イヴォ・アンドリッチ『宰相の象の物語』

 松籟社<東欧の想像力>シリーズの新刊はボスニア出身のノーベル賞作家イヴォ・アンドリッチの中篇と短篇を集めたもの。

 収録作品は「宰相の象の物語」、「シナンの僧院(テキヤ)に死す」、「絨毯」、「アニカの時代」の4篇。「宰相の象の物語」と「アニカの時代」が中篇、「シナンの僧院に死す」と「絨毯」が短篇のボリュームになります。

 今までけっこう尖った作品を紹介してきた<東欧の想像力>シリーズですが、「宰相の象の物語」も「シナンの僧院に死す」も「絨毯」も「古典的」とも言いたくなるような作品。

 表題作の「宰相の象の物語」は、1820年代のボスニアのトラーヴニクという街を舞台に、オスマン帝国から派遣された宰相ヂェラルゥデインと彼がペットとして飼い始めた仔象をめぐる物語です。

 着任直後にボスニアの貴族たちの粛清を行ったのち、ほとんど姿を見せない宰相ヂェラルゥデインと、その代わりに街を闊歩し好き放題に暴れまわる仔象と、それに対して陰では不満を口にするが表立っては何もできない人々。

 この作品では、仔象がいろいろなもののメタファーとして取れそうな構成になっており、ファシズムナショナリズムに警鐘を鳴らす作品としても読めます。そういった点が「古典的」な感じです。

 

 ただ、その中で面白いと感じたのが、最後に置かれた「アニカの時代」。

 最初はボスニアの田舎町のヴゥヤディン神父という、神父でありながら田舎町の神父という役割をうまく果たせない男を主人公として話が始まるのですが、大きなアクシデントのあと、話はそれより3代ほど前の「アニカの時代」と呼ばれた頃にさかのぼります。

 このアニカの時代とは、アニカという美女が町中の男たちの注目を集め、アニカもまたそれを利用して数多くの男を自らの屋敷の周りに侍らせ、町中を混乱させた時期を指します。

 そのアニカと、よその町から流れてきたミハイロという男との関係と、ミハイロの秘められた過去が語られていくわけですが、全編がややミステリータッチになっていて面白く読めました。

 

 また、19世紀のボスニアを舞台とした作品が多いのですが、その様子にはマーク・マゾワー『バルカン』中公新書)を思いおこさせるものもがあって、そこも興味深かったです。