「ジョーカー」としての宅間守(篠田博之『ドキュメント死刑囚』より)

 上のエントリーでジョーカーの説明として宅間守をあげましたが、それはこの篠田博之『ドキュメント死刑囚』を読んだから。
 本自体は宮崎勤、奈良女児殺害事件の小林薫、そして宅間守の3人の死刑囚について、雑誌『創』の編集長である著者が接触を試みた記録で、宮崎勤小林薫に関しては、「左翼的同情心」のようなものでまとめられているのですが、宅間守に関しては、そういった「左翼的同情心」を明らかに受け付けないものがある。
 例えば雑誌『現代』に載ったという次の文章。

 テントを張って生きているような奴らは、動物なのです。無差別殺人をやって、いずれ、絞首台に立ち、死ぬ事すら出来ない、かすなのです。人間はほこりを持たないといけないと思います。汚い毛布にくるまって、ゴミ箱をあさって、ふろに入らないで、身柄拘束を恐れて、日々、消化させるのが、人間だとは思いません。人間だから、包丁を購入し、車を運転し、人間だから、ブスブスとエリートの卵を刺しつづけたのです、(187ー188p)

 これ以外にも強烈な文章はあるのですが、これなんかはまさにジョーカーが書いてもおかしくないようなものではないでしょうか?
 『ダークナイト』において、結局、ジョーカーを止める言葉は存在しませんでしたが、それと同じように宅間守のような男を止める言葉というのもないのかもしれません。


ドキュメント死刑囚 (ちくま新書 736)
篠田 博之
4480064435