岸政彦『同化と他者化 戦後沖縄の本土就職者たち』

 「同化と他者化」、普通の人にはまったく意味の分からないタイトルだと思いますが、副題にあるように戦後の沖縄の本土就職者について調べた本で非常に面白いです。タグに「歴史」をつけましたし、本屋の近現代史のコーナーに並んでいることも多いのですが、著者は1967年生まれの社会学者で社会学の本になります(すごい今更だけどやはり「社会学」のタグをつけるべきなのか…?)。


 1950年代後半の、ちょうど日本で高度成長が始まった頃から、1972年の沖縄の本土復帰の時期まで沖縄の若者の多くが本土へと就職のために渡りました。1970年にはおよそ18万人の人口移動がありました(そのすべてが本土就職ではありませんが)。
 ところが沖縄から出て行く人間と沖縄に入ってくる人間の数はほぼ釣り合っていて、就職のために本土に渡った者の多くがUターンしていることもわかります。
 このような事実を聞くと、おそらく次のようなストーリーが思い浮かぶのではないでしょうか。「アメリカに占領された沖縄は貧しくて仕事もなく、仕事を得るために本土に渡った人の多くが差別を受けて帰ってきた」、と。
 

 しかし、実態はちがうのです。1960年代の沖縄ではアメリカの援助により経済が成長。1962〜71年にかけては本土と同じ年平均9.3%の成長を達成していますし、失業率も60年台は2%前後と低いものでした(57p)。
 つまり沖縄からの本土就職は失業率などの経済的データだけでは説明しきれないのです。この本では経済面からだけでは説明できないこの人口移動を「過剰移動」と名づけ、本土就職の経験者に実際にインタビューをすることで、その背景と本土での経験、沖縄に帰ってきた理由などを探っています。


 このインタビューが収められているのが第2章の「本土就職者たちの生活史」で、この本の一つのの読みどころです。この本では7名のインタビューが収録されていて、いずれも若い頃に本土就職し、その後沖縄に戻ってくるというライフコースをたどっています。子どもが沖縄方言を使わないようにつくられた「方言札」の話など、本土復帰前の沖縄の様子も興味深いですが、メインとなるのは本土就職の時の様子と、「なぜ帰ってきたのか?」ということ。
 インタビューでは本土就職について、基本的に皆、「本土は楽しかった」「青春だった」と言っています。労働環境などを見ると大変な面もあったとは思うのですが、沖縄出身ということで深刻な差別にあったという人もいませんし、中にはほとんど修学旅行の延長のような感じで仲間と本土の生活をエンジョイした人もいます。
 ところが、そんな本土での生活を楽しんだ人々も、本土で聞いた沖縄の民謡などにたまらない懐かしさを感じたと言います。沖縄にいた時は民謡などに見向きもしなかったのに本土で聞くと涙が出そうになったというのです。そしてその懐かしさに惹かれるように再び沖縄へと帰ってきます。
 著者はこれらのインタビューに見られる「あこがれて渡った本土の都市で楽しく暮らしながら、沖縄のことを思い出して懐かしみ、やがてUターンしていった」というパターンを「ノスタルジックな語り」と名付けています(243ー244p)。
 そして、「これらの語りを聞くかぎりでは、本土への旅は沖縄人にとって、やがて沖縄へ帰るための旅だったのではないかと思えてくる」(263p)と述べています。


 では、これらの「旅」の背景には何があったのか?それを説明しているのが第4章「本土就職とは何か」です。
 初期の本土就職は琉球政府が深く関与したもので、未知の土地である本土に行くことに尻込みをする若者の背中を押して送り出すある種の政治的プロジェクトでもありました。当時アメリカの占領下にあった沖縄は、復帰運動を進めるために「米軍の支配を「異民族支配」と捉え、復帰の根拠を「同じ日本民族であること」に求めて」(324p)いました。本土就職とは、日本との一体化を進めるために必要なものであり、「もうひとつの復帰運動」でもあったのです。
 これを成功させるために、沖縄では沖縄の人々を日本的な労働者につくりかえる「同化」の試みがなされました。例えば、1966年には本土就職者にむけた「合宿訓練」も行われています(347p〜)。
 ここでは、食事作法や労働法規の勉強、電話のかけ方など本土で働くためのマナーや知識が教えこまれました。一種の「日本人化」の試みとも言えます。ところが、一方でこの合宿では沖縄文化についての説明や琉球舞踊の稽古なども行われています。本土の日本人に沖縄のことを知ってもらうために、本土就職者たちの「沖縄人化」も同時に行われたのです。


 この「同化」されることで、かえって「同化」しえない自らのアイデンティティに気づく、というのがこの本を貫くロジックになります。
 このことについて、この本では次のようにまとめています。

 要するに、沖縄人を日本人化しようとすることそのものが、沖縄は日本ではないという端的な事実を明るみに出してしまうのである。少なくともそこでは、沖縄と日本との、文化的、歴史的、社会的、政治的なあらゆる差異が、むしろ拡大されてしまうのである。(362ー363p)

 そして、これが普通の人にとっては非常にわかりにくいタイトルである「同化と他者化」という意味になります。

 
 このように刺激的で面白い本です。沖縄の問題に興味がある人にはもちろんオススメですし、特に沖縄に興味がなくても、経済的現象に隠れた非経済的要因を読み解いている分析として楽しめると思いますし、難しいことを抜きにしてもインタビューの部分は当時の時代状況を知ることが出来て面白いです。
 個人的には「沖縄」という部分以外でも、「高度成長のすごさ」みたいのが感じられて、そこも興味深かったです。
 インタビューに出てくる本土の就職先は、短大に通わせてくれたり、ほぼ貸切状態の寮で毎晩のように酒を飲んでもクビにならなかったりと、給料自体のレベルはよくわからないにしても、けっこう待遇が良いのです。もちろん、企業としては人手不足からしかたなくやっている面もあるのでしょうが、「若くて素直」でありさえすれば仕事には困らなかった時代だったのだと改めて思いました。
 高度成長期に都市に出てきた若者というと、永山則夫の印象が強すぎて、「貧しさと差別に苦しんだ」という印象もあるのですが、永山の影には圧倒的多数の「幸福な若者」がいたんだなと感じました。
 この本では沖縄に焦点を当てて「ノスタルジックな語り」が取り出されていますが、『ALWAYS 三丁目の夕日』に見られるように高度成長期そのものが今の日本では非常に「ノスタルジック」に語られています。沖縄へのUターンの要因について、この本でとり上げられている「沖縄への懐かしさ」とともに、高度成長の終焉とともに本土が輝きを失ったという面もあるのではないか、と思いましたね。


同化と他者化 ―戦後沖縄の本土就職者たち―
岸 政彦
4779507235