ポール・ピアソン『ポリティクス・イン・タイム』

 政治学において経済学生まれの合理的選択論が幅を利かせる中で、「歴史は重要である」との主張を行った本。原著は2004年の出版ですが、勁草書房の「ポリティカル・サイエンス・クラシックス」の1冊として刊行されていることからも分かるように、すでに重要な著作としての位置づけを受けています。


 この本の主張として有名なのが「経路依存」の考えです。
 合理的選択論においては、ある制度が選択されるとき、それは有力なアクターの利害関係から説明されます。例えば、90年代に行われた日本の選挙制度改革では、当初、小選挙区比例代表並立制小選挙区比例代表併用制が案として出されましたが、大政党に有利な小選挙区比例代表並立制が選ばれました。これは当時の最大勢力であった自民党や二大政党制を志向した当時のキーパーソンである小沢一郎の利害などからある程度説明できるでしょう。
 

 しかし同時に、この選挙制度改革においては今までの中選挙区制の歴史の積み重ねも大きな影響を与えています。当時の政治家は中選挙区制のもとで当選を重ねてきた政治家であり、白紙の状態から制度を設計できたわけではありません。500という衆議院議席数や政治資金管理団体のあり方などはそれまでの日本の選挙制度のあり方に強い影響を受けています。これが「経路依存」というものです。
 アメリカでは長年「国民皆保険」が実現されずに、オバマ大統領が相当な政治資源をつぎ込み妥協を重ねて「オバマ・ケア」を実現させましたがトランプ政権のもとで廃止が試みられています。これもアメリカの今までの歴史の積み重ねがなせるものといえるでしょう。


 ただ、この「経路依存」に関しては経済学の世界でも研究されてきおたことであります。分野によっては「収穫逓増」の法則がはたらくものがあり、例えば、QWERTY式キーボードやビデオにおけるVHS対ベータなど、技術的な優劣はともかくとして最初にある程度シェアを握ったものが一種の規格となる現象が分析されてきました。クルーグマンの産業立地と貿易をめぐる理論なんかでも、この「経路依存」が重要な役割を果たしています。


 こうしたことも踏まえてこの本が強調するのは政治と経済の違いです。
 まず、政治の世界では「正のフィードバック」が経済の世界よりも強くはたらくと考えられます。市場においても一度シェアを握った企業は有利になりますが、それでも日々ライバル企業から挑戦を受ける可能性があります。
 一方、政権を握った政党は、自ら有利になるように制度を作り変えることができるかもしれません。また、選挙制度によっては新規政党の参入はなかなか難しいです。有権者の側も「自分の票を「死票」にしないためにほかの有権者の行動予測に合わせて自分の行動を変えやすい」(42p)のです。
 さらに政治の世界においては市場における「価格」にあたるわかりやすい指標が存在しません。「政治がうまくいっているのか/いないのか」、「政治がうまく機能していない原因はどこか?」ということを探ることは難しいのです。

 政治において、集団で選択しなければならない状況に対処しようとすれば、巧妙な手続きに頼らざるを得なくなるが、それでは透明さが失われてしまう。つまり、取引費用が大きく上昇してしまうのである。(48p)

と著者は述べていますが、この取引費用の高さが政治の世界の一つの特徴であり、宿命とも言えるものでしょう。さらに市場とは違って政治の世界では日々参加者の意思が表明されているわけではありません。

 政治において誤りや失敗が明らかなときでも、「試行錯誤」の過程による改良が自動的に進むわけではない。多くの参加者(有権者利益集団の一員)は散発的に政治に関与しているにすぎない。投票という単純な手段に見られるように、参加者はおおざっぱな行動手段しか持たず、各人の行為は集計したときにのみ影響力をもつ。行動と帰結をつなぐ因果連鎖は複雑で、そこには長い時間差があるといえるだろう。その結果、誤解は修正されないままに残ってしまうことが多い。(48-49p)

 このため、政治の世界では学習が生じにくくなります。オリヴァー・ウィリアムソンは「企業は自社や他社の経験から学習し、長期的には間違いを修正できる」(51p)と想定しましたが、「政治過程の中核をなす4つの過程(集合行為、制度発展、権限の行使、社会的解釈)は正のフィードバックに満ちて」(51p)おり、自己強化力学を生じさせやすいです。
 

 さらに政治的アクターの時間的射程の問題も絡んできます。本書では次のわかりやすい例があげられています。

 レーガン政権時代の行政管理予算局長だったデイヴィッド・ストックマンの発言は、政策決定者の発言としては類を見ないほど率直である。ストックマンは、社会保障局の長年の問題に対処するために年金改革を検討すべきとの答申を政策顧問から受けると、その答申を即座に拒否した。その理由を問われて、彼は「2010年にだれか別の奴が抱える問題にいまわざわざ多大な政治的資本」を浪費したくないと説明した。(52p)

 政治家を動かす動機として「再選」が注目されることが多いですが、これを別の面から注目すると政治家の判断の基準となるのは数年後の選挙であり、長期的な視野は持ちにくいのです(企業においても日本の数年で退任するサラリーマン社長の場合はこうなりがちなのかもしれませんが)。
 著者はこのことについて、「要するに、経済的領域には存在している所有権に類するものが、政治的領域には存在しないのである」(53p)とまとめています。


 ここまでが第1章の議論。もっとも基本的には社会科学の方法論の本なので、経路依存に理論化についてのブライアン・アーサーの功績だとかダグラス・ノースの貢献だとか、想定される批判への返答といったものが書かれています。
 

 第2章では「タイミングと配列」と題して、出来事が起こる順番の重要性を、アローの「投票のパラドックス」の分析などを例にあげながら説明しています。
 この配列は長期的にも重要で、著者は国民健康保険制度が成立する前に、意思手動の民間保険が定着し、医療産業が確立したことがアメリカでの公的健康保険の導入を難しくしたというジェイコブ・ハッカーの議論などを紹介しています。


 第3章は長期的過程の問題について。
 世の中の現象には、竜巻のように短期間で発生し短期間で被害を与えるもの、地震のように長期的な原因から発生し短期的に大きな被害を与えるもの、隕石による大量絶滅のように短期間で発生し長期的な影響を与えるもの、地球温暖化のように長期的な原因から発生しその影響も長期的なものがあります(104-105p)。
 社会科学においても、こうしたいくつかのタイプの事象があるというのが本章の議論です。
 例えば、識字率が徐々に上昇していき社会に大きな変化をもたらすといった「累積的原因」のようなものも想定できますし、一定の閾値をこえると社会を大きく動かすようなものもあるかもしれません(デモなどは一定以上の参加人数になると急速に影響力を持つようになるかもしれない)。
 また、「xからa,b,cの配列を経てyを生み出す」ような因果連鎖も考えられます(114p)。例えば、著者は福祉国家において保守政権が福祉制度の変更などは出来なくとも減税の実施などによってある程度の期間を経て福祉国家に影響を与える可能性を指摘しています(115p)。
 

 第4章と第5章はそれぞれ「制度設計の限界」と「制度発展」と題され、制度の予期せざる効果や制度が時間とともに定着し発展していく現象の理論化について考察しています。
 ここでも批判されているのはアクター中心主義で、アクターの制度選択だけに焦点を当てるのではなく、その後の制度の運用や発展の過程に注目すべきだと論じています。
 

 また、この第4章では市場を中心とする経済の世界に比べて政治の世界の特徴を次のように説明しています。

 票の獲得と金銭の獲得を同一視しようとする還元主義的な観点に立ったところで、価格という算定基準に類するものは政治には欠けている。政治的アクターの追求する目的は、多岐にわたる。政治家は再選に焦点を絞ることが多いだろうが、ほかのアクター(官僚や利益集団)はそれぞれ異なる野心をもっている。そのため、理論的にも、「効果的」な政治システムとはいかなるものなのかを述べることはむずかしい。多くの場合、政治行動は恒常的に繰り返されるというよりも断続的に進み、行動と帰結をつなぐ因果連鎖は非常に長い。(165p)

 
 初めのほうにも書いたように、「経路依存」の話だけではなく、こうした政治と経済の違い、そしてそこから要請される方法論の違いについて述べているのがこの本になります。
 基本的には政治学やその方法論に興味がある人に向けた本なのでしょうが、「政治」あるいは「歴史」について考えてみたい人にとってもいろいろと面白い論点が提示されている本だと思います。


ポリティクス・イン・タイム―歴史・制度・社会分析 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス 5)
ポール・ピアソン 粕谷 祐子
4326301872