まあ事件が事件だけに仕方ないけど、「サラリーマンNEO」の休止にしょんぼり。
東浩紀『コンテンツの思想』を読了。2004年から2006年にかけての東浩紀の行った主にアニメやマンガ、ライトノベルをめぐる対論が収められている本。対論相手は新海誠、西島大介、神山健治、伊藤剛、夏目房之介、新城カズマ、桜坂洋といった面々で、時期的に言っても内容的に言っても、『ゲーム的リアリズムの誕生』に至までの流れを感じさせる中身です。
最初の新海誠、西島大介との対談、次の神山健治との対談もアニメの制作論や、押井守論として面白いですが、東浩紀が少し周囲として違う考えをしていて面白いのは、伊藤剛、夏目房之介との対論に出てくる「図象性にキャラの力の根拠を求めるのは違う気がする」という考えと、新城カズマ、桜坂洋との対論で出てくる「キャラの固有名」についての考察。
特に「キャラの固有名」について、
東:問題は固有名そのものなんです。いちど固有名が確立されてしまえば、あとは萌え要素はけっこう変更できるでしょう。「長門有希」という固有名がひとたび成立してさえすれば、それこそ、もし長門有希が江戸時代に行ったら、とかさまざまな二次創作が書けるわけです。
新城:けれど最初の「長門有希」を手に入れるためにはどうしたらよいか、と。
東:そう!それがわからない。『動物化するポストモダン』では、桜坂さんが言おうとしたように、萌え要素いかに組み合わせてキャラクターを生み出すかという話になっていたんだけど。(191p)
というようなことが語られていますが、このあたりは『ゲーム的リアリズムの誕生』でも扱われなかった重要な部分のような気がする。
晩ご飯は豚コンソメシチュー