J・R・ヒックス『経済史の理論』(第6章の147ページまで)

 けっこう前に読んで面白かった本ですが、その時は特にレビューなどを書いていませんでした。
 今回、ちょっと読み直そうと思った+少しまとめる時間ができたので、ヒックス自身が「わたくしの著作のなかでも良い仕事の一つである」(「訳者あとがき」297p)といったされるこの著作をざっくりと振り返ってみたいと思います(結局、第6章の147ページまでで挫折しました)。


 おおまかに言えば、この本は市場がどのように生まれ、どのように発展してきたのかということを書いたものなのですが、その前にまず、ヒックスは非市場経済に注目します。
 この非市場経済のモデルとしたあるのが慣習経済と指令経済です。市場を知らない民族の間でも、多くの場合は慣習によって経済活動が成り立っています。しかし、共同体が危機に陥れば、慣習だけではやっていけなくなり、人々は強力なリーダーの指令を求めるようになるかもしれません。
 ただし、純粋な指令のみの経済は長続きしません。軍隊はいずれ民政府という一つの機関に変えられなければなりませんが、帝国がその段階を通過できずに消滅してしまうことも起きます(35p)。
 

 ヒックスによれば、「封建制」はこの民政府への転換が中途半端なところで止まり安定した例になります。

 軍隊を民政府に転換させていく過程で、それらの社会組織はあまり成功をおさめなかった。将軍たちは領国の支配者に任じられるし、司令官は一地区の官吏に登用される。かれらは自分の以前の地位に対する記憶をもっており、したがって、なお中央に対して何らかの忠誠の感情をもっているのである。しかし、さまざまな指令をかれらに強制するような中央権力は、非常に制限されたものになっており、それ故にかれらに対する権威は、いくらかの伝統的な諸権利において示されているだけにとどまっている。〜つまり指令の要素が残されているといっても、ほんのとるにたらない程度で、ヒエラルキーそのものが慣習化しているのである。(35-36p)


 また、戦時においては軍隊を養うためにしばしば略奪が行われますが、略奪を恒常的に行うことはできません。このとき、恒常的に軍隊を養うためには2つの方法があります。捕虜を奴隷として働かせるか、被支配者に貢租を課す、のどちらかです。一般的に前者は野蛮で後者は文明的に見えますが、ヒックスによればこの2つはそれほど明確に区別はできないといいます。奴隷といえども一定以上の搾取を行えば生産性は減少するからです(36-37p)。


 国王は領地から取り立てた税によって従臣や軍隊を養いますが、ここで問題になるのが取り立てた貢租の輸送の問題です。貢租が現物や労働力であった場合、その輸送の負担は大きくなりますが、その点でも封建制は、貢租を集めた地域の軍の維持に使うことができ、輸送の負担が少ないという長所を持っています。
 

 しかし、封建制は必然的に地方領主の強大化を招きます。そこで、その解決策として登場するのが官僚制です。文官を地方へと派遣し貢租を徴収するのです。
 しかし、何もしなければ文官が地方領主に取って代わるだけです。そこで文官を監視する役職をつくり、昇進制度(ローテーション)で文官を入れ替え、新人登用制度で世襲的なカーストになることを防ぐ必要があります(40-41p)。
 この官僚制の確立に成功したのが中国です。一方、インドのムガール帝国では初期には官僚制がはたらいていましたが、文官は徐々に領主化していきました。


 これらの支配機構は「市場」以前に成立したものですが、この市場以前の経済について、ヒックスは次のように述べています。

 非市場経済を一つの「収入経済(レヴェニュー・エコノミー)」として捉えるこのような見方は、わたくしがこの章で明らかにしたい最後の論点である。そこでは食料やその他の必需品の「余剰物」は耕作者から収取され、官吏に生活資料として提供するために用いられる。「収入経済」は経済機構についての一つの本来的な形態であり、それは市場形態と対比されるべきものである。いいかえらば、市場の発展は「収入経済」を主要な背景として起こったものであり、「収入経済」と対比して考察されねばならないものである。(47p)


 ヒックスは市場の誕生の鍵を商業の専門化に見ています。農民の間での物々交換、外国への使節と贈り物、現物である貢租を他のものに変えるためなど、いくつかのルートで専門的な商人が誕生したと考えられます。そして彼らによって、指令経済でも慣習経済でもない商人的経済が形成されるのです。


 この商人的経済の発展には、秩序の維持、所有権や契約の保護といったものが必要になります。こうした条件はある程度までは商人同士の共同体でも調達可能ですが、法制度などが必要となります。
 ここで発達したのが、ヨーロッパでは都市国家です(ヒックスはヨーロッパとアジアの発展の違いとして都市国家を経由したか否かをあげており、欧州における都市国家発達の条件として地中海の存在をあげている(70-71p))。


 ヒックスは第4章で、都市国家を体外商業のプラットフォームのような存在としてみています。
 例えば、Aという地域で穀物が豊富にとれ、Bという地域で石油が豊富にとれる場合、A地域では穀物が安く石油が高く、B地域では穀物が高く石油が安くなることが予想されます。このA地域とB地域の価格差を利用して利潤を得るのが商人の基本的なスタイルです。
 この商人はより多くの穀物と石油を取引することで利潤を増やそうとすることもできますが、より多くの商品を手に入れるためには購入価格を引き上げる必要が出てきます。つまり「収穫逓減の法則」がはたらき、その取引のうまみは徐々に減退してしまうのです。
 このとき、商人が都市国家に属していると、新たな商売に乗り出すのが容易になります。穀物と石油の取引で使われた法制度や保護は他の取引においても利用可能だと考えられるからです。

 
 このように都市国家の基盤の一つは商業にありますが、都市国家は取引のために植民市を建設し、ときに祖の地域の住民を暴力で支配したり追い出したりすることがあります(ヒックスは商業=平和とはならないことの一例として、第4回十字軍においてコンスタンティノープルで略奪の限りを尽くしたのがヴァネツィア人であることに注意を向けている(92p))。また、商業センターの座を巡って都市国家同士の戦争が起こることもあります。
 

 こうした「商人的経済」の生み出した物の1つが貨幣です。ヒックスは貴金属の貨幣が求められた背景に貨幣の「価値保存」の機能を見ています。そして、この貴金属の貨幣をの均質性を保証するものとして国家が登場してきます(110-114p)
 国家のつくり上げたものとして法律もあります。特にローマ帝国法治主義を貫き、商人法も制定したことから地中海世界では商業活動が活発になりました。この貨幣と法は古代世界の遺産としてその後のヨーロッパ世界を支えたのです。
 

 一方、金融に関しては法はあまり発展せずに、返済を確実なものにするためのさまざまな方法が考案され、やがてそうしたものを法律が包み込んでいくことになるのです。
 また、ヒックスは「有限責任会社」制度を特筆すべき発展としてあげています(134p)。

 王(歴史書に出てくる普通の王や皇帝のことであって、「中期の局面」において主として問題になる)について知りうる一つの事柄 ―歴史書から知るような一般的な事柄― があるとすれば、それは、たいていの場合、王が困窮しているということである。(141p)

 第6章の「国家の財政」のはじめのページにヒックスはこのような文章を置いています。ここでいう「中期の局面」とはだいたい中世から近世にかけての時期です。
 まず、商人経済の発展によって経済の富が大きく増えたにも関わらず租税収入がそれに追いつかなかったという問題があります。それまでの税は主に土地に対して課されており、国家は商人経済に適切に課税する方法をなかなか見いだせませんでした。
 

 「中期の局面」の政府が必要とする収入を徴収することは、きわめて困難であった。「課税の基礎となるもの」は狭いし、徴収は効率が悪かったし、(徴収が非効率であり、しかも税は容易に査定できる人に課せられ、そうでない人には課せられなかったという、まさにその理由によって)それは不公平であった。そして、制度が公平さを欠いていたことが、収入をきわめて非弾力的なものにした理由の一つであった。税が不変のままにとどまっているかぎり、おそらくその不公平さは耐えうる程度のものであった。しかし、一度変化があれば、いつでも不公平さは、はっきりとあらわれてくる。(146-147p)


 と、ここまでが第6章の147ページまでのまとめ。今年の1〜2月は比較的余裕があったので取り組んでみましたが3月以降は振り返る暇がなく、とりあえずここまでとしたいと思います。
 つづきはまたいつの日か(があれば)。


経済史の理論 (講談社学術文庫)
J・リチャード・ヒックス 新保 博
4061592076