ダグラス・C・ノース『経済史の構造と変化』

 ノーベル経済学賞受賞者ダグラス・C・ノースが、人類1万年の経済史を「制度」、「所有権」、「取引コスト」、「フリーライダー」、「イデオロギー」といった概念を使って分析してみせた本。「制度」や「イデオロギー」という言葉が出てきたことからもわかるように、今までの新古典派の経済分析では取り逃がしてきた部分を組み込むことで、「なぜ歴史上、非効率な制度が存続してきたのか?」という問題にも答えようとしています。
 目次は以下の通り。

第1部 理論
第1章 問題提起
第2章 経済の構造ーー序論
第3章 新古典派の国家理論
第4章 歴史上の経済機構ーー分析の枠組み
第5章 イデオロギーフリーライダー問題
第6章 経済史の構造と変化

第2部 歴史
第7章 第一次経済革命
第8章 第一次経済革命ーー機構への影響
第9章 古代文明の経済変化と衰退
第10章 封建制の発達と崩壊
第11章 近世ヨーロッパの構造と変化
第12章 産業革命再考
第13章 第二次経済革命とその帰結
第14章 アメリカ経済の構造と変化 一七八九年ーー一九一四年

第3部 理論と歴史
第15章 制度変化の理論と西洋経済史


 これを見ればわかるように、この本の関心は幅広く、今までの経済学では扱わなかった要素を数多く取り込もうとしてます。例えば、第3章の冒頭は次のように始まります。

 経済成長には国家の存在が欠かせないが、人が引き起こす経済の衰退は、国家に原因がある。この逆説を考えれば、国家の研究を経済史の中心に据える必要がある。(49p)

 経学学というと、「市場の力を信じ、国家の役割を軽く見る」というイメージがあるかもしれませんが、著者は、国家とその国家が作り出す所有権の構造というものを非常に重視しています。


 著者は支配者のいる国家の目的を55pで次の2つに整理しています。

(1) 競争・協力の基本ルールを明確にすることで、所有権構造を規定し、支配者に入る独占利益を最大化する
(2) 第一の目的の範囲内で取引コストを引き下げ、社会の生産を最大化し、国家に入る税収を増やす

 ところが、この2つの目的は完全には両立しません。(2)の目的を追求すれば完全に効率的な所有権の構造が発展するはずですが、それは支配者の利益を最大にするという(1)の目的と対立する可能性があります。また、支配者にライバルが存在すれば、力のある構成員を怒らせて相手陣営に走らせることがないように、支配者は効率を無視して、そうした集団に配慮した所有構造を容認することになります(61p)。
 このあたりは絶対的な皇帝のもとで比較的自由な経済活動が行われた近世の中国と、各地で封建的領主が対立しギルドや座などの特権的集団がいた中世・近世のヨーロッパや日本を対比して考えると納得できるのではないでしょうか。
 

 ただ、そういった非効率な制度を持つ国家であっても意外に長続きすることもあります。著者はその原因としてフリーラーダーの問題をあげています。

 第一に、歴史上これまでみられた国家の安定はフリーライダー問題で説明できる。個人が国家の強制力に抵抗するにはコストがかかるため、国家がどれほど圧政的であっても、個人は行動を起こさず、習慣的に国家のルールを受け入れてきた。(67p)

 そして、革命が必然的に起きると考えているマルクス主義に対して次のような皮肉を浴びせています。

 その重要性を(期せずして)実証しているのが、階級意識・階級の連帯・イデオロギーをさかんに訴えるマルクス主義者の膨大なパンフレット類だ。レーニンやそれに続くマルクス主義者の活動家は、理論や革命の実践でフリーライダーが大きな問題になることを身を以って知っている。(67p)


 また、国家とともに重要な存在でありながら単純な経済理論では扱いにくい企業に関しては、品質の測定コスト、品質の管理コストなどに注目して、その存在意義とはたらきを説明しています。
 商品が複雑になったり、売り手や買い手が少ないと、取引にはその商品の品質を測定するコストや、売り手や買い手が信用できるかどうかを見極めるコストなど、さまざまな取引コストがかかってきます。この取引コストを節約する手段の一つが企業のような階層的な組織です。部品を一つ一つ市場で調達するのではなく、同じ企業内でつくらせればわざわざ品質を測定したり、売り手が信用できるかどうかを見極めるコストは省けます。もちろん、社員がきちんと働いているかどうかを測定するコストはかかってくるわけですが、それは監視のやり方を工夫することで削減する事が可能です。
 こうした理論をもとに、著者は産業革命期における工場や企業の発展を次にように分析します。

 作業場の集約に向けた緩やかな動きは、中央動力源の開発では説明できない。工場のスペースは個人の起業家に貸し出すことが可能で、実際、中央動力源の開発前からスペースの貸し出しが行われていた。むしろ工場製の狙いは、監督者による生産工程の監視にあった。生産工程を直接監督・監視できるようになると、技術改良のコストが低下する。これは各生産工程の「合理化」が監督者の仕事となるためだ。
  <中略>
 従来の産業革命論の多くは重点の置き方が間違っている。技術変化が工場制の導入につながったと論じているが、実際には作業場の集約で監督・分業体制が強化され、従来よりも投入(インプット)の貢献度を正確に測定できるようになり、それが技術の変化につながった。(305p) 


 そして、この本のすごいところは実際にこうした理論でもって人類一万年の歴史を分析している点。 
 農業の開始による第一次経済革命と産業革命に始まる第二次経済革命を中心に、「なぜ農耕が始まったのか?」、「ローマ帝国が滅亡した理由は?」、「封建制度がなぜ発達したのか?」、「スペインやフランスの経済発展はイギリス・オランダに比べなぜスローダウンしたのか?」、「産業革命をどう捉えるか?」、「アメリカ経済は19世紀末からどのように変質したか?」といった問題が考察されています。
 これらのそれぞれの問題に対する著者の見解についてはぜひ本書を読んで確かめて欲しいのですが、例えば、「ローマ帝国が滅亡した理由」については次のように述べています。

 税の負担が増え、それまで享受していた交易の保護も手薄になる中で、個々の構成員にとってローマという世界帝国の一員であるメリットが大きく低下したと言ったほうがいいだろう。帝国内では、内憂外患の絶えないローマ帝国よりも、地元地域のほうが手厚い保護をしてくれるという見方が広がった。
  <中略>
 ローマ帝国は衰退したというより、単に存在意義がなくなったと言ったほうがいい。軍事上の優位が消滅するとともに、従来の大規模な国家形態では所有権の保護と執行が難しくなった。(226p)


 また、産業革命の分析では、18世紀のイギリスに爆発的な発展があったと言うより、そこで生まれた技術やシステムが19世紀後半に「本当の革命」が起こったとしています。そして、その革命を推し進めたのが科学などの基礎知識が発展であり、それを支えたのが特許などの知的所有権の確立でした。
 他にもいろいろと面白い分析がありますし、何よりも一流の経済学者が経済学の視点から書いた通史になっていて、今までの歴史とはまた違った切り口から歴史を見ることができます。
 この分野に関しては今も色々と新しい研究がされているようで、1981年に出版されたこの本の内容の一部は古くなっているのかもしれませんが、全体的に大きな刺激を受ける本であることは間違いないです。


経済史の構造と変化 日経BPクラシックス
ダグラス・C・ノース
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