2つのレベルで復興を考える・『思想地図β vol.2』を読んで

 『思想地図β vol.2』、さっそく買って読みましたけど読み応えあります。
 『vol.1』については、以前ショッピングモールの特集を中心にこのブログにその紹介を書いたことがありますが、それ以外にも『vol.1』はテーマ的にいろいろあって、まさに「雑誌」という感じでした。
 一方、『vol.2』は「震災」というテーマを共有しながら書き手の問題意識や焦点をあてているレベルが違ってこれまた「雑誌」として面白いです。
 特に良かった記事は、津田大介のルポ「ソーシャルメディアは東北を再生可能にするか」と、東浩紀の「巻頭言」、和合亮一の詩「詩の礫 10」、東浩紀猪瀬直樹村上隆の鼎談といったところなのですが、津田大介のルポとそれ以外の記事は、ともに震災について語りながらずいぶんと違うレベルの話をしている。この2つのレベルの話が同時に掲載されているのが、この『思想地図β vol.2』の面白さです。


 まずは津田大介のルポ。ここでは徹底的に「現場」にこだわった話がされています。
 事件直後のTwitterなどのソーシャルメディアの利用のされ方、ソーシャルメディアにできたこと・できなかったこと、マスメディアの動きなど、津田大介の得意とする分野についての分析ももちろん面白いのですが、それ以上に面白かったのが避難所の様子や現地の行政の動きを伝えた部分。
 避難所への支援において「公平性」が一番のボトルネックになっており、「一人ひとりに均質なものが行き渡り」かつ、「全員に確実に行き渡る」ものでなくてはならないこと。ソーシャルキャピタル(社会的関係資本)を持っている人から避難所を抜けて行ってしまい、ソーシャルキャピタルの乏しい人(例えば、親戚や助けあう仲間などを持たない人)が避難所に残ってしまう問題など、「現場」を取材した人間ならではの報告がなされています。
 特に次の指摘なんかはマスコミにはなかなか出てこない部分で考えさせられます。

 よく聞くのは、避難所生活における様々なアメニティを改善するため、外部から企業や個人が支援活動をしようとして行政に許可を取り付けても、避難所のリーダーの方針でそれが却下されるという話だ。通常、避難所のリーダーは、その地区に住む避難民が担当することが多い。そして一部の避難所では、リーダーが外部からの協力の申し出を頑なに拒否するようなことが頻発しているという。
 拒否する理由は様々だが、総合すると「環境が変わると避難所の秩序が乱れる」ということに集約される。ある避難所では、医療関係に従事する人がリーダーを務めているが、その避難所のリーダーは長い避難生活を送る中で、ある時期から避難所で生活する人たちを「患者」のような目で見て接するようになったという。極限状況の中「自分がしっかりしないと避難所の秩序が守れない」というような強い責任感が発生し、その責任感が結果として、外部からのソーシャルキャピタル流入を妨げているのだ。(63ー64p)


 そしてこのようなことが報道されない原因をマスメディアの持つ「弱者は善良である」という前提だとしている。
 さらに津田大介は行政の機能不全も指摘している。「平成の大合弁」によって巨大化した自治体は、それぞれの事情を抱える各地区の問題をうまく取り扱うことが出来ず、機能不全を起こしている。
 そんな中で地区ごとのローカルコミニティの中には、独自の復興案を作り積極的に動いているところもあるが、そこに国や県が絡むとと途端に物事は動かなくなってしまう。そんな状況が各地で発生しているようです。


 こうした「復興」におけるボトルネックの問題は、別のブログで取り上げた林敏彦『大災害の経済学』でも取り扱っていた問題でした。
 『大災害の経済学』では阪神・淡路大震災の復興にも携わった経済学者の林敏彦が、災害対応では被災自治体(市区町村)が第一義的に責任を持ち、その自治体の資源の限界を超える災害にあたっては、順次上位の自治体や国に調整を求めるという「補完性」の原則と、復興にあたっては個人の資産形成につながらにようにお金ではなくものやサービスを被災者に支給するという「現物支給」の原則の2つが、想定を超える大規模な災害においてはかえって復興の足かせになっているということが指摘しています。
 非常時においては、平常時において守るべき原則が帰って足かせになってしまうことがある。津田大介のルポもこの現象を「現場」への取材から浮き彫りにしています。
 

 このように、いわゆる「復興」について考える上でも、この『思想地図β vol.2』は読み応えがあるのですが、経済的あるいは社会的「復興」だけでは取り戻せないような問題も扱おうとしているのが、この『思想地図β vol.2』のさらに深い所。

 震災でぼくたちはばらばらになってしまった。
 それは、意味を失い、物語を失い、確率的な存在に変えられてしまったということだ。(11p)

 巻頭言で東浩紀はこのように述べていますが、東浩紀がこの本で一貫してこだわっているのは、この震災の意味付けであり、この震災を語る「言葉」であり、もはや取り戻せないものとの関係をどうするかということ。
 

 津田大介のルポを読めばわかるように、「復興」への障害はたくさんあるけど、同時に「復興」の可能性というものもあちこちで見え始めている。
 けれども、瓦礫が片付いても、街が元に戻っても取り戻せないものは確実にある。
 福島の原発の周囲では当然ながらすぐに街が元に戻ることはありえないし、人々の生活もそう簡単に取り戻せるものではない。もちろん死んだ人がもとに戻ることはありえないし、東浩紀が指摘しているように失われた「時間」もまた元には戻らない。
 この「失われたもの」に関しては、和合亮一の詩を読んでも実感できるし、新津保健秀の写真、たとえばランドセルが置かれたままの浪江町の小学校の写真などを見ても実感できると思います。


 こうした「思想的な問題」に関しては簡単に答えが出るようなものではありませんが、少なくともこの『思想地図β vol.2』では、その問題に正面から取り組もうとしています。
 『思想地図β vol.1』において、東浩紀は「『消費の平等』によって一種の共同性が成り立つのではないか?」というコンセプトからショッピングモールの特集を組み、新しい思想の可能性を考えたわけですが、今回の震災はその「消費の平等」という考えを大きく揺さぶりました(この揺さぶりの大きさをどの程度に感じるかは人それぞれだと思いますが、少なくとも東浩紀はこの考えがほぼ無効になったと考えてる)。
 この『思想地図β vol.2』は、「復興」をめぐるさまざまな社会的な問題と、そして震災以後の「連帯の可能性」というより幅の広い問題の両方を考える上で非常に大きな刺激を受ける本です。


思想地図β vol.2
東浩紀 津田大介 和合亮一 藤村龍至 佐々木俊尚 竹熊健太郎 八代嘉美 猪瀬直樹 村上隆 鈴木謙介 福嶋亮大 浅子佳英 石垣のりこ 瀬名秀明 中川恵一 新津保建秀
4990524314


大災害の経済学 (PHP新書)
林 敏彦
4569798748