『ニュー・ワールド』

 今日は映画の日ということで『ニュー・ワールド』を見に新宿へ。寝不足のせいか朝起きられなくて15:50の回に行ったけどたいして混んでなかった。
 
 『ニュー・ワールド』はポカホンタスの映画なんだけど、冒険活劇ってわけでもないし、恋愛ロマンスってわけでもないし、白人たちの侵略を告発って感じでもない。
 出だしのネイティヴアメリカンの生活の描き方なんかは、『シン・レッド・ライン』の現地人の描き方に似ていて、コリン・ファレル演じるスミス大尉が、『シン・レッド・ライン』のジム・カヴィーゼルと同じく未開社会で「楽園」を経験しつつも再び文明社会に引き戻されるということをメインに描くのかと思ったら、後半は完全にポカホンタスが中心。
 ただ、最初にも書いたように、この映画は「告発」ということとは無縁であって、ポカホンタスのすんでいたネイティヴアメリカンの未開社会が色褪せていく、そんな感覚の映画。「ポカポンタスの変化」と「世界の変化」がシンクロするように描かれていて、その描かれ方が非常に詩的です。緑豊かな葦原がやがてトウモロコシ畑になり、やがて茶色っぽい小麦やタバコの畑になっていく。小さな砦はくすんだ色の街として大きくなり、ポカホンタスもイギリス風の衣服を身に着けるようになっていく。
 そして、なんといっても圧巻なのはポカホンタスがロンドンに行ってそこで目にするイギリスの庭園がまるで墓場のように映るシーン。きれいに切りそろえられた木々はまるで墓標のようであり、まさに「ニュー・ワールド」に対する「オールド・ワールド」。
 ただ、エコロジー的な文明批判をやる気はテレンス・マリックにはなく、世界が変わっても変わらない「自然」や「母親の愛」といったものを感じさせながら映画は終わります。
 ポカホンタスの暮らしたネイティヴアメリカンの社会は失われてしまったけれど、「世界」そのものが失われることはないし、 人間の暮らしを越えた次元で「世界」は存在し続けるっていうようなことを感じさせますね。

 まあ、万人が見て面白い映画ではないでしょうけど、やっぱりテレンス・マリックならではの世界。「登場人物の個性」や「コミュニケーション」、「物語性」という一般的な作劇で必要とされるものを極力排除した世界は魅力的です。
 ただ、コリン・ファレルは『天国の日々』のリチャード・ギアや『シン・レッド・ライン』のジム・カヴィーゼルに比べるとイマイチかな。見終わってみるとなんか存在意義が薄いような気がする。