ウィリアム・トレヴァー『ふたつの人生』

 「ウィリアム・トレヴァー・コレクション」の第3弾は、「ツルゲーネフを読む声」と「ウンブリアのわたしの家」という2つの中編を収録したものになります。


 なんといっても特筆すべきは「ツルゲーネフを読む声」。
 アイルランドプロテスタント信徒の娘メアリー・ルイーズが、服地商会を営む年上のエルマー・クウォーリーとの結婚へと動き出すことから話は始まりますが、章の間に挟まれる精神病院らしき場所の描写から、この結婚が不幸に終わったことが暗示されます。
 舞台となるのは1950年代後半ですが、その頃すでにアイルランドにおけるプロテスタント教徒の地位は斜陽化しており、結婚という祝福すべき出来事の中でも、なんとなく沈滞したムードが漂っています。
 メアリー・ルイーズは21歳なのに対してエルマー・クウォーリーは35歳であり、しかもエルマーの店には独身の姉が二人住んでおり、店を手伝っています。傍から見てもあまりうまくいかないのではないかと思われる結婚なのです。


 そんなうまくいかない結婚の中で、メアリー・ルイーズはいとこのロバートと再会します。
 ロバートは病弱で、子どもの頃はメアリー・ルイーズとともに仲良く遊んでいたものの、その後は家に引きこもっており、読書やボードゲームなどに慰めを見出しているような状態でした。ロバートの愛読書がツルゲーネフであり、タイトルの「ツルゲーネフ」はここから来ています。


 年上の夫と独身の姉に囲まれて窮屈な毎日を送るメアリー・ルイーズと、病気のために外の世界をほとんど経験できないロバート。この二人が惹かれ合うのは当然といえば当然です。
 そして、この恋がそんなにうまくいきそうにもないことも予想できるでしょう。
 ある意味、この話の道具立てやストーリーの展開の仕方は平凡です。もちろん、本人たちのとっては特別な恋ですが、小説の筋立てとしては陳腐なものと言っていいでしょう。
   
 
 ところが、何を語り何を語らないのか、そして語る場合のディティールの積み重ねいおいてトレヴァーの筆は抜群の冴えを見せます。
 例えば、新婚旅行で海辺のホテルとバーでの出来事。メアリー・ルイーズもエルマーもたまたま居合わせた人々と酒を飲み楽しそうにするのですが、その夜の描き方にも今後の結婚生活に指す影が書き込まれています。
 

 さらに物語が進行するに連れて、平凡だったメアリー・ルイーズが一種の凄みを帯びてきます。
 平凡な人間が特別な記憶を手に入れたとき、人はそれをどのように守っていくのか、それは人をどのように変えていくのか。トレヴァーが描き出すのはその行く末です。


 今まで読んだトレヴァー作品では、『聖母の贈り物』に収録された「マティルダイングランド」が圧倒的な凄みをもった作品だと思っていましたが、この「ツルゲーネフを読む声」はそれに匹敵するような迫力を持った作品です。


 一方、「ウンブリアのわたしの家」は、イングランドで幼少期を、その後アメリカやアフリカで暮らし、イタリアのウンブリア地方でペンションのオーナーとなったミセス・デラハンティが主人公です。
 ミセス・デラハンティはペンションのオーナであると同時にロマンス作家でもあり、いくつかの作品をイギリスで発表しています。


 そのミセス・デラハンティが列車爆破テロに巻き込まれたことから物語が動き出します。ミセス・デラハンティの近くで生き残ったのが、娘と娘婿を失ったイギリス人の将軍、恋人を失ったドイツ人のオトマー、そして母親を失ったアメリカ人の少女エイミーです。
 ともに病院でリハビリを行った彼らは、ミセス・デラハンティの勧めもあり、ウンブリアのミセス・デラハンティのペンションでしばらく共同生活を送ることになります。
 それぞれ大切なものを失った人々による癒しの物語…、と想像するところですが、トレヴァーはそのような話は組み立てません。
 『異国の出来事』を読んだとき、外国が舞台となっているトレヴァー作品は辛辣なものが多いなと思ったものですが、これもある意味で辛辣。
 作家でも主人公の生み出す虚構(夢想)が徐々に作品内にせり出してくるわけですが、個人的にはそれが痛々しい。ある意味人間を抉った作品ですが、好きではないですね。


 なにはともあれ「ツルゲーネフを読む声」です。これは文句なしにすごい作品です。


ふたつの人生 (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)
ウィリアム トレヴァー William Trevor
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