ジョナサン・レセム『孤独の要塞』読了

 この『孤独の要塞』は、いかにもありがちなアメリカ文学の要素をすべて詰め込んだ挙げ句に、何かいびつな感じもする不思議な小説。

70年代のブルックリンに生まれ育った二人の少年。ある時、空飛ぶ指輪を手にいれた二人は「エアロマン」と名乗り、街を守るヒーローとして活躍するようになる。少年達の友情、別れを描く成長小説

というのがこの小説の中身で、確かに少年たちの友情と別れを描いた古典的とも言えるテーマを扱った小説。
 
 ですが、まず驚くのが800ページを超えるボリューム。
 おそらくふつうの小説家ならこの話を300ページとか400ページで書く。ウィリアム・トレヴァーなら40ページで書く。が、このジョナサン・レセムはそれに800ページかける。
 その理由の一つは、一番始めに書いたようにアメリカ文学の要素をほとんどすべて詰め込んでいるから。
 ブルックリンの街についての描写はドン・デリーロの『アンダーワールド』にあったものだし、離ればなれになった友人とか言うとポール・オースターの『リヴァイアサン』がそんな話じゃなかったかと思うし、ちょっと変な家族関係とかはリチャード・パワーズの『囚人のジレンマ』なんかを思い起こさせるし、最後にはブローティガン的世界の残骸見たいのも出てくるし…。
 そしてもう一つのこの小説が長くなっている理由が、70年代から80年代前半のアメコミと音楽への言及。
 タイトルの「孤独の要塞からしてスーパーマンの秘密基地の名前なのですが、最初に主人公のディランとその親友となる黒人のミンガスを結びつけるのがアメコミの存在。そして、ディランの人生とともにあるのがトーキング・ヘッズディーヴォブライアン・イーノ、あるいはR&Bやヒップホップと言った音楽。
 このあたりの70年代〜80年代のポップカルチャーがこの小説にはぎっしりと詰め込まれています。


 で、ここまで書いて「エアロマン」と「空飛ぶ指輪」のことにまったく触れていないわけですが、この小説の奇妙なところは、実はこの小説自体はこの「空飛ぶ指輪」という設定がなくても成り立つ点。
 もちろんこの「空飛ぶ指輪」は最後に重要な役割を果たしますが、工夫すればこのホラ話を導入しなくもおそらく似たような結末はつくれます。
 ポール・オースターなんかは真面目な顔してこういった大ボラを寓話へと仕立てるのですが、この小説は寓話にするにはあまりにも現実とリンクしすぎている。ですから、この「空飛ぶ指輪」はリアリズムで書かれた小説の中の異物のようなものになっています。
 もちろん、この中途半端な感じは「ヒーローが成立しない70年代」の寓意ではあるんでしょうが、あまりにその70年代という時代に肉付けをしすぎたために、「空飛ぶ指輪」の存在自体が奇妙な形で浮いている感じです(穿った見方をすれば、それこそ作者の狙いかもしれませんが)。

 ただ、読ませる力があるのは確か。
 分厚いので持ち運びはほぼ不可能ですが、アメリカ文学好きにはさまざまな面で楽しめるかもしれません。


孤独の要塞 (ハヤカワepi ブック・プラネット)
佐々田 雅子
4152089385