『つぐない』

 今日は休みで、さらにはテアトルが水曜で1000円だってことでテアトル・タイムズスクエアに『つぐない』を見に行く。平日の昼ということもあって客の85%位は女性で独り身の男って僕くらいだったかも。
 映画のほうは、「上流の姉妹と使用人の息子の身分を超えた恋」、「妹の片思いと嫉妬と嘘」、「戦争で引き裂かれた男女」というように甘いラブロマンスの要素がてんこ盛りにもかかわらず、非常に”苦い”映画です。僕の隣の女性の人は泣いていましたし、確かに泣ける映画でもあると思いますが、それはずいぶんと”苦い”涙です。
 戦争に関する描写もラブロマンス映画の枠を超えた強烈さがありますね。
 ストーリー的には、妹のブライオニーが13歳のときについた嘘が姉セシーリアと恋人ロビーの運命を引き裂くという、ありがちな悲劇ではあるのですが、最後のメタフィクション的な仕掛けが非常に深い感動というか、”苦味”のような後味を残します。このあたりは読んでないけど原作の良さなのでしょう。

 
 映画でも描かれる長い期間を原作がどのような配分でもって書いているのかは知りませんが、映画ではブライオニーが嘘をつく13歳の時のシーンが非常に丁寧に描かれています。
 視点別に語り直される仕掛けや、ブライオニーやロビーの使用するタイプライターの音を音楽の一部として使うテンポもなかなかいいですが、特筆すべきは13歳のブライオニーを演じるシアーシャ・ローナンという女優(子役と言ってはちょっと失礼かとも思うので)。自意識は高いものの内向的な妹という役に嵌まっています。
 第2次大戦を目前として、どこか崩壊しつつある上流階級の家というのもうまく描かれていますね。


 また、最初のほうにも書きましたが、戦争というかブライオニーが看護して働く病院での描写がこの手の映画にしてはハードです。この映画を見ると、第2次大戦時のイギリスの看護婦が志願兵の女性バージョンだったってことを感じます。戦場に行ったロビーに対して、戦場に行けないセシリアとブライオニーは看護婦になるんですね。
 このあたりの編集は、ひょっとしたらもう少し別の撮り方もあったんじゃないかと思わせる所もあって、特にロビーの戦場でのシーンが少し中途半端なような気もしますが、ダンケルクのシーンはきっと監督がとりたかったシーンなのでしょう。


 そして最後に老人となったブライオニーによるメタフィクション的な語り。
 物語に深みを与えるとともに、「書くこととは?」「語ることとは?」といったことを考えさせる見事なラストです。