『終の信託』

 周防正行が「安楽死」に挑んだというこの映画、「笑い」が持ち味の周防監督が、「安楽死」という「笑い」の差し挟むことが出来ないようなテーマを料理するのかと思いましたが、ほぼ一切「笑い」なしのドラマに仕上げてきました。
 とりあえず、Yahoo映画のページ載っているあらすじは以下の通りです。

 同じ職場の医師・高井(浅野忠信)との不倫に傷つき、自殺未遂を図った呼吸器内科医の折井綾乃(草刈民代)。沈んだ日々を送っていた彼女は、重度のぜんそくで入退院を繰り返す江木秦三(役所広司)の優しさに触れて癒やされる。だんだんと距離が近づき、お互いに思いを寄せるようになる二人だったが、江木の症状は悪くなる一方。死期を悟った彼は、もしもの時は延命治療をせずに楽に死なせてほしいと綾乃に強く訴える。それから2か月後、心肺停止状態に陥った江木を前にして、綾乃は彼との約束か、医師としての努めを果たすか、激しく葛藤する。


 冒頭、草刈民代が検察に呼び出されたシーンから始まるので、検察の取り調べの中で事件が回想されていくのかと思いましたが、前半は検事は登場せずにほぼ回想シーンが続きます。
 この前半の描き方はまさにあらすじの通りで、草刈民代浅野忠信の不倫、下衆すぎる浅野忠信に傷ついて自殺未遂、優しい役所広司に癒されるという、ある意味でありがちなメロドラマ的な展開。自殺未遂はその後の草刈民代の行動の伏線になるのですが、正直、ここまでの草刈民代の行動に完全に共感できるという人はいないと思います。
 また役所広司との関係も明らかに医師と患者の関係を越えた擬似恋愛的なものですし、子守唄をめぐるエピソードなんかは端から見れば明らかに変だと思います。
 ですから、主人公に感情移入して映画を見るタイプの人にはこの映画は向いていないかもしれません。草刈民代演じる医師はそんなに立派な人ではないからです。


 ただ、だからこそ「安楽死」事件が引き起こされるのでしょう。
 普通の医師ならば「そこまではちょっと…」と考えるラインを踏み越えるのには何がしかの非合理な判断が必要なはずです。この映画の場合、その非合理的な判断を生み出しているのが擬似恋愛的な関係であり、主人公のある種の「弱さ」。
 この映画のモデルとなっている川崎協同病院事件の詳しい内容(殺人罪に問われた医師がどんな人間であったのか?)は知らないのですが、この映画では「安楽死」をするに至る流れをそれなりの説得力を持って描いていると思います。


 もっとも、映画の前半戦は出来としては普通。この映画の魅力は後半の大沢たかお演じる検事の取り調べシーンにあります。
 とにかく、この大沢たかおはすごい!見ているだけで怖くなるようなドSキャラで、草刈民代を攻め立てます。
 草刈民代を自白に追い込もうと、出来事を大雑把に斬って同意を迫る大沢たかお、何とかして医療行為の微妙なニュアンスを伝えようとする草刈民代、それをじっと聞く大沢たかお、そしてちょっとした沈黙に続いて大沢たかおが一喝。
 こうしたシーンが長回しで続くのですが、このシーンは映画館で見ているだけでビビってしまう様は迫力です。先日のネットでの殺人予告の冤罪事件ではないですが、検事の前で虚位の自白をしてしまう心理もわかりますね。
 前作の『それでもボクはやってない』での、大森南朋演じる刑事による取調べシーンもうまかったですが、今回はさらに数段パワーアップ。検察の怖さを存分に見せつけています(だからこそ、常識的な人間である検察事務官の若い男が画面に映るとホッとする)。
 この後半の取調べのシーンは周防正行の上手さが光っているシーンといえるでしょう。そして、医療と法システムの埋めがたいギャップを見せつけられるシーンでもあります。


 「安楽死」をあつかった映画ですが、この映画はいわゆる「泣ける」映画ではありません。また、「ヒューマンドラマ」という枠組にもうまく収まっていないような気がします。
 それでも『それでもボクはやってない』と同じように、静かに社会問題を告発した映画であり、最近の邦画では少ない優れた「社会派映画」といえるでしょう。