中田潤『ドイツ「緑の党」史』

 ヨーロッパの政治シーンにあって、日本の政治シーンではほぼ存在感がない政治勢力に「緑」があげられると思います。

 その「緑」の中でも、特にドイツの緑の党は以前から存在感を持っており、現在のショルツ政権では与党の一角を担っています。

 

 この緑の党の源流は? と言うと、70年代の新左翼の運動から生まれたエコロジー運動を思い起こす人が多いかもしれません。

 資本主義への批判の1つがエコロジー運動としても盛り上がり、それが政治組織となったというわけです。

 

 ところが、本書を読むと実際はもっと複雑な成り立ちをしていることがわかります。

 戦後西ドイツにおいて、「自然環境保全を主張することは、容易にナチズムによる「血と土」のイデオロギーにミスリードされる危険があり、〜とりわけナチズムの過去の断罪に積極的であった左派陣営にとって、自然保護運動との接触は、ある種のタブー」(8p)でした。

 こうした中で、エコロジーは単純に右派・左派では切り分けられない問題として存在し、そこに新左翼的な運動が合流していくことになります。

 

 本書は、このような複雑な緑の党の来歴を辿り、その担い手を明らかにしつつ、その来歴ゆえの党内対立を追っています。

 そこには右と左の対立には還元できないさまざまな動きがあり、非常に興味深い内容になっています。

 

 目次は以下の通り。

序章

第Ⅰ部 市民運動から連邦政党へ
第1章 前身としての環境保護市民運動――ニーダーザクセン州における原子力関連施
第2章 「緑のリスト・環境保護」の成立――環境保護市民運動からエコロジー政党へ 
第3章 抗議政党から綱領政党への転換
第4章 緑の勢力の結集

第5章 連邦政党緑の党の成立

第Ⅱ部 社会構成と地域的広がり
第6章 左派オルタナティブと各州での緑の運動

第7章 緑の党の社会構成

第Ⅲ部 混迷の時期
第8章 党内対立解消の試み――「左派フォーラム」と「出発派」

第9章 「原理派」の影響力喪失とベルリンの壁崩壊

結びにかえて――緑の党の現在

 

 現在、環境保護というと「左」が重視するテーマというイメージですが、歴史的に見れば必ずしもそうではありません。むしろ、保守主義こそが自然環境を守るという意識に結びつきやすいはずだと言えます。

 

 実際に、ドイツでは「第二次世界大戦前から存在する環境保護団体の多くは、自らの運動の理念と、ナチズムとの間に存在する一定程度の親和性を意識しており、自らの活動が結果的として(引用注:「的」は余計?)ナチズムに荷担することになったという歴史認識を有していた」(28p)のです。

 そのため、彼らは政治的運等とは距離を取り、比較的小さなサークルに閉じこもる傾向があったといいます。

 これが変化してくるのが60年代後半から70年代にかけてです。

 

 この変化のきっかけとなったのが、この時期に盛り上がってきた原子力関連施設に対する反対運動です。

 本書の第1章では、原子力関連施設が集まっていたニーダーザクセン州における反原発市民運動の中から、緑の党へとつながっていく運動が立ち上がってくる様子をみています。

 

 運動の当初はそれぞれの団体が非暴力的な抗議を行うというものでししたが、警察の過剰な暴力の行使や厳しい法的措置に対する反発が運動に新たな展開を模索させることになります。

 一方、警察や行政の中からも反省が生まれ、市民運動との連携などが意識されるようになっていきます。

 

 第2章では、こうした運動から政党結成への至る道が紹介されています。

 西ドイツでは1961〜83年まで連邦議会には3つの政党しか存在しない状況でした。この背景には小政党の議会進出を阻む5%条項の存在などがありましたが、それでも選挙にはおおよそ10〜34の政党が参加しており、必ずしも政治的な活動が不活発であったわけではありません。

 

 こうした状況に風穴を開けたのが緑の党です。第2章では緑の党の前身となった「緑のリスト・環境保護(GLU)」の成立の過程を追っています。

 ニーダーザクセン州に核燃料の再処理施設の建設が計画されたことに対する反対運動に参加した一人にカール・べダーマンがいました。

 べダーマンはニーダーザクセン州の職員でしたが、原子力政策については議会内に批判勢力がなく、既存の政党では変革は期待できないと考え、選挙を通じて変革を訴えようと、1977年にニーダーザクセン環境保護党(USP)を結成します。

 

 一方、1965年にヘッセン州で結成された独立ドイツ人行動共同体(AUD)も、のちに緑の党の代表になるハウスライターのもとで環境政党へと舵を切っていました。

 もともとAUDは東西両陣営から一定の距離を取る中立政策を掲げていた党でしたが、「中立かつナショナルな単位での社会的平等性に重きを置くドイツ」(71p)というAUDの考えはナチズムを想起させるものであり、急進右翼主義政党をみなされていました。

 こうした政策を掲げたAUDは1965年の連邦議会選挙で惨敗しますが、ハウスライターは党の立て直しのために環境保護を打ち出す作戦に切り換えます。

 

 ニーダーザクセン州では、他にも東ドイツから亡命してきたゲオルク・オットーも環境保護を訴える政党を構想していました。

 オットーは自由経済理論を信奉しており、べダーマンの考えとは距離があり、オットーは「緑のリスト・環境保護(GLU)」というグループを作ります。

 このGLUがヒルデスハイム軍議会選挙において1議席を獲得したことで、GLUとUSPの合同に向けた議論が持ち上がり、べダーマンを代表としてGLUの名前を使いつつ、綱領はUSPのものを引き継ぐという形で両党の合同がなります。

 1978年のニーダーザクセン州議会選挙において、GLUは15万7733票を獲得しますが、得票率は3.9%で5%の壁は突破できませんでした。しかし、GLUは消え去ることなく、勢力を拡大させていくことになります。

 

 第3章では、その後のGLUの拡大と変質が分析されています。

 1978年4月に、ニーダーザクセン州議会選挙に向けて開かれたペニッヒビュッテル党大会では、べダーマンの作成したエコロジー問題と経済成長至上主義批判をもとにした綱領をもとに加筆が行われました。

 ここで注目すべきは地域政党からの脱却と、「[ボン]基本法の枠内に置いて活動する」という一文が挿入され、さらに「軍拡競争への懸念」、「有期雇用の拡大とそれによって生み出される構造的な失業の増大への懸念」が書き込まれた点です(104−105p)。

 

 左派オルタナティブ勢力の流入により、彼らが関心を持つ軍拡と雇用問題が盛り込まれる一方、左派オルタナティブ勢力の行動を警戒する価値保守主義者たちの意向によりボン基本法の枠内でという一文が入れられたのです。

 また、それまで原子力、大気汚染といったバラバラの問題として認識されていたものが「エコロジー」という言葉のもとで統合されることになり、新たな社会秩序の模索も始まります。

 

 GLUに左派オルタナティブ勢力が流入することで、そうした党員の中からべダーマンへの批判の声があがります。

 結局、78年7月のリーベナウ党大会でべダーマンは失脚し、代わりにオットーが党代表となります。

 

 緑の勢力はさらに結集していくことになりますが、この過程を描いたのが第4章です。

 1979年、ECは初のヨーロッパ議会選挙を行うことを決定しますが、これが緑の勢力が結集する1つのきっかけになります。

 

 このころオットーは自らの構想について「保守的で、リベラルかつ社会主義的なエコロジー主義者」(145p)から構成される政党ということを述べていました。

 この「保守的」とは「価値保守主義」であり、人々の共同体の維持を重視する考えでした。また、「社会主義」は非マルクス主義的なものであり、オットーにとっては矛盾する考えではありませんでした。

 

 オットーはこうした考えをもとに、価値保守主義たちの「緑の行動・未来(GAZ)」やハウスライターのAUDとも協議を行います。

 一方、緑の勢力への左派オルタナティブ勢力の流入も続き、強い影響を持つようになっていました。

 そのせいもあって緑の勢力が1つの政党にまとまることはなかなか難しく、欧州議会選挙に対しては「その他の政治団体 緑の人々(緑の党)(SPV)」という形で臨むことになります。

 

 SPVの選挙綱領では、エコロジーの優位が冒頭に掲げられ、経済政策については市場原理主義でも東側のような社会主義でもない「第三の道」が打ち出されました。

 また、左派オルタナティブ的な政策である女性解放や社会的少数者の擁護、少数民族問題などが盛り込まれたのも特徴です。

 79年の欧州議会選挙では、SPVは89万票あまりを獲得し、得票率は3.23%。今回も5%の壁は突破できずに議席獲得はなりませんでしたが、ブレーメン州で4.75%を獲得するなど、既成政党を脅かしました。

 

 第5章では、連邦政府緑の党の成立過程がとり上げられています。

 79年の欧州議会選挙をきっかけに緑の党には多くの入党者が現れましたが、その多くは左派オルタナティブ・ミリューの影響を受けていました。

 こうした中で環境保護以外の政策をどうするか? 二重党籍を認めるか否かといったことが問題になっていきます。

 特に教条主義的な左翼勢力は二重党籍の容認によって緑の党に影響力を持とうとする一方、左派オルタナティブ勢力はそうした動きに反発しており、左派内部での対立もはらみながら結党に向けた動きが進みます。

 

 ハウスライターが教条主義的な左翼を抑えるために左派オルタナティブ勢力と協調する姿勢を見せたこともあり、1980年のザールブリュッケン党大会で採択された党綱領は、さまざまな思想のごった煮でありながら、以前よりも社会主義的な色彩を強めたものになりました。

 軍縮や妊娠中絶の合法化、労働時間の短縮など、左派オルタナティブ勢力の主張が盛り込まれていくことになります。

 

 当時の西ドイツの状況と緑の党の変化について、著者は次のように述べています。

 

 1960年代末とは異なり、1970年代末から1980年代という時代における西ドイツ社会の多数派にとって、社会民主主義とは区別される「社会主義」という理念が持つ価値は急激に輝きを失いつつあった。多くの人々は、現状をマネージメントする能力に長けたシュミット政権の中に「社会民主主義」を見出し、それに満足していた。こうした西ドイツ社会の現状があるからこそ、その現状に満足できない人々、とりわけ緑の党に結集していった左派勢力にとって「社会主義」が放つ最後の輝きは、魅力的なものであった。こうした左派勢力は、緑の党の中で理念化・言語化を目指して苦悩する協同主義を、「社会主義」を振りかざしながら大挙して押しつぶしていった事実を、党の成立期においては認識していなかった。結党期緑の党は、「協同主義」という新しい社会秩序理念を生み出す可能性を秘めていたが、それは実際には成し遂げられず、この時点での現実は右派。左派の対立として展開した。(211-212p)

 

 この引用にもあるように、緑の党では右派と左派の対立が展開され、1980年6月にドルトムントで行われた党大会では、ナチズム期にジャーナリストとして体制を賛美していたことなどを理由にハウスライターが党代表を追われます。

 この立役者でもあるオットー・シリーは、「緑の党は「左派的・社会主義的・進歩的」な政党であり、「市民的、既成権力、ファシズム的」な勢力と対置される」(215p)と主張し議論をリードしますが、「市民的」がネガティブに用いられているのがこの時代と緑の党の特徴を示しています。

 

 第6章では、緑の党に大きな影響を与えた左派オルタナティブ勢力とはどんなひとびとだったのか? という問題がとり上げられてます。

 これらの人々は1960年代末の学生運動に関わっていた人が多いのですが、こうした人々の中に、70年代になるとカフェ、ギャラリー、書店、託児所といったオルタナティブ・プロジェクトと呼ばれる活動に従事するようになった人々がいました。

 こうした活動は学生なども惹きつけ、また、社会民主党から離れた人々も集めていきます。さらにはフェミニズム運動も左派オルタナティブ運動の一翼を担いました。

 

 この第6章の章末には、緑の党において重要な役割を果たしたバルドゥール・シュプリングマンがとり上げられています。

 シュプリングマンは、農本主義的な立場から戦前戦中はナチスの運動にも参加し、戦後は有機農業などを通じて新左翼的な流れにも接近したという興味深い人物です。

 日本でも戦前、農本主義者と右翼が結びつきましたが、シュプリングマンは戦後も農本主義的な立場を棄てず農場を経営しました。そして、「非暴力・平和」を掲げて、良心的兵役拒否者が自らの農場で市民的奉仕活動ができるように運動を続けて、ついに当局にそれを認めさせています。

 

 第7章では、緑の党を支持した人が具体的にどんな人々であったかを明らかにしようとしています。
 ここでは、ハノーファーの選挙区の推薦人名簿の住所を地図にプロットすることで、彼らがかなり狭い範囲に固まって住んでおり、それは生活コミュニティであったり、今で言うシェアハウスに集う若者だったことを明らかにしています。

 この部分は研究手法的にも面白いですね。

 

 全体とし見ると、他の既成政党に比べて女性の党員が多く、職業的には公務員、特に教員が多いのが特徴で、GLUの郡支部をみると支部長が教員で、その教え子が創設メンバーといったケースが多数存在するそうです。

 また、緑の党はさまざまな立場の人を取り込みましたが、移民系の住民については取り込めていませんでした。

 

 第8章では緑の党の党内対立とその解消の試みがとり上げられています。

 緑の党は80年代に入っても勢力を伸ばし、1985年にはヘッセン州において緑の党が政権に参加することとなりますが、現実に政権入りが見えてくると、現体制を否定し既成政党との妥協を拒否する「原理派」と、連立を肯定し、体制を内側から変えていこうとする「現実派」の対立が激しくなります。

 

 こうした対立を抱えながらも、1987年の連邦議会選挙において緑の党は得票率8.3%、獲得議席44という大躍進を遂げます。これには前年のチェルノブイリ原発事故が大きく影響しています。

 ただし、この大勝利も党内対立の解消をもたらしませんでした。1987年11月には、党地方議員や活動家が緑の党連邦議会議員団会議の議場を占拠して、党の統一を訴える事件も起きています。

 

 それでもこの対立は党内だけでは解決できず、この局面が転換するのはドイツ統一という問題がせり出してきてからのことになります。この時期の緑の党を分析しているのが第9章です。

 

 まず、本章の前半で緑の党の次のような性格が示されています。

 

 緑の党の一般党員にとって、議員・党執行部といった党エリートは、あくまで一般党員によって形成された政策合意を、議会や世論といった公共空間に伝達する「メディア」にすぎず、またそのメディアは、党大衆からの供給を通して、交代し続けるべきものであった。緑の党は、こうした理念に基づき、党エリートが職業政治家集団へ変質していくことに対して、常に厳しい目を向けており、またそれを防ぐため様々な制度的措置を講じていた。その業務量を考えれば職業生活との両立は事実上不可能であったにもかかわらず、党中央執行部の構成員に対する報酬の支払いはなかったこと、議員職と党執行部職の兼職の禁止、ローテーション制、命令的委任(imperatives Mandat)といった制度は、こうした職業政治家・専門家集団による党支配を防止するという意図から導入されていた。(330p)

 

 しかし、上記のような理念を導入するには党員がかなりの時間を割いて党運営に関わる必要があります。

 緑の党の理念が想定するんは、熟議に恒常的にエネルギーを割くことができるハーバーマス的な「市民」であり、多くの党員にとっては負担が重いものでした。

 

 結果として、緑の党では党内闘争が続くのですが、それを大きく揺さぶったのが東ドイツでの体制崩壊です。

 緑の党の理念にナショナリズムは不要であり、ドイツの統一問題についても深くコミットしてこなかったのですが、再統一の機運が急速に高まるにつれて対応を迫られます。

 とりあえず左派は二国家体制を維持しようとしたものの、1990年3月の東ドイツ人民議会選挙で可能な限り早い統一を求める勢力が勝利すると、二国家体制論は放棄されます。

 

 この流れの中で「現実派」と「出発派」と呼ばれるグループは左派色の一掃を図ろうとしますが、それも失敗し、緑の党からは離島者が相次ぎます。

 結果、1990年12月の連邦議会選挙では得票率4.8%にとどまり、5%条項によって緑の党連邦議会でのすべての議席を失いました(なお、東ドイツでは東ドイツ緑の党と同盟90の政党連合が議席を獲得)。

 

 本書の記述は基本的にここで終わっているのですが、「結びにかえて」で興味深いエピソードが紹介されています。

 著者らが2015年に再生エネルギーを使ったエネルギー協同組合があるブランデンブルク州のフェルトハイムを調査に訪れたところ、現地の職員から「アキエさんも来た」と言われキョトンとしていると、「日本人なのに、日本のファーストレディを知らないのか?」と言われたそうです(355p)。

 

 その後、著者は安倍昭恵氏がスピリチュアリズム国粋主義に傾倒していたことを知り、彼女にはある種の一貫性があると考えるようになったといいます。

 日本では環境保護は左派のイシューだと思われがちですが、戦前には右翼の農本主義者がいましたし、ドイツの緑の党には近代科学技術文明への批判的な態度から自然への回帰や自然との共存という思想に至った人々も流れ込んでいました。

 緑の党のメンバーの大部分はスピリチュアリズムには共鳴せず、社会のさらなる近代化や民主化、環境に優しいテクノロジーによってエコロジー問題を解決しようという方向に向かいましたが、本書が指摘する緑の党の源流の雑多さというのは非常に興味深いと思います。

 

 本書は緑の党の来歴や西ドイツの戦後政治を考える上でももちろん興味深いのですが、さらに政党そのものの運営の問題や、日本の戦後にあり得たかもしれない「保守」「革新」ではない第三の道の可能性などを考える上でも興味深い内容を含んでいます(日本のおける「協同主義」に関しては三木武夫が唱えていた(竹内桂『三木武夫と戦後政治』参照)。

 

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羊文学 / 12 hugs (like butterflies)

 羊文学の昨年でた4枚目のアルバム。

 3枚目の「our hope」と同じく2曲目にシングル曲がきて、終盤でもう1回盛り上がりがくる構成でアルバムとしては同じテイストの印象を受けます。

 比較すると、2曲目の”more than words”は前作の2曲目の”光るとき”に及ばないもののいい曲で、10曲目の”人魚”は前作の11曲目の”マヨイガ”よりもよい。

 そして、8曲目の”honestly”、9曲目の”深呼吸”もよいので、”光るとき”を聴くときのようなインパクトはないものの、トータルの印象だと前作よりもいいかもしれません。

 

 前半だと、以外だと4曲目の”GO!!!”が軽快な感じでいいですね。

 後半は先程も書いた8曲目の”honestly”からの”深呼吸”〜”人魚”の流れがいい。いずれもボーカルの塩塚モエカの良さが活きた曲で、”honestly”はボーカルが盛り上がっていく感じが良く、”深呼吸”は後半の盛り上がってくるギターとの合わせがいいですね。

 ”人魚”は”honestly”と”深呼吸”の良さ、ボーカル自体の盛り上がりとギターの盛り上がりに合わせるボーカルの両方が味わえる曲で、良い曲だと思います。

 「新境地!」みたいなのはないですが、トータルでいいアルバムだと思います。

 


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『哀れなるものたち』

 この作品については以前アラスター・グレイによる原作小説を読んでいて、映画化という話を聞いたまず最初の感想は、「あの話を映画化できるの?」というものでした。

 

 以前のブログ記事では、原作小説のあらすじを次のように紹介しています。

 

 怪人的な容貌を持つ天才医師ゴドウィン・バクスターによってスコットランドグラスゴーで創造されたベラ・バクスターは20代の女性の身体に幼児のような脳を持つ美貌の女性。その姿に一目惚れをしたマッキャンドレスは彼女に求婚、プロポーズは受け入れられるが彼女は弁護士のウェダバーンとヨーロッパ大陸に駆け落ちしてしまいます。
 彼女の並外れた性欲が引き起こすドタバタ劇は、やがて貧富の差や女性差別といった19世紀の社会問題を取り込み、幼児のように無邪気だったベラは社会問題に関心を持つ一人の女性活動家へと成長していきます。

 

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 以上の部分は映画でも共通しています。

 基本となるのはベラという社会の常識をまったく知らない女性のフランケンシュタインがセックスを中心としたドタバタを繰り広げながら、次第に女性活動家として目覚めていくというものです。

 アラスター・グレイの文章を読んでいるときはブラックなユーモアに引っ張られる形ですいすいと読めたのですが、かなり悪趣味な話でもあり、下手に映画化すれば、ポルノグラフィーのようになってしまう話でもあります。

 

 しかし、ここで効いているのが主演のエマ・ストーンで、彼女の演技と、存在感がセックス・マシーンから女性活動家という、ものすごい幅のある変化に説得力を持たせています。

 また、冒頭のロンドンはそれほどでもないのですが、旅の途中のリスボンアレクサンドリアといった都市では完全にリアリティが消されていて、この舞台設定と美術も荒唐無稽な話を受け入れさせる要因になっていると思います。

 

 ただし、原作小説はアーチボールド・マッキャンドレスの語りと、ベラからの反論、そして編者としてこの発見された秘密の書を送り出したアラスター・グレイによる序文と批評的歴史的な註によって構成されるというメタフィクション的な構成なっています。

 マッキャンドレスの語りとベラの語りには相違点があり、読者は何が真実かはっきりしないままに宙吊りにされます。

 

 一方、映画ではそのようなメタフィクション的な仕掛けはできなために、ブレシントン将軍の部分を手厚くすることで、「家父長制批判」というテーマをせり出させています。

 原作小説に比べると、このあたりはやや単純化されているわけですが、原作のような仕掛けを映像化する方法も思いつかないので、これは致し方なしといったところでしょうか。

 

 

 

 

西川賢『社会科学研究者のためのデジタル研究ツール活用術』

 著者の西川先生よりご恵贈いただきました。どうもありがとうございます。

 本書は研究者のためのライフハック術を教えてくれる本で、「本書が想定している読者はどういった方々かというと、それはずばり、若手研究者、そして研究者を志望するポスドク・院生・学部生の方々です」(「はじめに」Ⅳ p)とあります。

 

 ここでハッとします。自分は研究者でも若手でもない…と。

 しかも、本書ではChatGPTや音声入力機器の活用術など、最新のデジタル技術をふんだんに取り入れたライフハック術が披露されているわけですが、自分はスマホも持っていないようなアナログ人間なんですよね…。

 さらに、知的生産術的なものを特に取り入れていない人間で、過去に「在野に学問あり」のインタビューを受けたときも、役立つハウツーみたいなものを紹介できなくて申し訳なく感じていました。

 

 というわけで、本書の内容と自分の間にはかなりのミスマッチが生じているのではないかと思われるのですが、ただ、本書の内容をどれだけ活用できるかは別にして、非常に面白く読めました。

 「マツコの知らない世界」を見て、ゲストがのめり込んでいる対象についてはよくわからなくても、そのゲストのこだわりは非常に面白いといったケースがあるとも思いますが、本書もそんな感じで楽しめました。

 

 もちろん、研究者を目指す人にとって役立つ本だと思いますが、「マツコの知らない社会科学研究者の世界」的な楽しみ方もできる本です。

 

 どんなライフハック術が紹介されているかについては、以下の目次を見ればわかるでしょう。

 

第1章  論文を探す、論文を読む
1-1:論文の探し方
 1-1-1:国立国会図書館サーチの活用、アラート登録など
 コラム 研究費を獲得するには
 1-1-2:ConsensusとConnected Papersを活用する
 1-1-3:論文を入手する
1-2:論文の保存と管理
1-3:論文の効率的な読み方
 1-3-1:DeepL(翻訳ツール)
 1-3-2:DeepLのGoogle Chrome拡張機能を利用する
 1-3-3:オンライン版DeepLを利用する
 1-3-4:自分のPCでDeepLを利用する
1-4:ChatPDFやSciSpaceを使って論文を要約する
 1-4-1:ChatPDF
 1-4-2: 生成AIが「生成」する問題
 1-4-3:SciSpace
 コラム AIを研究で活用するのは倫理・法律に抵触しないのか?
1-5:論文の内容について詳しく調べる
 コラム ChatGPTに画像やPDFをアップして作業する

第2章  調査を行う、論文を書く
2-1:資料やメモを管理する
 コラム 研究補助ツールあれこれ
2-2:クラウドワーカーと連携する―研究活動のギグ・エコノミー化?
2-3:クラウドソーシングの長所・短所
 コラム ChatGPTのアドオンあれこれ
2-4:論文を書く
 コラム ライターズ・ブロック
2-5:WordかLaTeX
2-6 :デスク環境の構築・執筆用機器の選択
 コラム  iPadをどう使うか
2-7:音声入力で執筆する
 2-7-1:音声入力技術を活用してみる:VoiceInの導入
 2-7-2:VoiceInが使えない場合は?
 2-7-3:音声入力に関する補足①:左手デバイスの活用
 2-7-4:音声入力に関する補足②:Otterを活用したフィールドワーク
2-8:生成AIを執筆補助に活用する
 2-8-1:生成AIの登場と論文執筆スタイルの変化
 コラム 英語論文執筆補助ツールあれこれ
 2-8-2:AI の活用方法・論文執筆で使う場合
 2-8-3:GrammarlyとChatGPTの利用(英語校正ツールとして)
 2-8-4:ChatGPTの活用
2-9:英文校正の会社について
 コラム  スクリーンショットを撮る
 コラム  投稿先を見つける

第3章 学会活動で使えるツール活用法
3-1:学会に加入する
 コラム DAO化する学会
 コラム 在野の研究者/アカデキシット
3-2:学会報告用スライドの効率的生成
 3-2-1:学会報告のスライドを作る
 3-2-2:スライドを生成AIで作成する
3-3:学会でメモを取る
 コラム Google Chromeのアドオン
3-4:学会で名刺を配るべきか?
3-5:学会大会を運営することになったら
3-6:オンラインで学会報告するときのコツ

第4 章  研究生活をマネジメントする
4-1:スケジュールを管理する
 コラム メールを書く、英語で会話する
 コラム ほかの研究者とコミュニケーションをとる
4-2:大学授業のデジタル化への対応
 4-2-1:オンライン/オンデマンド授業のやり方
 4-2-2:生成AI による不正をどのように防ぐか
4-3:授業で活用できるさまざまなツール
4-4:授業でAI を活用する
 コラム サイエンス・コミュニケーション/メディアへの出演

おわりに
 コラム 「研究者」という生き方

 

 ご覧の通り、論文の探し方から、さまざまなデジタル機器の使い方、英語論文の執筆の仕方、スケジュール管理、学会の選び方、学会の運営の仕方など、盛りだくさんのトピックになっています。

 

 自分も何か試してみようと思い、「コラム  スクリーンショットを撮る」で紹介されている、Chrome拡張機能である「FireShot」を入れてみましたが、確かに備え付けのものよりもちょっと便利になりますね。

 

 ただし、最初にも述べたように読んでいるだけでも何だか面白いのが本書の特徴で、目次を読んで「うわぁ難しそうな本だ」と思った人も、実際にページをめくってみれば読めてしまう本だと思います。

 

 例えば、第4章の「コラム メールを書く、英語で会話する」では、英文メールを書くときの補助ソフトである「Flowrite」が紹介されていますが、それを使ってつくった「授業に遅刻したことを教授に謝罪するメールの文面」を実例を載せ、さらに「教授になぜ自分が落第したのか、理由を尋ねるメール」と、それに対する教授の返信メールも載せています。

 

 こういうユーモアが随所にありますし、他にも「3-4:学会で名刺を配るべきか?」でも、「論文をください!とアピールしましょう」というような高い目標を言って終わるのではなく、自分の体験を交えながら、QRコード付きの名刺というテクノロジーを利用したそれほどハードルの高くないやり方を紹介しています。

 このあたりは学会に行かない人にも「なるほどね〜」と思って読めるのではないでしょうか。

 

 また、「書けなくなってしまう」ライターズ・ブロックの問題では、小説家の例なども出しながら対処法を紹介しており、研究者以外にも役立つ内容になっています。

 

 目次を見て、これは面白そうだと思った人はぜひ読むといいと思いますし、目次を見てよくわからなかった人でも、読んでみると意外に面白く読めてしまう本だと思います。

 

 

 

アンソニー・ドーア『すべての見えない光』

 これは巧い小説。

 設定だけを見ると、ありがちというか、どこかで誰かが思いついていそうな設定なんだけど、それをここまで読ませる小説に仕上げているのは、アンソニー・ドーアの恐るべき腕のなせる技。文庫で700ページを超える分量ですが、読ませますね。

 

 カバー裏の紹介は次のように書かれています。

 

 ドイツ軍の侵攻が迫るパリ。盲目の少女マリー=ロールは父に連れられ、大伯父の住む海辺の町サン・マロへと避難する。一方ドイツの孤児院で育ち、ヒトラーユーゲントに加わったヴェルナーは、ラジオ修理の技術を買われ、やがてレジスタンスの放送を傍受すべく占領下のフランスへ。戦争が時代を翻弄するなか、交差するはずのなかった二人の運命が“見えない光”を介して近づく―ピュリッツァー賞受賞の傑作小説を文庫化。

 

 この紹介文からもわかるように、この小説は戦場におけるボーイ・ミーツ・ガールを描いています。

 片や盲目の少女で、片やヒトラーユーゲントという設定はドラマチックであり、通俗的に描こうと思えばいくらでもそうできそうな感じです。

 

 ただし、目の見えない人を演じる役者を撮れば、(もちろん役者の演技のレベルによりますが)ある程度「画になる」映画と違って、小説では目が見えない人の世界を文章で書く必要があります。

 これはなかなか難しいことだと思うのですが、ドーアは娘のために父がつくった街の模型の描写などを交えて、これを軽々とクリアーしてきます。

 訳者の藤井光の訳も良いこともあって、比較的短い文章を連ねていきながら、見事に世界を再現しています。

 

 ただ、文章以上に巧さを感じるのがこの小説の構成。

 この小説では、マリー=ロールの話とヴェルナーの話が断章として語られていき、そこにマリー=ロールの父が託された伝説のダイヤを追うフォン・ルンペンというドイツ人の士官の話が挟み込まれます。

 冒頭では二人が出会い、戦場ともなるフランスのサン・マロの街からから始まり、マリー=ロールとヴェルナーの少女、少年時代に戻って、サン・マロへの道のりが語られていくわけですが、この断片の組み合わせ方が非常に巧み。

 

 さらにそこに挟み込まれる伝説のダイヤの話がミステリなって長編を引っ張ります。

 読者は、マリー=ロールとヴェルナーはいつ出会うのか?という思いと、ダイヤの謎を追いかけながら、ページをめくり続けることになるわけです。

 

 そして、ついに出会う2人と戦後の後日談。ここは派手さはないのですが、美しさを感じさせるシーンです。

 「没頭できる長編小説を読みたい!」という人にお薦めですね。

 

 

 

 

 

『窓ぎわのトットちゃん』

 遅ればせながら見てきました。

 評判通りウェルメイドな映画で、アニメの画も演出も非常にレベルが高い。

 昭和の児童画などを参考にしたキャラクターデザインもいいですし、そのキャラがきちんと成長していくところもよくできています。何回かそれまでのトーンとはまったく違うタッチのアニメが差し込まれる演出も面白いですね。

 そして、小林先生というトモエ学園の校長先生で、このストーリーで理想的な存在を演じる役所広司の声がいい。改めていい声をしています。

 

 物語のスタートが日独伊三国同盟が決まった1940年で、ストーリーが進むに連れて戦争の影が濃くなっていくのですが、それを直接的な戦争のシーンなどではなく、子どもを取り巻く風景の変化で描いていることも上手いと思います。

 

 また、この映画を見ると、日中戦争の開始から太平洋戦争の開始に至るまでの期間は、軍国主義に染まっていく時代であるとともに、トモエ学園のようにリベラルで進歩的な学校が存在したり、トットちゃんの家のような西洋的な上流の生活が存在した時代でもあったということもよくわかります。

 トットちゃんの家庭も、トモエ学園の生徒たちも、いわゆる上流階級なので、日本全国がこうだったわけではないはずですが、それでも1930年代後半の爛熟具合というのは改めて注目すべきところですね。

 

 ストーリーの中心となるのは泰明ちゃんという小児麻痺の同級生との交流になるのですが、この泰明ちゃんの描き方も上手くて、彼のコンプレックスや、トットちゃんとの交流で得られた開放感といったものがよくわかるようになっています。

 

 ただし、小1の子どもと一緒に見に行ったのですが、小1の心を掴むにはまだ何かが必要なのかもしれません。

 前半のトットちゃんの行動は面白く見ていましたが、時代に対する知識がなかったり、抑制された演出テクニックを感知できない子どもからすると、物語の中盤においてややダレるかもしれません。

 

 もっとも、「なんでご飯の歌を歌ったら怒らるのか?」とか「後半はなんでみんな暗い顔をしていたのか?」とか聞いてきたので、そういう戦争のことを教えるきっかけとしてはいいのかもしれません。

 小3くらいからなら、もっと自分なりに消化して楽しめる感じですかね?

 

 とにかく当時の時代の描写などはよくできている作品だと思うので、『この世界の片隅に』を気に入った人などには特にお薦めできます。

 

細谷雄一編『ウクライナ戦争とヨーロッパ』

 東京大学出版会のU.P.plusシリーズの1冊でムック形式と言ってもいいようなスタイルの本です。

 このシリーズからは池内恵、宇山智彦、川島真、小泉悠、鈴木一人、鶴岡路人、森聡『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』が2022年に刊行されていますが、『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』がウクライナ戦争の世界への影響を論じていたのに対して、本書はヨーロッパへの影響を論じたものになります。

 

morningrain.hatenablog.com

 

 

 どこまでを「ヨーロッパ」とするかは(特にロシアはヨーロッパなのか?)というのは議論が分かれるところでしょうが、ウクライナ戦争は「ヨーロッパ」で起こった戦争として認識され、それゆえに非常に大きなインパクトを世界に与えました。

 そして、当然ながらヨーロッパ各国にはより大きなインパクトを与えているわけです。

 本書はそんなヨーロッパへのインパクトを豪華執筆陣が解説したものになります。

 

 目次と執筆陣は以下の通り。

序 ウクライナ戦争はヨーロッパをどう変えたのか(細谷雄一

I ウクライナ戦争が変えたヨーロッパ
1 ロシアによるウクライナ侵略がEU拡大に及ぼした変化(東野篤子)
2 NATOはどう変わったのか――新たな対露・対中戦略(鶴岡路人)
3 ウクライナ「難民」危機とEU
   ――難民保護のための国際協力は変わるのか?(岡部みどり)

II ヨーロッパ各国にとってのウクライナ戦争
4 ウクライナ戦争とイギリス
   ――「三つの衝撃」の間の相互作用と国内政治との連関(小川浩之)
5 ロシア・ウクライナ戦争とフランス(宮下雄一郎)
6 ドイツにとってのロシア・ウクライナ戦争
   ――時代の転換(Zeitenwende)をめぐって(板橋拓己)
7 ウクライナ戦争とロシア人(廣瀬陽子)
8 ロシア・ウクライナ戦争とウクライナの人々
   ――世論調査から見る抵抗の意思(合六 強)
9 NATOの東翼の結束と分裂(広瀬佳一)

 

 どの論考も力作揃いではありますが、ここでは個人的に興味を引いた論考を4本紹介したいと思います。

 

ロシアによるウクライナ侵略がEU拡大に及ぼした変化(東野篤子)

 

 今回のウクライナ戦争の勃発とともに、ウクライナNATOへの加盟が再び議論されましたが、現に戦争が続行している状況ではこれは困難です。

 一方、戦争が続行しているにもかかわらず前進したのがウクライナEUへの加盟に向けたステップです。

 それまでEUモンテネグロセルビア北マケドニアアルバニアといったEU加盟を目指す国々に対して非常に緩慢なペースで交渉を行っていました。

 ところが、ウクライナが2022年の2月28日にEUに対して正式に加盟の申請を行うと、西バルカンの国々が何年もかかった「加盟候補国」の地位を6月には得ています(同時に3月3日に加盟申請をしたモルドバも加盟候補国になった)。

 さらに、今まで停滞していた北マケドニアアルバニアの交渉も進み出し、加盟申請をしながらほとんど進展がなかったボスニア・ヘルツェゴヴィナについても2022年の12月に加盟候補国の地位を得ました。

 スウェーデンフィンランドNATO加盟問題と絡んでトルコのEU加盟の議論の再活性化しており、意図せざる結果として、ウクライナ戦争が停滞していたEUの再拡大に火をつけた形になっています。

 

ドイツにとってのロシア・ウクライナ戦争
   ――時代の転換(Zeitenwende)をめぐって(板橋拓己)

 

 ドイツといえば、2022年1月下旬の進行前夜、各国が武器を送る中でウクライナにヘルメットを送って各国の失笑を買うなど、当初はウクライナ支援に腰が座っていないイメージでした。

 2022年2月3日の世論調査では、ドイツ人の71%はウクライナへの武器供与に反対しており、「ノルド・ストリーム2」の停止に賛成する者は29%しかいませんでした。

 しかし、2月24日のロシアの侵攻を受けてドイツは変わります。27日のショルツ首相の演説で「時代の転換(Zeitenwende)」という言葉が使われ、ドイツの姿勢の転換がアピールされました。

 ただし、その後も武器供与の遅れを指摘されたり、防衛費のGDP比2%突破も安定的に実現できそうではありません。

 

 こうした背景にはショルツ政権の事情があります。ショルツ政権は社会民主党SPD)、緑の党自由民主党(FDP)の3党連立であり、それぞれには違った立場があります。

 FDPは基本的に緊縮財政を志向する政党で歳出拡大には慎重でしたし、SPDは歴史的にロシア(ソ連)との経済交流を通じた和解を志向してきた党でした。また、緑の党平和運動を源流とする党です。

 ところが、今回のウクライナ戦争では緑の党が「変貌」しました。特にブチャでの虐殺が明らかになってからは武器供与などにもっとも積極的な党になったのです。

 

 ドイツの外交・安全保障政策には①「「単独行動」の回避」、②「二度と戦争は起こさない」、③「アウシュビッツを繰り返さない」という3つの原則があると言われますが、緑の党は③のために②に関連して避けられていた武力行使の抑制の原則を後退させたとも言えます。

 ただし、シュルツ政権全体が明確にこのような選択を行ったとは言い難く、ドイツは「ポスト冷戦」の時代が過ぎ去ろうとしている中で今までは十分にそれに対応できておらず、今回のウクライナ戦争がまさに「時代の転換(Zeitenwende)」になるだろうというのが著者の見立てです。

 

 

ウクライナ戦争とロシア人(廣瀬陽子)

 

 ロシアの世論調査からロシア人のウクライナ戦争に対する意識を探った論考です。ロシアには今回の戦争に対する「無関心層」がかなりおり(ただし、ロシアの言論状況もあるので本当に「無関心」なのかは留保も必要)、部分的動員が打ち出された2022年9月には一時的に関心が高まったものの、それ以降は再び低下するという傾向を見せています。

 この背景には、ロシア政府が国民を不安にさせないために報道を絞っているといったこともありますが、戦争に「熱狂」しているわけではないのも事実なのでしょう。

 

 プーチン大統領の支持率は高く、2023年10月の調査では「仮にプーチン大統領ウクライナとの停戦を決めた場合、その決定を支持するか」との問に「完全に」「おおむね」を合わせて70%が支持すると答えており、やはりこの戦争はプーチン次第ということがうかがえます。

 ただし、「仮にプーチン大統領ウクライナとの停戦と併合した領土の返還を決めた場合、その決定を支持するか」との質問ではむしろ反対が目立ち、ロシア人が支持するのは「強いプーチン」であり、ロシアの譲歩は簡単にはのぞめないということもわかります。

 

 

NATOの東翼の結束と分裂(広瀬佳一)

 

 ウクライナ戦争の勃発で対応が分かれたのが中・東欧諸国です。ハンガリーポーランドは同じような反EU権威主義的な指導者をいただいていましたが、ウクライナ戦争への反応は見事に分かれました。

 過去の経験からロシアへの脅威を強く感じているポーランドバルト三国ウクライナ支援に積極的になり、一方、ハンガリーブルガリアなどは消極的でした。

 個人的にはチェコスロバキアも武器支援において積極的だったイメージが有りましたが、本稿によると、チェコスロバキアの武器支援は旧ソ連製の武器をこれを機に欧米製兵器に置き換えるという狙いもあったようで、必ずしもウクライナ支援に前のめりだったわけではないようです。

 スロバキアで2023年10月にウクライナ支援に消極的な野党が勝利したように、この地域ではまだまだウクライナ戦争をめぐっての揺れ動きがありそうです。

 

 というわけで、9本中4本を簡単に紹介してみましたが、他の論考も面白いですし、今後の戦争の行方、そしてヨーロッパの行方を考える上で有益なものになっています