エヴァンゲリオン旧劇場版を見直して〜青葉シゲルの発見

 先月、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を見てから、TVシリーズと旧劇場版を全部見直すということをやってしまったわけですが、やっぱり面白いし、TVシリーズと旧劇場版の違いというのも見直してみると改めて興味深い。
 TVシリーズの最後では、シンジもアスカもミサトもアダルト・チルドレン的な存在としての同質性が強調され、その中でセラピー的な展開が繰り広げられた、「すべての子どもたちに/おめでとう」となるわけですが、旧劇場版では、アスカが覚醒して母の呪縛を乗り越えることで、アスカが一番強い人物になっている。
 人類補完計画なんかを進めていた碇ゲンドウをはじめとするネルフやゼーレの連中とかが一番「気持悪い」存在だとすると、

 まとも度

 アスカ>>シンジ、ミサト>>>>>>>>>>>それ以外のネルフの人たち
 

 ところが、シンジは庵野秀明のオタク批判のとばっちりを受けて、つまりエヴァを消費していたオタクがシンジに投影されることで、シンジが「気持悪い」と言われてしまう。ほんとに「気持悪い」のは、自らの孤独を埋めるために人類を滅ぼそうとする碇ゲンドウとかなのにね。
 巨大化した綾波レイの圧倒的な気持悪さとかも、どう考えても綾波ファンへの悪意。
 旧劇場版の「Airまごころを、君に」は、ある意味、ファンを裏切ることに全力を尽くしているという、普通ではあり得ないような映画。ただ、それが異常なテンションを生んでいるのでしょうし、個人的にセラピーじみたTV版のラストよりも旧劇場版の酷薄なラストが正しいと思う。


 そして、今回気づいたんですけど、ネルフのロン毛オペレーター(今回見直してみて彼が一度も名前を呼ばれていないことに気づきましたが、青葉シゲルっていうんですね、彼)が、ネルフの中で唯一、人類補完計画に抵抗していること!(単に怖がっているだけですが…)
 ということは、ラストのシンジとアスカの2人のシーンも、シンジ、アスカ、そして青葉シゲルの3人が残るラストでもよかったような…。


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