チャイナ・ミエヴィル『言語都市』

 『ペルディード・ストリート・ステーション』『ジェイクをさがして』『都市と都市』など、アイディアの詰まったSF作品を次々と夜に送り出しているチャイナ・ミエヴィルの長編が「新★ハヤカワ・SF・シリーズ」に登場。
 裏表紙に書かれている内容紹介は以下の通り。

遙かな未来、人類は辺境の惑星アリエカに居留地“エンバシータウン”を建設し、謎めいた先住種族と共存していた。アリエカ人は、口に相当する二つの器官から同時に発話するという特殊な言語構造を持っている。そのため人類は、彼らと意思疎通できる能力を備えた“大使”をクローン生成し外交を行っていた。だが、平穏だったアリエカ社会は、ある日を境に大きな変化に見舞われる。新任大使エズ/ラーが赴任、異端の力を持つエズ/ラーの言葉は、あたかも麻薬のようにアリエカ人の間に浸透し、この星を動乱の渦に巻き込んでいった…。現代SFの旗手が描く新世代の異星SF。ローカス賞SF長篇部門受賞。


 これと「言語都市」というタイトル(原題はEmbassy Town)からもわかるように、この小説のアイディアの核となるのが、2つの口に相当する器官を持つアリエカ人の話す「ゲンゴ」という言葉です。
 アリエカ人の「ゲンゴ」はたんに2つの口から発せられて言葉が二重になっているだけではなく、2つの口から同じ言葉が「同じ意思」で発せられる必要があります。
 この「同じ意思」というのが曲者で、この「ゲンゴ」では何よりも重要なのは「音声」ではなく「意思」です。ですから、2人の人間が「音声」を真似てもアリエカ人にはまったく通じず、なにからなにまでそっくりな二人一組で「同じ意思」を持つ“大使”と呼ばれる人間が必要となるのです。


 そして、この「意思」が言葉のすべてを規定するという「ゲンゴ」の構造から、アリエカ人は嘘をつくことができません。
 嘘というのは、自分の「意思」とは別の言葉を口にだすことであり、アリエカ人にはそれができないのです。また、そこからアリエカ人は「直喩」は使えても、「隠喩」を使うことはできません。例えば、花子という色白の女性がいたとして、「花子の肌はまるで雪のようだ」と言うことはできても、「花子の肌は雪だ」と言うことはできません(この「直喩」と「隠喩」の区別というのは、それほどはっきりしない場合もあるのですが、「花子の肌は雪だ」という文章は文字通りに解釈すると嘘になる、ということはわかると思います)。
 

 言語哲学を少しかじっているものからすると、このアリエカ人の「ゲンゴ」は、会話において「意思」や「意図」の役割を重視するタイプの言語哲学の一つの限界を見せてくれているようで非常に面白いです。
 ミエヴィルは『都市と都市』でも、「物理的空間を共有する二重都市」という誰も考えつかないような過激なアイディアを見せてくれましたが、この『言語都市』のアイディアもそれに劣らずに過激で独創的。とにかく、この「ゲンゴ」のアイディアだけでも、この本は読む価値があるといえるでしょう。

 
 ただ、ストーリーの後半に関しては残念ながら、そのアイディアの可能性が完全には生かしきれなかった感じがします。
 新任大使エズ/ラーが赴任し、彼らが話す言葉はアリエカ人たちの社会を破壊するほどの影響をもたらすのですが、その仕掛けの説明と、そこからのストーリーの展開がやや残念。
 主人公のかつての恋人であり、言語学者でもあるサイルがこのあたりの謎をうまく解き明かしてくれるのかと思ったのですが、このサイルがうまく使われていないんですよね。
 もっとも、それでも「ゲンゴ」のアイディアを筆頭に、いろいろと面白いアイディアが詰め込まれているのは確かです。ミエヴィルの「世界を構想する力」みたいなものはやはりすごいと思います。


言語都市 (新★ハヤカワ・SF・シリーズ)
チャイナ・ミエヴィル 内田 昌之
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