O・E・ウィリアムソン『市場と企業組織』

 2009年にノーベル経済学賞をエリノア・オストロムとともに受賞したO・E・ウィリアムソンの主著。
 さまざまなことが論じられている本ですが、とりあえずは制度派経済学の立場から、「なぜ、すべて市場で取引されるのではなく企業が生まれるのか? 逆になぜすべての工程が企業内に取り込まれないのか?」という問題を論じた本ということになるでしょうか。
 この問題に取り組んだ本としては、ロナルド・H・コース『企業・市場・法』があるわけですが、この本はそうしたコースの取引費用の考えを採用しながら、さらにハーバート・サイモンの「限定された合理性」の概念をとり入れ、人間が処理し得る情報といった観点なども加えて、企業というものを論じようとしています。


 この「限定された合理性」から企業の利点をあげるとすれば、例えば、次のようなものになります。

 内部組織のもう一つの優位性は、反復的な市場での交換にくらべて、効率的なコード(codes)がもっと発展しやすく、当事者たちに確信をもって使われるということである。このようなコード化(coding)も、限定された合理性を節約する。特異な一言語かもしれないものを用いることによって、複雑な諸事象が非公式な仕方で集約される。(42p)


 市場において問題となるのが機会主義の存在です。市場では経済主体は自己の利益を第一に行動すると考えられているわけですが、そのために「虚偽の、ないしは実体をともなわない、すなわち自分の信じていない、脅しまたは約束」(44p)をするとしたらどうでしょう。市場参加者は、虚偽の説明を見抜いたり、相手に約束を守らせるために多くのコストを負担することになります。
 一方、企業内では企業の利益が共通の利益となるため相手に対して虚偽の説明を行う要因は少なくなるでしょうし、監査も有効になるでしょう。また、問題が起きたときの解決も容易です。


 また、ノウハウの伝承といった点でも企業は強みを発揮します。ノウハウは文書に変換しにくい知識であり、訓練と経験によって伝えられます(57-58p)。これらは市場では取引されにくいものです。
 さらに企業は市場に比べて、「当事者たちのあいだの準道徳的な精神的関与を示す能力において、優越性を持つことが多い」(63p)です。人々は利益だけでなく「雰囲気」といったものを重視することもあり、そうした非金銭的な満足を組織は提供することが出来ます。


 さらにこの本の第3章では、企業においてなぜ階層組織が一般的で、仲間集団は少ないのかという問いに進みます。
 仲間集団も機会主義を防ぐためには有効で、メンバーは互いの能力を認識しやすいですし、メンバー間の相互監視も効きます。
 しかし、階層性のない仲間集団では、そのメンバーが一定の数を超えると相互のコミュニケーションが難しくなります。人間はその限定された合理性ゆえコミュニケーションに無限のリソースを割くことはできないのです。


 このコミュニケーションの問題を解決する手段の一つが単純階層組織になります。情報と意思決定が特定の人物に集中され、そこから各メンバーに指示が行われることによりコミュニケーションのコストは大きく下がります。
 このような情報処理と意思決定の能力を持つ者は限られており、また、より完全な情報を手にすることによって、その人物は他のメンバーに対して戦略的優位性を持ちます(88p)。こうして組織の中に階層が出現するのです。
 ただし、階層組織よりも仲間集団の方が精神的関与を引き出しのに優位性を示すという点があり(91p)、すべての組織が階層組織になるわけではありません。


 第4章では、雇用関係が扱われています。組織のメンバーはなぜ市場でスポット的に募集されるのではなく、雇用という長期的関係にもとづいて集められるのでしょうか?
 その大きな理由となるのが、仕事に関する教育が現場でなければ難しいという面です。企業が特定のスキルを指定し、それを労働者が学校などで身につけるというのは難しいのです。在職者が新人に必要な技能を伝えるには、実際に作業を行うというコンテキストが必要であることが多く、実際にやって見せない限りその技能の教授は難しいのです(108p)。 
 さらに企業を取り巻く環境は変化しており、仕事もその変化に応じて調整を迫られます。そうした複雑性や不確実性に対応するためにも雇用関係は有効です。


 また、内部昇進の慣行(ふつう新人は一番低い職位から入り、高い職位へと出世していく)について、著者は次のように分析しています。

 入口を下位の職務に限定し内部から昇進させる慣行は、経験にもとづく評定に関連して、興味深い含意をもっている。その慣行は、企業が、従業員を下位の職位にまず採用して、経験にもとづき妥当性の保証が得られるにしたがって昇格させることによって、実際には低生産性のタイプの応募者が、自分が高生産性のタイプだとうまく偽って入ってくる危険性から身を守ることを可能ならしめる。のみならず、いったん間違った評価にもとづいて昇格させられたが、そのあとで「見破られ」、それ以後内部昇進の道を断たれたような労働者が新しい組織に移ろうとしても、ペナルティを課されることなしには移れない。(128-129p)


 第5章は垂直統合の問題について。企業はなぜすべての部品を市場から調達しようとするのではなく、その一部を内部に抱え込もうとするのかという問題です。
 これについて著者は、特異な部品などの場合は決まった相手と生産量や価格についての交渉をせざるを得ず、その取引にかかる費用や人間の限定された合理性を考えると、垂直統合が取引費用や情報を節約するのに役立つとしています。また、バーナードなどを引用して、階層組織の上下関係がコミュニケーションが有効に行われるのを助けるとしています(167p)。


 さらにこの垂直統合に関しては第6章と第7章でも議論されています。
 特に第7章では、垂直統合が有利であるならば、「企業が全面的に市場を全面的に先取りしてしまうということが、なぜおこらないのであろうか?」(199p)という問題がとり上げられています。
 ここで問題となるのは組織内で起きるコミュニケーションの歪曲です。組織が大きくなればなるほど全体の合理性と部分の合理性の対立が起きるようになり、また、内部組織の中での馴れ合いのようなものも起きてきます。

 なれあいの相互援助によっておこる歪みを、内部の当事者たちのあいだの「建設的な協力」から区別することは、内部的な互酬が多様で微妙な形態をとりうるために、困難となる。このような状況においては、システムにとっての合理性の立場を表すような調達の基準からはずれるような決定が正当化され、実施されることが、比較的おこなわれやすくなる。(203p)


 さらにこうした馴れ合いは既存のプロジェクトへの固執を生みます。プロジェクトへの評価は党派性を帯び、そのプログラムの生み出す利益が少ないとわかってもなかなか撤退できないのです。このあたりのことについて、この本ではドラッガーを引用しながら次のように述べられています。
 

 ドラッカーは、これに関連して、「いかなる機関も、なに一つ放棄することも好まないものであるが」、予算に基礎を置く機関は、収入に基礎を置く機関よりも、非生産的なプロジェクトないし陳腐化したプロジェクトに固執することになりやすい。それは、後者のタイプの機関の場合には、必要な支持が市場によって取り除かれてしまうからである、と主張している。追加的な取引を市場から企業に移行させると、一般に、予算に基礎をおいた支持が大きくなる。それゆえ、垂直統合が、既存プログラムへの固執という傾向をうみだす。(206p)


 このように、企業組織は欠点ももっており、市場による調達は残らざるをえないのです。
 また、限定された合理性の考えからも企業規模には一定の限界があり、あまりに巨大な組織は管理しきれなくなっていきます。
 この問題に対して、著者は第8章で事業部制の優位を指摘し、第9章ではコングロマリットについて検討しています。さらに技術や組織の革新の問題、独占や寡占の問題を健闘しているのですが、あまりピンとこない部分もあったので、紹介はこの辺りまでにしておきたいと思います。


 さすがに一部は古さも感じさせる本ですし、昔の経営学に特有な用語などもあってやや読みにくい部分もあります。ただし、取引費用や限定された合理性といったキーワードを使った組織の分析には面白いものがあり、今なお古びていない部分も多いと思います。組織に興味のある人にとって手に取る価値のある本と言えるでしょう。


市場と企業組織
オリヴァー・イートン・ウィリアムソン 浅沼 万里
4535572798