原武史『滝山コミューン一九七四』読了

 原武史『滝山コミューン一九七四』を読了。各所で話題になっていた本ですが、確かにこれは面白い。

 一般的に「1972年の連合赤軍事件をきっかけとして「政治の季節」が終わり、「私生活主義」とも呼ばれる消費社会が出現してくる」という認識がありますが、著者によれば72年以降も政治の色彩は至る所に色濃く残っており、それがまさに花開いたのが著者の通った滝山団地の滝山第七小学校なのです。
 ここでは、団地の母親たちによる新しいPTA活動から学校を変えていこうという運動が盛り上がり、そこから熱意ある教員による「学級集団づくり」、「児童会の自治」、「児童が主体的につくる行事」といったものが花開き、小学校においてある種の政治が実現していきます。
 しかし、表面的には素晴らしく思える「学級集団づくり」、「児童会の自治」、「児童が主体的につくる行事」といったものも、実質的には社会主義に見られるような集団主義でしかなく、小学生だった著者はそれに息苦しさを覚え、それから逃れるように中学受験の世界へと進んでいきます。
 
 こんなふうに書くと「かなり特殊な学校だな」と思う人もいるかもしれませんが、多少でも日教組色の強い小学校にいたことのある人ならば、程度の差こそあれうなずくことは多いと思います。
 僕はちょうどこの1974年生まれなので、小学生だったのは80年代になるのですが、そのときでも「班」中心のクラス運営は行われていましたし、卒業式に「君が代」ではなく「ヒロシマのある国で」を歌ったりと、まだまだ『滝山コミューン』の世界の残滓はありました。
 
 また、著者の描く思い出があまりに「政治的」なので、さすがに小学生の時にはここまで考えてなかっただろ?と思う場面もなくはないですが、人気のある人から順に所属する班が決まっていく班替えや、帰りの会での特定の生徒への吊るし上げなど、確かに小学生時代というのはある意味で陰惨な「政治の世界」であったことは否定できないと思います。
 そして、僕たちの学校、そして時代では全面的に開花することのできなかった小学校における「政治の共同体」の姿がここにはあります。

 個人的にも、舞台となる東久留米市のとなりの西東京市に最近まで住んでいて、滝山団地も知っていますし、小学生時代には著者と同じ四谷大塚に通っていた友人もいました。そうした意味でも非常にいろいろなことを考えさせられ、いろいろなことを思い出した読書体験でした。


滝山コミューン一九七四
原 武史
4062139391


晩ご飯は麻婆ナスと冷奴