稲葉振一郎『「資本」論』読了

 今週はえらく忙しかったんで、日記を書いている暇がなかったんだけど、とりあえず紅白の司会にみのもんたってのはやめてくれ。ただでさえ「スキウタ」とかいうクソっぽい企画でグダグダになりそうな今年の紅白なのに、1年の締めがみのもんたかよ。まあ、紅白フリークなんで絶対見るけどさ。

 稲葉振一郎『「資本」論』を読了。新書なんだけど、ヴォリュームたっぷり、というか北田暁大の『責任と正義』にあるような議論を新書でやろうとした、ある意味無謀な試み。社会契約論について論じた「所有」論から、「市場」論→「資本」論と進む議論は、新書なので(注)がつかず、(注)にまわすべき事柄が本文に埋め込まれていて文章としてはけっこう読みにくい。ただ、第4章の「人的資本」論は面白い。
 労働者が、アガンベンが指摘する「剥き出しの生」として扱われないように、労働者を「労働力=人的資本」という財産を持つ財産主体として位置づける試みは説得力があり、アンングロサクソン的な資本主義がますます加速する中で(「ネオリベラリズム」という言葉は、この言葉を使って非難する対象があまりにも広すぎるんでちょっと無意味に思える)、理論的な立脚点としては使えそうな気がする。
 だから新書ということを考えると、まず「剥き出しの生」に対抗するための「労働力=人的資本」論を早い段階で打ち出し、それを歴史的に肉付けした上で現代の社会状況においてみるほうが議論としてはわかりやすかったと思う。新書としては「教養」を詰め過ぎ。

 あと、印象に残ったのは稲葉振一郎がけっこう「唯物論者」だってこと。エピローグで株式会社に触れて「生身の人間としての株主の意思や欲望」を低く見積もりつつ、自由意志を持つ自律型ロボットの登場により人間とロボットの垣根がなくなってくるとする議論はある種の偏りを感じないでもない。個人的には自律型ロボットよりも、ネットでつながった株主たちの欲望が次々と「カリスマ」経営者を召還し、それによって会社組織が恐ろしく流動的に変えられて行く、という未来のほうがずっとありそうな気がするんですけどね。

「資本」論
稲葉 振一郎
4480062645


晩ご飯はおでん