ヨゼフ・シュクヴォレツキー『二つの伝説』

 批評家たちは、私のチェコの同僚の作家たちの著作の中にも、私自身の本の中にも見出される、悲劇と喜劇の混合に、しばしば当惑する。私たちは、何か特殊な効果を狙ってわざとそうしているわけではない。私たちが若かった頃の中欧では、ただただ、人生がそういう姿をしていただけなのだ。私たちにはどうしようもない。(217P)

 これは訳者あとがきの中で紹介されているシュクヴォレツキーの言葉ですが、これは先日紹介したフラバルの小説にぴったりと来る言葉で、自分でも言っているようにこのシュクヴォレツキーの『二つの伝説』にも当てはまります。


 チェコの小説家の中で、クンデラは1968年の「プラハの春」を境にフランスに亡命しフランス語で創作活動を続け、フラバルはチェコにとどまりチェコ語で創作を続けました。そしてこのシュクヴォレツキーは、カナダに亡命してチェコ語で創作を続けるというちょうど両者の中間のようなスタイルを選んでいます。
 この『二つの伝説』は、社会主義下のチェコのジャズをめぐるエッセイ「レッド・ミュージック」に、二つの中編「エメケの伝説」、「バスサクソフォン」を収録した作品。レベルの高い作品を連発している松籟社の<東欧の想像力>のシリーズの第6弾になります。


 「エメケの伝説」と「バスサクソフォン」は両方ともシュクヴォレツキー初期の中編で、文章的にも内容的にも東欧の小説にしては珍しく青臭いほどの若さが感じられる小説でもあります。
 特に「エメケの伝説」は、レクリエーション・センターでのハンガリー系の女性エメケとのひと夏の恋を描いた作品で、ありがちといえばありがち。主人公の身勝手な感じやライバルである教師の俗物ぶりにも何となく青臭さを感じます。
 ところが、後半でこの教師をゲームでハメるところがブラック。社会主義的な妙な堅苦しさをもった教師が笑いものになるところで読む方にも黒い笑いがこみ上げます。


 「バスサクソフォン」はジャズもので、アルトやテナーに比べるとあまり見ないバスサクソフォンと主人公が出会う話。ドイツ占領下のチェコが舞台の作品で、支配者であるドイツ人と被支配者であるチェコ人の複雑な関係を背景にして、幻想的なセッションが行われます。
 支配者であるはずのドイツ人の演奏家たちもどこか物悲しく、ジャズ発祥の地のアメリカが「光」だとしたら、このチェコ、そして中欧は「影」といった印象を受けます。どこかしら陰鬱なセッションの描写が光ってます。


 <東欧の想像力>のシリーズということを考えると、「普通の小説」というイメージを受けますが、やはり「悲劇と喜劇の混合」という東欧らしさを持った作品です。


二つの伝説 (東欧の想像力)
ヨゼフ シュクヴォレツキー Josef Skvoreck´y
4879842885