橋本祐子『リバタリアニズムと最小福祉国家』と損害賠償一元論

 橋本祐子『リバタリアニズムと最小福祉国家』を読了。
 ハイエク自由主義リバタリアニズムの一つの種類に分類してしまっている所とか、リバタリアニズム的な最小福祉国家の基礎付けに「プロジェクト追求者としての権利」という考えを持ち出してくるのはどうかと思うのですが(どんな権利であっても,ひとたび国家などからの干渉を受けない消極的権利以外の権利を基礎に据えると自由が制限されることは避けられないと思う)、いくつか面白い部分もありました。


 一つ目は、パーフィットやフランクファートによる平等主義批判。
 パーフィットは人々の比較による平等よりも人々の絶対的な生活レベルを問題にする「優先性説」を主張し、フランクファートは同じように各人がそれぞれ充分な生活ができるようにすべきだという「充足説」を主張します。
 再分配などを考えるとき、そうしても「平等」という概念を中心に考えてしまいますが、「平等」を協調することは場合によっては足の引っ張り合いや全体的な生活レベルの低下をもたらします。
 そうした「悪平等」をもたらさないためにも、これらパーフィットやフランクファートの議論は参考になるでしょう。


 もう一つは、R・バーネットなどによって主張されている刑罰の「損害賠償一元論」を紹介している所。
 「損害賠償一元論」はその名の通りに刑罰をすべて損害賠償に置き換える考えで、刑罰を被害者に与えた損害に対する金銭補償にとって変えようとするものです(被告人に資力がない場合は労役によって支払う)。
 この本でも書かれているように、この考えには「未遂犯の扱い」や「富者に対する犯罪抑止効果の欠如」といった問題点があるのですが、それでもこの考えに著者が魅力を感じるのは犯罪被害者の救済にこの「損害賠償一元論」が役に立つからです。
 現在の「民刑分離の原則」の元では、加害者が罰せられたとしてもそれによって被害者が実質的な救済を受けるわけではありません。これに対して「損害賠償一元論」ならば、この問題が解決されるというわけです。


 確かに「損害賠償一元論」によって被害者の救済は進むかもしれません。
 けれども、ここ最近の日本における「被害者の権利」といったものの語り口を聞いていると、たぶん犯罪被害者の遺族たちは、この「損害賠償一元論」に反対するでしょうね。
 被害者本人はともかくとして、遺族が口にする「償って欲しい」という言葉には、「償い」というよりも「因果応報」を求めるものがあるように感じます。


 ただ逆に、曖昧模糊とした「被害者の権利」というものをハッキリさせるためにも、この「損害賠償一元論」を議論の対象に載せてみるということは悪いことではないかもしれません。


リバタリアニズムと最小福祉国家―制度的ミニマリズムをめざして
橋本 祐子
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