コルム・トビーン『ブルックリン』

 表紙裏に書かれているあらすじをは以下のとおり。

 舞台はアイルランドの田舎町エニスコーシーと、ニューヨークのブルックリン、時代は1951年ごろから2年間あまり。主人公アイリーシュはエニスコーシーに母と姉とともに暮らす若い娘。女学校を出て、才気はあるが、地元ではろくな職もないので、神父のあっせんでブルックリンに移住する。そしてアイリッシュ・コミュニティの若い娘たちが住む下宿屋に暮らし、デパートの店員となる。しかしホームシックに悩み、簿記の資格をとるため夜学に通い、週末にはダンスホールに行く。そこでイタリア移民の若者トニーと恋に落ちるが、思わぬ事情でアイルランドに帰国する。ブルックリンへ戻るつもりでいたが、地元でハンサムなジムと再会する……。当時の社会と文化の細部を鮮やかに再現し、巧みな会話と心理描写が冴えわたる傑作長編。

 実はストーリーに関してはこれでほぼ8割は説明してしまっています。
 もちろん「元でハンサムなジムと再会する……」のつづきの展開もあるのですが、ここまでで336ページ中286ページまでいってしまっている。
 もしこれがミステリー小説だったら、「こんなにあらすじをばらしてどうするんだ!?」と言うところでしょう。


 けど、これだけ先がわかってしまっていてもこの小説を読み進めていくのは面白い!
 先がわかっているのにストーリーに引き込まれる、そんな経験を与えてくれる小説です。
 

 訳者があとがきで書いているように、この小説はアイルランドとニューヨークのブルックリンの2つの社会の違いを鮮やかに描いていますし、アイルランド系とイタリア系の対比、黒人の買い物客、野球場の熱気など、舞台となる1950年代前半のニューヨークの情景も見事に描ききっています。
 また、心理描写も上手で、女主人の経営する女性だけの下宿での会話や、アイリーシュの家族のやりとり、純粋なトニーの恋心などの書き方は文句なしの上手さです。


 ただ、この本の魅力がそういった手の込んだ描写だけにあるのかというとそうじゃない。
 それよりも感心したのは、その大胆な省略です。
 例えば、アイリーシュが初めてアメリカに船で渡るときに、船のひどい揺れで猛烈な船酔いに襲われます。しかも、それを見越した隣室の客にトイレを占拠され、一晩中苦しみ続けます。このトラブルをアイリーシュは相部屋になったジョージーナとなんとか乗り越え、そしてジョージーナから「アメリカに上陸するときは結核だと疑われないように絶対に咳をしちゃダメだ」といったアドバイスを受けます。
 読者はてっきり船を降りたあとに、ジョージーナのアドバイスを生かしてアメリカに第一歩をしるすシーンがあるのかと思いますが、そこはバッサリときって、次のシーンではもうブルックリンでの下宿生活が始まっています。
 まるで短編小説のように省略によってストーリーを大きく進めるのです。


 この省略で思い出したのが同じアイルランドの作家で短編の名手のウィリアム・トレヴァー
 トビーントレヴァーの二人には、アイルランド人とその風俗を描いているという共通点の他の、この「省略のうまさ」というものがあると思います(もっともトレヴァーならこのお話を50ページほどで書ききるのかもしれませんが)。
 

 主人公のアイリーシュの旅立ち、恋愛、勉強、仕事、そして運命といったものを「読む」小説で、その「読む」楽しみを十分に味わわせてくれる小説です。


ブルックリン (エクス・リブリス)
コルム トビーン 栩木 伸明
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