長らく自民党の一党優位性がつづいた日本の政治は、90年代の小選挙区比例代表制の導入によって政権交代が可能性が高められ、実際に2009年には民主党によって政権交代がなされました。ここまでは選挙制度の改革はその目的を果たしたと言ってもいいでしょう。
ところが、2012年に政権を失うと民主党はその勢力を大幅に後退させ、再び自民党の一党優位性とも言える状況が出現しています。
なぜ、二大政党制を志向して制度改革がなされたのに二大政党の一方の極(自民党に対抗する野党)が育たないのか?
この答えとして、小選挙区比例代表制の比例代表部分の存在、参議院の存在、政策的な難しさなどがあげられてきましたが、この本で注目するのは地方政治です。
選挙制度改革によって衆議院の選挙制度は中選挙区制から小選挙区比例代表制へと変化しましたが、地方政治においては中選挙区制(より専門的に言うとSNTV(単記非移譲式投票))が継続されました(もちろん一人区も存在しますが)。つまり、地方政治の選挙は以前と変化しなかったのです。
一方、90年代〜00年代にかけて地方分権が進みました。中央政府の権限が地方自治体へと移譲され、知事や市町村長といった首長の権限は以前よりも強くなったのです。
この地方政治における選挙制度の問題点は、著者の『民主主義の条件』でも強く主張されていましたが、本書ではそれに加えて地方分権による首長の権限の強化の問題もとり上げ、その問題が中央政治にまで実際にどのような影響を与えているかということが実証的に分析されています。
目次は以下の通り。
第1章 政党システムの制度化を考える
第2章 地方政治と自民党の分裂
第3章 自民党に見る中央地方関係の変化
第4章 統治機構改革後の地方政治再編成
第5章 模索する都道府県議会議員
第6章 地方政治へ向かう国会議員
第7章 政党ラベルと地方議員
第8章 新たな政党政治に向けて
まず、この本では「政党システム」という概念が持ちだされています。「政党システムとは、ひとつの政党だけに注目するのではなく、それぞれの政党が他の政党との競合関係の中でさまざまな目標を達成するため相互に戦略的な意思決定を行っていくことをひとまとまりの「システム」として扱う発想に基づく」(5p)ものです。
よくわからなくてきちんと知りたい人は待鳥聡史『政党システムと政党組織』のレビューを読んでほしいのですが、とりあえずは55年体制において自民党の一党優位性がつづいたのは、「自民党の戦略が優れていた」とか「社会党が不甲斐なかった」とかいう理由ではなく、それを可能にするような制度的な条件や社会構造があったからだという考えだと思ってもらってもいいと思います。
自民党は特に地方におけるクライエンタリズム(恩顧主義)によって安定した地盤を築きました。有権者が政治家を支持する代わりに政治家は公共事業による利益誘導などを行うというしくみは日本の政治の一つのスタイルとなり、地方議員や首長も巻き込む形で中央政府からさまざまな利益を引き出すことが目指されたのです。
しかし、このスタイルは高度成長とともに人口が農村から都市に移住するにしたがって行き詰まることが予想されていました。自民党の政治家でもあった石田博英は1968年には社会党政権が登場すると予測していたそうです(11p)。
ところが、そうはなりませんでした。それを阻んだのが中選挙区制です。中選挙区制のもとではある程度の数の野党が存在できます。都市部へと人口が移動し都市部の定数が増えても、増えるのは社会党の議員ではなくその他の野党の議員であるケースも多くありました。一方で農村では自民の力が強く、自民党の候補者同士の争いがつづきました。農村部の議席の大半を占め、都市部でも一定の議席を占めることで自民党は政権を維持することが出来たのです。
ただし、このクライエンタリズムも90年代になるとバブルの崩壊やグローバル化などによって行き詰まり、政治の新たなスタイルが模索されます。
90年代から00年代に行われた、小選挙区比例代表並立制の導入、省庁再編と内閣府の強化、地方分権といった一連の改革はクライエンタリズムの基盤を打ち壊すもので、その流れの中で脱クライエンタリズムをめざす民主党が力をつけ、自民党においてもクライエンタリズムを否定する小泉政権が登場しました。
そして、クライエンタリズムではなくマニフェストというプログラムを掲げた民主党が2009年に政権交代を果たすことによって、一連の改革の結果として二大政党制が出現したかに見えたのです。
しかし、冒頭にも述べたようにそれは長続きしませんでした。つまり、安定した二大政党制という政党システムは実現しなかったのです。
国政選挙においては自民党を圧倒したこともあった民主党でしたが、地方政治においてはそうはいきませんでした。地方選挙では引きつづきSNTVが行われ、政党ラベルよりも選挙区内での個別的な利益への志向が重視されました。これはプログラムを掲げて戦う民主党には不利です。
また、地方分権によって力を持つことになった改革派の知事や市長が二元代表制のもとで自民党とも関係を深めていったことも民主党には不利にはたらきましたし、さらに改革派の知事や市長による新党結成の動きは、民主党から「改革」のラベルを奪うことになりました。国政政党の民主党は農村部の支持を得るための政策も掲げていたのに対して、こうした新党はよりラディカルな「改革」を掲げることが可能だったのです。
以上が本書の見立てなわけですが、近年の政治学においてはこれをどうやって「実証」するかが問題になります。
今まで提示されたロジックはある程度説得力のあるものに見えますが、あくまでも「そういう見方もある」というものです。そこで、本書ではいくつかの傾向をデータから示すことでこのロジックの妥当性を示そうとしています。これが第2章から第7章にあたる部分です。
第2章では、地方における自民党の分裂について分析されています。
地方政治においては盤石と思われる自民党でも県議団が分裂することがあります。その理由として、ここでは二元代表制における知事の存在が分裂を促すことがあるということを分析によって示しています。
第3章は「自民党に見る中央地方関係」。
中選挙区制のもとでは地方組織は議員の個人後援会が中心で、地方議員も国会委員の系列として組織されていました。しかし、小選挙区比例代表制が導入されると、個人後援会の役割が後退し、自民党の県連が、候補者の選定や知事への支援などで独自の存在感を見せるようになってきます。このあたりは中北浩爾『自民党―「一強」の実像』でも分析されていたことであり、読んでおくとこの章の議論がイメージしやすいかもしれません。
第4章は90年代の選挙制度改革による政界再編が地方政治にいかなる影響をおよぼしたかということについて。
78pに有効政党数の変遷を表したグラフがありますが、国政においては選挙制度改革以降減少の傾向が見られますが、地方ではむしろ増えている傾向さえ見られます。国政政党の再編が進んでも、それが地方政治の場にはおよばなかったわけです。つまり、自民党の対抗政党たる民主党が地方政治において国政ほど拡大できなかったこということでもあります。
民主党は社会党と違って、地方選挙における一人区(農村部)にも積極的に候補者を擁立していきましたが、逆に定数の多い都市部では思うように候補者を擁立できませんでしたし、当選者も増やせませんでした。これは、定数が多くなると公明党や共産党が一定の存在感を示すようになること、社民党もしぶとく支持を持っていたこと、無所属の参入が容易になることなどが要因です。皮肉にも都市部に強いはずの民主党は地方政治の都市部では苦戦することになったのです。
また、県連も民主党は国会議員が中心であり、県連という単位で地方議員をまとめにくい構造になっていました(今年の都議選での民進党の分解の様子を思い浮かべるとわかりやすいかも)。
第5章は都道府県議会議員のあり方の変化について。
国会議員の系列となっていることがおおかった県議ですが、小選挙区比例代表制の導入とともにその性格も変化したと考えられます。この章では、国会議員(衆議院、参議院)、知事、市町村長、市町村議との関係に注目して分析を行っています。これを見ると、県議レベルでは政党ラベルがそれほど重視されていないことなどがわかります。
第6章は「地方政治へ向かう国会議員」。
小池都知事のように国会議員から知事を目指す動きは近年よく見られます。また、市町村長を目指す動きも増えています。以前は一定の任期を経た国会議員が知事選に挑戦するケースが目立ちましたが、近年は国会議員としてのキャリアの浅い議員が市町村長選に挑戦するケースも目立ちます。
これは地方分権によって地方首長の地位が国会議員に比べて相対的に上昇し、魅力的なものになっていること、小選挙区制によって選挙区が小さくなり、選挙区と市町村が重なる事が増えたことなどが要因と考えられます。こうした状況の中、退潮が著しい民主党(民進党)の国会議員が地方政治へと転身するケースも目立っているのです。
第7章は「政党ラベルと地方議員」というタイトルで、候補者と有権者の個人的なつながりが薄いために政党ラベルが重要だと考えられる都市部において、地方政治家がどのような選挙戦略をとったのかということが分析されています。
90年代後半以降、自民党の動揺もあって増加したのが無党派市長です。民主党の支援を受けた政令指定都市の市長も誕生していますが、多くの場合その関係を継続できていません。
また、大阪維新の会や減税日本のような地方政党も誕生しました。これらの政党は政党ラベルを重視し、議会改革や公共事業の削減などのプログラムを掲げましたが、これは従来の民主党の戦略と重なるものであり、自民よりもむしろ民主党にとって大きな打撃となりました(都議選における都民ファーストの躍進と民進党の壊滅はそのわかりやすい例)。
第8章は今までの議論のまとめと今後の展望。
再検討すべき課題として、地方分権改革(地方分権改革が非効率を生み出す可能性があるという近年の研究を紹介している)、地方政治の選挙制度改革(SNTVの見直し)、二元代表制の再考をあげています。
さらに「あとがき」には次のようなまとめを置いています。
本書の分析が妥当であるとすれば、一定の時間が経ちまた以前の民主党のような政党が浮上してくるとしても、そのような政党はやはり統合を欠いたものとならざるを得ないだろう。現在の制度を前提としたうえで、仮に国政・地方政治の政治家たちを強く統合する政党が出現したとしたら、それは極めて人格的なリーダーシップに依存するしかないのではないだろうか。政策やそれが生み出す利益への期待などを超えた人格的な帰依、というと言い過ぎかもしれないが、厳しい条件の中で無理にでも統合を進めるために、そのようなものがクローズアップされていくことに不思議はないと考えるからである。多くの人が、どんな政党が政権を担当しても不満は募ると感じる中で、、そのようなリーダーへの期待が高まるのは理解できるが、個人に依存した統合は不安定なだけでなく、ブレーキを失う危険もある。成熟した民主国家では、その統合を念頭に置いた不断の制度改革を検討していくべきであると信じている。(181p)
この制度にこだわって政治を論じるスタイルは待鳥聡史『代議制民主主義』と重なるもので、いきなり結論の地方分権や二元代表制の見直しという提言を聞くと抵抗を示す人も多いと思いますが、本書を通読すれば、これらの問題が日本の国政レベルでの政党政治の機能不全に大きく関わっていることが理解できると思います。
やや、難しい部分も含んでいますが、日本政治を考える一つの重要な視座を提供する内容になっていると思います。
おまけの雑感として、この本を読んで感じたのは河村たかしと減税日本は意外と重要だったのではないかということ。
一時期の民主党には勢いがあり、河村たかしも2009年に民主党の支援を受けて名古屋市長に当選しています。また、愛知県は伝統的に民主党の強い地域であり、名古屋圏でクライエンタリズムも併用しながら「民主王国」をつくることも可能ではなかったのかという気もします。
まあ、河村たかしという人が民主党という組織を支えるには不向きだったと思うので、「民主王国」は難しかったのかもしれませんが、二大政党として踏みとどまるには逆風にあっても崩れない地盤がどこかに必要だったのではないかと思ったりしました(アメリカでもイギリスでも二大政党制の国はどちらかの政党が圧倒的に強い地域がある)。