない」のです。

 

 この問題については、著者の『大阪―大都市は国家を超えるか』中公新書)で扱われていますが、本書は以下の目次を見てもわかるように、この問題に対してさまざまなアプローチで分析し、大阪に限らず、日本のどこの都市でも見られる問題として取り出しています。

 これまでの説明ではとっつきにくさを感じるかもしれませんが、例えば、市庁舎や県庁舎の所在地がどのように決まるかを分析した第2章から読み始めれば、本書が扱っている問題に興味が持てるのではないかと思います。

 

第1章 政治制度が生み出す分裂した意思決定

第2章 都市の中心をめぐる垂直的な競争──県庁所在市の庁舎

第3章 都市を縮小させる分裂した意思決定──2つの港湾都市

第4章 大都市の一体性と分節──国際比較と日本

第5章 民意をどこに求めるか──住民投票と地方議会

第6章 領域を再編する民意──平成の大合併

第7章 大都市における分裂した意思決定と民意──2010年代の大阪

終 章 分裂した意思決定の克服に向けて

 

 現代の政治は地域的な領域を設定して行われることが多いです。主権国家がその代表ですが、国家は自らの領域内について法律を定め、行政を進めます。日本とサウジアラビアでは法や政治の様子はずいぶん違うでしょうが、領域によって区切られているためにそれが大きな問題を引き起こすことは稀です。

 ただし、地球温暖化問題のような「領域を超える」問題になると、国家間の調整が必要になってきます。

 

 そして、この「領域を超える」問題は国内の地方レベルでは常に起こっています。道路や鉄道は市町村や都道府県をまたいで建設されますし、都市の発展が郊外のスプロール現象を招くかもしれません。また、中心部で出るゴミをどう処理するか? 中心部に通勤してくる人が使うインフラの費用を誰が負担するか? といった問題も出てくるでしょう。

 

 こうした問題の調整に国が出てくることもありますが大事なのは地方政府同士の連携です。

 しかし、これがなかなか難しいですよね、というのが本書の基本的な認識です。

 

 まず、地方政府内での対立があります。日本の地方自治制度は首長と議会の二元代表制をとっているので、首長と議会が対立することがしばしば起こり得るのです。

 この問題は著者の『地方政府の民主主義』でも論じられていましたが、個人の集票力でもって勝ち上がってくる地方議員が個別的な利益を重視して現状維持的に振る舞う一方で、当該自治体全域から選ばれる首長は全体的な利益を重視して、現状変更的に振る舞うことがあるのです。

 

 次に地方政府間の競争があります。現在の選挙制度のもとでは、地方議員は政党化されていないために他の地域の地方議員と連携するということはなかなか起こりませんし、首長が考えるのも基本的には当該自治体の利益です。

 また、首長が他の自治体との連携に動いたとしても、首長が交代すればそれは覆されるかもしれません。

 

 さらに国と地方の関係もあります。日本では自治体の自主財源が弱く、新たな事業を行う場合は国の補助金に頼るという形になっていました。このような状況の中で起こるのが、補助金をめぐる地方政府同士の競争です。

 

 こうした状況に対して、国が用意したメニューは市町村合併であり、合併特例債という「アメ」と合併しない自治体への財政的圧迫という「ムチ」を用いて、「平成の大合併」を進めましたが、その結果、市町村の規模は極めて大きくなり、これ以上の合併は難しい状況になっています。

 この地方政府の連携の難しさがどのような問題を生んでおり、それをどのように乗り越えることができるかを探ることが本書のテーマになります。

 

 第2章でまず扱われているのは県庁所在地の庁舎の問題です。

 東京都を別にすれば、県庁所在地には県庁舎と市庁舎があります。このうち市の発展を考える市庁舎は市の中心に居続けようとするけど、県全体の発展を狙う県庁舎は中心部から移動することもあるということを指摘することで、異なるレベルの地方政府(市と県)の追求する利益の違いというものを明らかにしてます。

 最初にも書いたように、第1章の議論が抽象的すぎてピンとこない人はこの章から読んでもいいと思います。

 

 戦前の日本の府県は中央の出先機関であり、府庁舎や県庁舎の多くは城郭の近くに置かれました。

 戦後になって都道府県知事が公選制となり、経済も成長すると、地方の中心として豪華な庁舎も建てられるようになります(福島県庁や香川県庁、東京都庁など)。

 一方、岐阜県のように県庁舎を市の中心部から移転するところも出てきます。郊外開発の起爆剤として、あるいは、知事と市長の対立などを背景として、県庁舎をあえて都市の中心から動かしたのです。

 さらに市町村合併によって拡大した都市では、改めて「都市の中心はどこなのか?」という問題が市庁舎の建て替え問題とともに起こっています。

 

 第3章では下関と函館という港湾都市の衰退をとり上げています。

 函館(箱館)は長崎についで最も古くから外国に開かれた都市であり、1879年の郡区町村編制法では全国でも数少ない「区」とされ、北海道で最も人口が集中した都市でした。下関(赤間関)は日本で最初に市制が施行された31市の1つでした。この2つの都市の中核を担ったのが港湾機能です。

 

 ただし、両都市とも県庁所在地からは離れていました。

 そこで、北海道では県庁所在地の外港との位置づけがなされた小樽港に投資が集まり、また石炭の積出港として発展した室蘭港の存在もあって、函館の地位は相対的に低下していくことになります。

 下関においても、港湾の拡張がなかなか進まない中で、対岸の門司が福岡県令・安場保和のもとで大規模な港湾として整備されると、その地位は低下していきました。

 

 道や県の支援を受けらなかった両都市は、独自に港湾整備のための資源を獲得するために周囲の町村との合併を行います。相対的な地位低下があったとはいえ、港湾を中心に人は集まっており、その都市域は広がっていたからです。

 度重なる合併の結果、5.36km2だった赤間関市は、下関と名前を変え、1939年には154.14km2、55年には217.43km2、2005年には715.89km2まで拡大しています(70p表3−1参照)。

 

 しかし、これは諸刃の剣でもありました。周囲との合併で都市の規模は大きくなりますが、港湾とは関係のない地域も抱えることになっていきます。新たに合併した地域での社会基盤整備にも資源が必要となり、港湾のみに集中するわけにはいかなくなったからです。

 港湾機能が一部の大規模な港湾に集約されるようになってくると、中心部の空洞化も進んでいきます。一方で郊外の人口が増えたことで、例えば函館市人口重心は平成17年まで年を追うごとに港から遠ざかっています(78p図3−4、平成22、27年はやや中心部への回帰が見られる)。

 

 さらにモータリゼーションの動きと、新幹線の駅が中心部にできなかったことは(新下関と函館北斗)、旧来の中心部の地位の低下に拍車をかけました。

 両都市とも、現在では観光に活路を見出そうとしていますが、それがうまくいくかは未知数です。

 

 第4章では大都市圏の国際的な比較が行われています。

 ただし、本章を読むとそもそも「都市圏なのか?」という問題が大きいこともわかります。本章ではOECDのデータを元に分析を行っていますが、そこでは横浜は東京圏に含まれますし、大阪市京都市・神戸市も1つの都市圏としてまとめられています。

 国際的な比較では、都市圏の中の地方政府の数が多いほど、その成長が抑制される可能性があることが示されていますが、日本ではそのような傾向が明確に見られるわけではありません。

 日本では3大都市圏が突出して巨大なものとなっていますが、海外と比較すると例外的なものではありません。ですから今よりも巨大な地方政府の設置ということも考えられます。一方で、3大都市圏以外の地方都市では、中心部への集約の弱さが1つの特徴だといいます。

 

 第5章と第6章では住民投票の問題をとり上げています。

 本書では都市における意思決定を問題にしています。第1章でも述べられていたように二元代表制が意思決定をややこしくしている面があるのですが、「それならば住民投票をすればよい」と思う人もいるでしょう。そこで「民意」が示されるはずだからです。

 ただし、そう単純にはいかないというのが本書の分析になります。

 

 まず、住民投票ですが、これにはいろいろな種類があります。

 首長や議員の解職を求める住民投票がありますし、憲法95条に書かれた地方自治特別法を制定する際の住民投票大阪都構想における特別区設置のための住民投票はこれに近い)、市町村合併において合併協議会の設置を求める住民投票市町村合併への同意や公共施設の建設などをめぐって条例に基づいて行われる住民投票です。

 近年、注目を集めやすいのは大阪都構想のものを除けば、条例に基づいて行われる住民投票でしょう。96年の新潟県巻町の原発建設をめぐる住民投票以来、各地で条例に基づく住民投票が注目を集めています。

 

 しかし、条例に基づく住民投票には基本的に法的拘束力を持ちません。巻町の住民投票に見られるように、住民投票が一種の拒否権として機能することがある一方で、2006年に行われた岩国市の米空母艦載機の受け入れをめぐる住民投票では、住民投票の結果を市長が無視する形になりました。

 

 住民投票では、それを求めるグループが署名を集めて条例の制定を要求することが多いですが、地方議会は条例の制定を拒否することも可能です。

 一方で、首長が議会に対して住民投票の実施をちらつかせて圧力をかけるということも可能です。庁舎の建て替えなどをめぐって、新人首長が既存の案をひっくり返すために住民投票に訴えることもあります。

 このように住民投票が複雑な政治的な駆け引きのもとで行われることも多いので、住民投票が必ずしも多くの住民が納得できるものとなるとは限らないのです。

 

 そこで第5章ではオンラインを通じたヴィネット実験を行うことで、住民投票による決定がどのように受け取られるのかということを分析しています。

 ヴィネット実験は、質問文のある部分を回答者によって入れ替える形で提示し、それに対する反応を調べるもので、秦正樹『陰謀論』中公新書)でも使われていましたが、本書の実験ではその著者が協力しています。

 

 実験では住民投票の争点を、市庁舎の建設、ごみ処理施設の設置など4つ示し、投票率や得票率をいくつか示し、さらに提案者も市長、議員、住民直接請求と示し、どの程度同意できるかということを訊いています。

 詳しくは本書を読んでほしいのですが、市庁舎建設とごみ処理施設の建設を比べると、市庁舎建設では住民投票の決定に高い同意が与えられる一方で、ごみ処理施設では地方議会の決定を尊重する傾向が見られます。これは市庁舎は政治家のエゴ、ごみ処理施設は住民のエゴを結びつくと考えられているからかもしれません。

 また、得票率が高いほど住民投票の決定に同意が与えられる傾向がありますが、投票率に関しては必ずしもそうなってはいません。これは投票率が高く、結果が僅差の場合は住民投票のみで決めることに躊躇があるからかもしれないと分析されています。

 この実験からは住民投票が必ずしも意思決定の切り札にはなっていないことがうかがえます。

 

 第6章では平成の大合併における住民投票が分析されています。

 市町村合併における住民投票は大きく分けて3つあって、まずは合併特例法にもとづく合併協議会設立の住民投票です。2つめが合併の賛否を問う住民投票、3つ目が合併の枠組みを問う住民投票です。

 

 合併協議会を設立した自治体は住民の後押しがあるわけですが、賛成多数となった28の市町村のうち、その枠組みで合併ができたのは9の市町村に過ぎません。一方、反対多数となった38の市町村でも、28のケースでは最終的に合併を行っており(別の枠組みで合併舌ケースが多い)、住民投票の結果と合併は必ずしも結びついていません。

 

 合併の賛否を問う住民投票は、合併相手を含めた複数の自治体で行われることが特徴で、それを分析すると、人口が少なく高齢化が進んでいる自治体で賛成の割合が高くなり、財政力指数の高い自治体で反対の割合が高くなる傾向があります。

 このタイプの住民投票は相手のいることなので賛成多数となっても、相手が反対多数となり破談になるケースもあります。

 

 合併の枠組みを問う住民投票では、選択肢が多くなるほど投票率が下がる傾向がありますが、複数の選択肢から現状維持(合併しない)が選ばれる可能性は低く、賛否の二択よりも合併への抵抗は弱まります。

 また、枠組みが決まった場合にその通りに合併が成し遂げられた市町村は多く、合併協議会のケースよりもまとまりやすいです。これは地方議会の意思というものが合併協議会よりも反映されており、それがポイントになっているためと考えられます。

 

 第7章は大阪都構想の問題を取り扱っています。大阪では、橋下徹率いる維新の会が一大勢力に成長し、府政と市政の中心となりましたが、その目玉政策である大阪都構想住民投票で2度否決されました。

 本章は、『大阪―大都市は国家を超えるか』の続編的な位置づけにもなります。

 

 大阪市の面積は225.33km2で、横浜市の437.4km2、京都市の827.8km2などと比べるとその市域は狭いです。

 そのため1960年代の中馬馨市長の時代から堺市東大阪市などの周辺の10の市と合併して大都市圏をつくろうという動きがありましたが、中馬の死や高度成長の周年などによって果たされずに終わりました。

 その後の大阪で起こったのが、市と府が互いに行おうとする非効率な都市開発でした。

 

 ここで登場したのが大阪府知事となった橋下徹です。橋下は大阪の二元的行政を問題だと考え、2010年に大阪維新の会を立ち上げると、府議会を制し、さらに大阪都構想の実現へと突き進むのです。

 他の都道府県でも改革を志向する知事はいましたが、その多くは地方議会の壁に阻まされていました。ところが、橋下は地方議会の征服に成功します。大阪府議会は定数が1や2の選挙区が多く、「維新か(改革か)/反維新か(守旧か)」という選択を迫りやすかったのです。

 さらに市議会でも第一党となり、国政進出も行うことで国政に対する影響力も持ち、それをテコに大阪都構想を見据えた大都市地域特別区設置法が制定されます。

 

 ただし、2013年の堺市長選挙で都構想に反対する候補が勝ったことで、中馬市政時代から検討されていた大・大阪的な構想は姿を消し、大阪市特別区に分割することが目指されるようになります。

 維新は府知事選と市長選を同日に行うダブル選挙で、首長選挙を「維新か/反維新か」という枠組みに落とし込み、また府議会の定数削減を通じて1人区を増やして維新に有利な選挙制度をつくりあげました。

 さらに公明党を揺さぶることで、2度にわたって大阪都構想住民投票にこぎつけるのです。

 

 ところが、この住民投票は2度にわたって否決されます。否決の要因については善教将大『維新支持の分析』『大阪の選択』に詳しいですが、本書では住民投票での都構想反対が一種の「現状維持」の選択肢となっており、それが支持を集めた可能性を指摘しています。地方議会選や首長選で「反維新」に入れた場合、その候補が勝った時にどうなるかはわかりませんが、都構想の否決は「現状維持」の結果が見えているというわけです。

 

 この住民投票は、本来ならば都構想というのは長期に渡る都市の枠組みを決める枠組みのはずですが、実際は「維新か/反維新か」という党派的な問題として扱われてしまいました。

 ですから、支持率を回復させた維新は2回目の住民投票へと進んだわけですが、皮肉にも維新が府政と市政の二重行政を調整したことが、都構想の必要性を薄れされる結果ともなりました。

 第5章と第6章でも見たように、住民投票は長期的・最終的な意思決定のものとして扱わたわけではないのです。

 

 終章ではまとめと展望が行われています。

 本書で見てきたとおり、日本に都市において効率的な意思決定を行うのはなかなか難しいのが現状です。例えば合併によって市域を拡大したとしても、中心部と郊外の対立を内部に抱え込むことになりますし、第5〜7章でみたように住民投票も意思決定の切り札とはなりえないからです。さらに都道府県と市町村という地方政府同士の対立を抱えている場合もあります。

 

 そのため、地方政府内部、そして地方政府間の対立を緩和させるような仕組みが必要になるのですが、そこで著者が注目するのが政党です。

 地方議員や首長が政党としてもまとまりを持てば、地方政府間の利害調整もうまくいくかもしれませんし、首長選や住民投票のたびに単発のイシューが問われるような形ではなく、もっと長期にわたった政策スタンスを選択することが可能になるでしょう。

 

 著者は最後に次のように述べています。

 地方政府を動かす基層的な政治制度の鍵は、政党という組織になると考えられる。政治家個人が有権者の支持をめぐって競争し、分裂した意思決定を生み出すのではなく、地方政府の領域という空間を超えて有権者に支持を訴え、政治家個人が辞めても組織としての決定が残る政党という存在こそが、空間と時間を超えて民意に対して責任を持ちうる。翻って現在の地方政治が、しばしば改革をめぐる長と地方議会のゲームのように見えるのは、その時々の政治状況に左右されにくい安定した政党が地方政治に存在しないからである。(210p)

 

 地方政治の政党化(政党化を促すような選挙制度改革)については、著者の『分裂と統合の日本政治』でも主張されていましたが、そこでは、国政(衆議院)との選挙制度の齟齬が野党の成長を阻害しているというのが大きな理由となっていました。

 これに対して、「地方政治は国政に合わせて変えるべきものではない」という木寺元からの批判(木寺元「誰がための選挙制度」(『都市問題』vol.109))などがあったわけですが、本書では地方政治(特に都市の地方政治)に内在する問題を中心に地方政治の政党化を訴えています。この問題が著者にとってのボーリングのセンターピンのような存在だということがよくわかります。

 

 また、大阪維新の会をどう考えるのか? という点でも本書は面白い論点を提供していると思います。

 大阪維新の会は日本の地方政治において例外的に成功した政党であり、それが地方政府間の連携を可能にしている面もありますが、同時に選挙や住民投票を道具的に用いていて著者のイメージする「安定した政党」とはずれている存在でもあります。

 維新の戦略などもあって、どうしても「維新か/反維新か」となりやすいですが、維新の両義性についてはよく考えていくべき問題でしょう。

 

 フランスやイタリアのように主要国でも政党の溶解が進行している中で、「安定した政党」を生み出す難しさというのはあるとは思いますが、日本の都市問題、地方政治、そして政治全体を考える上で多くの論点と改革の方向性を示している本です。

 

 

 

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