3冊の『思想地図』

 出たばかりだけど『思想地図β』、面白いです。
 巻頭の猪瀬直樹村上隆東浩紀の「非実在少年」をめぐる対談も熱いですし、その他の特集も非常に力が入っているのですが、一番面白かったのは「ショピングモーライゼーション」というショッピングモール特集。そして、その中でも東浩紀北田暁大速水健朗南後由和の座談会の東浩紀北田暁大の対立が非常に面白いし、考えさせられた!


 もともと『思想地図』という雑誌はという東浩紀北田暁大の二人で始めた雑誌でNHK出版から出ていました。ただ、メンツの割にいまいちな面もあって本当に面白くなったのは、二人の路線が完全に決別した『思想地図vol.4』以降。
 東浩紀宇野常寛と組んだ『vol.4』は、学問的なものを捨てて、完全に「評論」に軸足を移したつくりで、村上隆とか山本寛とが対談に参加、阿部和重鹿島田真希が短編を寄せ、さらに宮崎哲弥なんかを入れた対談もあって、完全に全方位的な「評論」を志向した雑誌になってました。


 で、これで東浩紀は第1期『思想地図』を卒業、という感じだったんだけど、じつはその後の北田暁大編集の『vol.5』もすごかった!
 例えば、Twitterにその時、

例えば、原武史橋本健二北田暁大の「東京の政治学社会学」。原武史のさまざまな社会を切り取る「コンセプト」に対して、橋本健二の統計による「実証」をぶつけている。読んでて面白いのは原武史の発言だけど、重みがあるのは橋本健二の発言。この辺に北田暁大の「学」に対するこだわりが窺える

って書いたけど、全体的に社会「学」に対する北田暁大のこだわりが出ていて、例えば、『世論の曲解』で名指しで北田暁大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』を批判した菅原琢を執筆者に迎えるなど、統計を重視し、「社会学批評」を捨てて、「社会学」に回帰する内容になっています。
 特に『vol.5』所収の佐藤俊樹社会学の非対称性と批評のゆくえ」は90年代末から00年代の「社会学批評」を引っ張ったと言える宮台真司大澤真幸を鋭く批判し、宮台チルドレンをなで切りした過激な内容。そしてなおかつ興味深いルーマン論にもなっているというものでした。


 ここで、社会学出身でもないにもかかわらず「社会学批評」の代表と見られていた東浩紀は「社会学」的なものを捨て、逆に北田暁大は「社会学」に回帰したということになったのです。


 そして、今回の『思想地図β』でのショッピングモールをめぐる対談。
 もともと東浩紀北田暁大の二人には『東京から考える』という都市や郊外の問題について考えた本があって、そこでの問題意識と対立を引き継いだ形で議論は進みます。
 主な発言を抜書きしてみます。

北田暁大
「東さんは、「速い」クルマの文化と連接したショッピングモールを、時間的にゆるい中範囲の公共圏のオルタナティヴとしてたてようとされるわけです。でも僕はどうしてもその「ゆるさ」をクルマの速さで消去することはできないと思うんですね。
 (中略)
 繰り返しますが、ショッピングモールが文化的に貧困だ、けしからん、とかいいたいわけではないんです。そうではなく、日本社会における実装可能性の問題です。もともと鉄道を介した中範囲の公共圏の構造があるのであれば、ニューアーバニズム的に擬制しなくても、ひな形はすでにある。それを知恵を出して使えばよいのではないか。時間的な遅さを時代に応じて再構成していけばよいのではないか。(61p)」

東浩紀
「僕はショッピングモールの本質は、時間あるいは速度の分断にあると思います。自動車の時間と徒歩の時間とネットの時間(=情報流通の時間)という、速度がまったく違うものを共存させるインフラストラクチャーが、ショッピングモールであるということです。(63p)」

東浩紀
コンパクトシティの発想は、むしろ徒歩以外の時間を排除しているように見えます。政治哲学でいえば熟議民主主義の立場と似ている。けれども、消費社会の速度をいちど受け入れた上で、そのなかにゆったりとした時間が流れる公共圏を構築するためにどうするか、それが現代社会の課題だとすれば、むしろショッピングモールのほうが現実的なモデルになるのではないか。(65p)」

東浩紀
「ショッピングモールは、国籍・文化・言語に関係なく消費者を受け入れる場所である。いわばショッピングという行為そのものが、国境やイデオロギーを無化してしまう。そういった行動だから生み出せる公共性にもっと注目してもいいのではないか。
 社会学者や建築家に対してショッピングモールを「擁護」すると、貧困層の現実を排除して成立する、セキュリティが効いた偽のユートピアみたいな空間をなぜ高く評価するのか、と批判を受けることばかりです。しかし本当にそうか。確かにショッピングモールにはホームレスは入れないかもしれない。しかしホームレスが寝そべり運動家が占拠している公園には、今度は親子連れは決して近づかない。問題はバランスです。すべてを受け入れ、何も排除しない公共圏という理想こそがユートピアでしかないわけで、その観点からモールを批判するのは意味がないように思います。(66ー67p)」

北田暁大
「いまの日本では、子どもがいないと、構造的に地域社会に参加できない。学生と文化人ばかりが集うサブカル都市が特殊であるのと同じように、「親」と「子ども」という役割を引き受けられる人たちだけが参与できる社会空間というのもやはり特殊です。では、ショッピングモールは、そういう人たちの社会参与の仕方のオルタナティヴを示してくれるのだろうか。より純化した形で排除されている、ともいえるのではないか。キッザニアのように子連れじゃなきゃ駄目と明言しているところは少ないけれど、ショッピングモールは多かれ少なかれ、「子なし立ち入り禁止(子ども、若者除く)」という見えない札がついているように思えます。(68p)」

東浩紀
「二〇〇一年の9・11以降のセキュリティかをどうとらえるかは、現代の思想にとって重要な問題です。そこで、いってしまえばリベラリズムはセキュリティの論理の前で敗北した。セキュリティが台頭してわかったのは、リベラリズムの枠の中で考えられてきた寛容、オープンネスが、現実にはいかに貧しく非力だったかということです。(72p)」

北田暁大
「住所、社会的宛て名を持たない人びとは空港に入ることはできないし、ショッピングモールに入ることもできない。ファミレスにしても難しい。「地」に足がついてない人たち〜いい方が悪いかもしれません、地に紐づけされていない、というべきですね〜の文字通りの排除のうえに、ショッピングモール的公共性は成り立っている。ショッピングモールならそれでいいかもしれません。しかし公園などからのホームレスの排除は、地に紐づけされていない人の、小さな地を奪い、かれらを都市の「地なき図」へと放逐することにもなる。地に足がつきまくっている中産階層の快適な環境のために、子どもを遊ばせるために、血に紐付けされていない人たちの脆弱な「地」を取り上げるというのは、「公」園のあり方としてはおかしいでしょう。(72p)」

東浩紀
「僕の考えでは、国民IDやバイオメトリクス認証などによる管理システムを全面的に整備すれば、それがいいかどうかという価値判断はともかく、逆に北田さんが提起したような懸念は消えると思いますよ。ホームレスだろうがなんだろうが、安全かを個別に判断できるようになるのだから。(73ー74p)」

北田暁大
「僕がさきほどから問題にしているのは、ショッピングモールは逆説的に、地に足がついている人たちに「地に足をつけなくてもいい」状況を提供する空間になってしまい、地に足がついていない人たちを排除せざるをえないのではないか、ということです。「地に足をつけなくてもいい人たちの公共圏」というのと、「地に足をつけられない人たちの公共圏」とおうのは、微妙ですが、だいぶ異なっている。僕は後者を考えたいし、後者を考えるときやはり実体的な地との連接を重視したい。(75p)」

北田暁大
「僕と東さんは、もう四〇歳ではないですか。この年になって、都会の賃貸マンションで独りで暮らしていて、地域社会とも切り離されて、子どももいない。これは、本当に怖いなと思うようになったんです。(75p)」

東浩紀
「戦後の日本は夫婦間も労使もあるいは私と公もすべてが共依存の泥沼のような社会で、そのなかで「ひとりで生きること」をよしとする思想が必要なのだ、というのはよくわかる。けれど、やはりそのうえで「ともに生きること」の意味をもういちど考えるべきではないか。そのとき、ぼくとしては、表面的には矛盾に聞こえるかもしれませんが、家族や地域共同体の単純な再生というよりも、むしろショッピングモールにこそヒントがあるように感じているんですね。(77p)」

 かなり大胆に引用していしまいましたが、これでも発言の一部。
 しかも速水健郎のわかりやすいショッピングモールについての解説などがこれに加わりますので、本当に充実した座談会になっているのです。
 

 『東京から考える』のときは、正直、東浩紀の郊外論の前に北田暁大が押されていた感じで、きちんとした反論というのは出来ていなかった気がするのですが、『思想地図vol.5』を経て、北田暁大の反論がかなり説得力のある形で展開されている。
 人によっては北田暁大の反論に特に目新しさを感じない間もしれません。「弱者に味方する左翼の理論だ」と。
 けれども、まず東浩紀に対して原理的、あるいは脊髄反射的に反対しているのではなく、東浩紀の理論を咀嚼した上での反論になっているところが貴重ですし、「四〇歳、独身、マンション住まい」という自らの実存が基盤になっていることをが魅力的。
 これは東浩紀にも言えることなのですが、彼のショッピングモール礼賛は、当然ながら娘ができてショッピングモールに行くようになったところから来ています。
 両者ともある意味で「生活者の理論」とも言えると思うのです。
 そういった実存を基礎にした議論のぶつかり合いというのは、それぞれのライフスタイルにも関わることであり、普遍性を持たないようにも思えますが。逆に「大きな物語」や、「大文字の正義」がなくなった現代では、このような実存を経ないと普遍性には辿りつけないような気がします。


 全体的にこの『思想地図β』では、東浩紀は「建築家の知」のようなものを中心に出してきていると思います。アーキテクチャの設計によって、新しいつながりや社会をつくりだそうというイメージです。
 ただ、個人的に気になるし、たぶん北田暁大も懸念していると思うのは、そういったスタイルの「知」は、「資本」を利用するようでいて、結局は利用されてしまう可能性が高いのではないかということ。
 バブル期の現代思想ブームというものを思わずに入られません。
 けれでも、だからこそ東浩紀は、同じく資本を利用してアートの世界で闘っている村上隆にシンパシーを感じているのだろうけど、アートよりもはるかに巨額のお金が動く都市計画といった部分で、思想が資本を乗りこなすことができるのか?というのはなかなか難しい問題だと思います。


思想地図β vol.1
東浩紀
4990524306


思想地図〈vol.5〉特集・社会の批評(NHKブックス別巻)
東 浩紀 北田 暁大 東浩紀
414009348X


思想地図vol.4 特集・想像力 (NHKブックス別巻)
東浩紀
4140093471


東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)
東 浩紀 北田 暁大
4140910747