ブライアン・カプラン『選挙の経済学』

 私の分析から示唆される穏健な改革は、投票率を上げるための取り組みを減らすか、あるいは止めることである。(378p)

 上記の引用文からもわかるように、民主主義に経済学の面から痛烈な懐疑を突きつけた本。
 民主主義において「なぜ間違った政策が選ばれるか?」ということに関しては、今まで有権者がそこまで政治に対してコストをかけていないのに対して、利益集団などの一部の勢力が政治に対して熱心に働きかけているからだ、という説が一般的でした。確かにそれもあるのでしょうが、この本でカプランは「元々有権者には非合理的なバイアスがあるため常に間違った政策が選ばれるのだ」と主張しています。


 カプランによれば、一般の有権者には、「反市場バイアス」、「反外国バイアス」、「雇用創出バイアス」(生産を増やすこと、より安い値段でものを買うことよりも雇用を守ることを重視する)、「悲観的バイアス」(将来を悲観し、今よりも悪かったはずの過去を懐かしむ)の4つの大きなバイアスがあり、そのために合理的な判断が出来ず、選挙では常に愚策が選ばれるというのが著者の主張。
 「反市場バイアス」に関しては、何かにつけて「小泉改革負の遺産」、「行きすぎた市場原理主義」なる常套句が飛び交う今の日本を見れば深く納得で来ますし、「食料自給率の向上」なんかは「反外国バイアス」そのもの。「雇用創出バイアス」についても昨今の「派遣は全部禁止」みたいな論調がそうですし、貧困が満ちていた昭和30年代を懐かしみ、政府の財政破綻を心配する「悲観的バイアス」も当然のごとく存在。
 というわけで、カプランのこの主張は正しいんでしょうね。
 もちろん、こんな印象論ではなくて、カプランは第三章で、経済学者と一般人がどこで違ってくるのかということをアメリカでの調査をもとに分析しています。これを見ると、「反外国バイアス」なんかは明確に確認できますね。


 もっとも、そうしたバイアスを指摘しただけにとどまらないのがこの本の面白さ。
 例えば、この本の第六章の281p〜286pにかけて、投票者は必ずしも利己的な判断をしているわけではないという議論がなされていますが(ハリウッドのスターたちが金持ちへの増税を主張する民主党を支援する!)、それを踏まえると、その前の第五章で紹介されている次のような「表現的投票モデル」に説得力を感じるでしょう。

 ブレナン=ロマースキーは、投票が持つ表現としての機能を指摘している。フットボールのファンたちは、地元チームの勝利をサポートするためではなく、自分のチームへの忠誠心を表現するために応援している。同様に、市民は、政策を実現するためではなく、自分の愛国心や思いやりの気持ち、あるいは周囲に対する貢献を表現するために投票している。(260ー261p)

 

 また、アカロフの情報の非対称性の議論を手がかりに、国民が「小さな政府」を支持しやすいと論じる部分(198ー199p)も面白いです。政府が国民のためになる政策と一部の集団のための政策を用意していて、それが国民から見通せない場合(つまりどのくらいの割合が国民全体のための政策かわからない場合)、国民は、よく性能のわからない中古車を買い控えるように、政府の政策も買い控え、つまり支持しなり、「小さな政府」が選好されることになります。


 こんな感じで、さまざまな民主主義の欠点が指摘されるこの本ですが、では否定ばかりでまったく生産的な議論がされていないかと言うとそうでもない。297pー300pでは、「教育」、そして「所得の伸び」、「職の安定度」は経済的リテラシーを高め、愚策が選ばれる確率を低くすることが示されています。順調な経済成長が続き、適切な教育がなされれば愚策が選ばれる確率は減るのです。
 ただ、これは一方で著者が指摘する次のような事態も招きかねません。

 マイナスの経済的ショックが起きるとすると、所得の伸びと職の安定度は低下し、その結果、中位投票者の経済リテラシーの低下と愚かな経済政策への需要の高まりが起こることになろう。そしてそのことは、経済的パフォーマンスをさらに引き下げることにつながるだろう。私はこの下降方向のスパイラルを「思考の罠」と呼んでいる。この点は、おそらく開発経済学の中心にある謎を解く助けになるであろう。すなわち、なぜ貧困国は貧しいままなのか。(299ー300p)


 不況の中で行われる今度の衆議院議員選挙。自民、民主双方とも、経済的愚策がてんこ盛りの模様。
 不安になってきました…。 


選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか
長峯 純一 長峯 純一 奥井 克美
4822246094