ゾフィア・ナウコフスカ『メダリオン』

「あなたにはお話します。私は生きたかったのです。どうしてかはわかりません。だって夫もなければ家族もなく、誰もいなかったのに、生きたかった。片目がなく、飢えて凍えていて 〜 そして、生きたかった。なぜかって? お話しましょう。あなたに今話しているように、すべてを話すためです。彼らが何をしたのか世界に伝わりますように!
 私一人だけが生き残るのだと思いました。世界にはほかに一人のユダヤ人もいなくなるのだと思いました。(64p)

 
 松籟社<東欧の想像力>シリーズの第12弾は、ポーランドの女性作家ゾフィア・ナウコフスカが、第2次世界対戦下のポーランドにおけるユダヤ人の過酷な運命を記録した短篇集『メダリオン』。
 著者はポーランドにおけるナチス犯罪調査委員会に参加し、実際にホロコーストを生き延びたユダヤ人の話を聞き、証言のような形でこの小説をまとめています。

 収録作品は以下のとおり。

シュパンナー教授

墓場の女
線路脇で
ドゥヴォイラ・ジェロナ
草地(ヴィザ)
人間は強い
アウシュヴィッツの大人たちと子供たち


 冒頭に置かれた「シュパンナー教授」では、ユダヤ人の死体から石鹸を作るというおぞましい実験をめぐる話。行われた行為のおぞましさと、戦後に行われた尋問に答える官僚的答弁はアーレントの『イェルサレムアイヒマン』を思い起こさせます。
  

 このエントリーの冒頭の引用は「ドゥヴォイラ・ジェロナ」という強制収容所から生還した片目の女性の話を記録した短編から。この「ドゥヴォイラ・ジェロナ」に限らず、女性を語り手に据えた作品も多いです。そこでは、強制収容所の女性SSの残虐さが繰り返し語られています。


 また、「線路脇」は、強制収容所に向かう列車から脱出することに成功したものの怪我をして動けなくなってしまったユダヤ人の話。周囲の村のポーランド人がそれを見つけるわけですが、怖くて助けることも殺すこともできずただ遠巻きに見ているのみです。
 ホロコーストに関しては、加害者のドイツ人と被害者のユダヤ人がいるわけですが、さらにそこにはホロコーストを見逃した数多くの傍観者がいます。特にポーランドアウシュビッツをはじめとする強制収容所がつくられた場所でもあり、誰もが無関係とは言い難いのです。


 そして、個人的にいちばん衝撃的だったのが「人間は強い」という作品。頑健な肉体を持ったミハウ・Pという男が主人公で、その男の証言という形では話は進みます。読みはじめた当初は「人間は強い」というタイトルは、当然ながらその男の不屈の精神力を称える言葉なのかと思いますが、実はまったく違うシチュエーションで出てくる言葉です。ぜひ読んでみてください。


 全部でちょうど100ページほどの本であり、どの作品も20ページもないくらいです。基本的には証言などが中心であり、特に凝った文学的な仕掛けがしてあるわけではありません。
 ただ、この作品は1945年に執筆されたという、まさにホロコーストの悲劇から間を置かずに書かれたものであり、その生々しさはかなりのものです。短いページの中に、「どうしても伝えなければならないこと」が凝縮された作品といえるでしょう。


メダリオン (東欧の想像力)
ゾフィア ナウコフスカ 加藤 有子
4879843415