1932年にオルダス・ハクスリーによって書かれたディストピア小説の新訳。同じディストピア小説の『一九八四年』が人々を抑圧する社会を描いたのに対して、この『すばらしい新世界』はむしろ人々の欲望が肯定されている世界を描いており、この2つのディストピア小説の違いは以前からよく言及されていました。
ただし、実際に読んだ人が少ないのがこの手の小説の特徴で、訳者の大森望も「訳者あとがき」の中で「ちゃんと読み通したかどうかも定かでなく」と書いています。
ところが、これが意外にも面白い。
1932年の作品ということで当然ながら未来を描きつつも古臭い面はあるのですが、それを補う小説としての面白さがある。
注目が集まるのは、出生瓶から生まれ工場のような場所から生まれてくる子どもや、徹底した条件付けに寄る教育、ソーマと呼ばれるドラッグによる悩みの解消、フリーセックスといったディストピアの設定でしょうが(個人的には不老不死ではなく若い肉体を60歳まで保ってぽっくり死ぬという設定が興味深かったです)、例えば、第3章の3つの場面を畳み掛けるように描く部分なんかは小説の手法としても面白いと思いますし、何よりも登場人物たちのダメさが面白いです。
この手の小説だと、主人公は「ユートピア的な世界に馴染めず、人間の真のあり方を追い求める人間」が設定されますが、この小説の前半の主人公とも言えるバーナードはそれとは少しずれています。
最初こそ、繊細な心を持つために周囲に合わせられない孤独な男なのですが、後半は完全に堕落した俗物です。
そして、後半からはいよいよ「すばらしい新世界」に楔を打ち込む「野人」のジョンが登場するのですが、これがまためんどくさい男なのです。
ジョンは、インディアンの集落で「自然に」生まれた男で、「新世界」では禁書となっているシェイクスピア全集を読んで育った人間です。文字に飢えていた彼は独学でそれを読み込みました。
そのせいもあって、ジョンはシェイクスピアのセリフを引用しまくるのですが、これがうざいのです。
アニメの名台詞を日常会話にどんどん挟み込んでくる人とかを見ると「やめてくれ」と思うことがあるかもしれませんが、まさにそれです。こんな人間がいたら正直引きます。
さらにセックスを持ちかけてきた女性に対して、「恥ずべきだ!」と激怒。暴力までふるうわけですからどうしようもない問題児です。
この男に比べると世界統制官のムスタファ・モンドのほうがはるかに好印象です。
このようにディストピア小説でありながら、善悪二元論的な展開から完全に離れているのがこの小説の面白いところ。世界設定よりも、小説の展開のしかたが「新しい」と思います。