イアン・エアーズ『ヤル気の科学』

 著者イアン・エアーズ、訳者山形浩生は、非常に面白くも一方で怖い本でもあった『その数字が戦略を決める』と同じ。前作では「絶対計算」という大量のデータを用いた統計分析が専門家を打ち負かしつつあるということが豊富な事例を使って語られていましたが、今回は人びとのやる気を引き出すコミットメントについて縦横無尽に語っています。
 しかも著者のエアーズはこのコミットメントをネタにしてネットビジネスの会社まで作ってしまったんだからすごいです。


 そのネットサービスというのはstickKという名前で、コミットメントを売る会社といってもいいかもしれません。
 例えば、ダイエットしようと思い立ち半年で5キロ体重を落としたいと思ったとします。おそらく、多くの人がこういったことを「決意」したことがあるでしょう。
 けれども、多くの場合、その決意はうやむやになってしまい成功しません。長期にわたって自分を律することのできる意志の強い人はなかなかいないのです。
 そこでstickKというサービスに登録して、もし約束が守られなかったら預けたお金が自分の嫌いな慈善団体(この本でよく登場するのはジョージ・W・ブッシュ大統領図書館)に寄付されるように手配します。そうすると、すべてではないですが確実にダイエットに成功する割合が増えるのです。
 

 まあ、何だか馬鹿馬鹿しいサービスにも思えます。そんなサービスをわざわざ利用しなくても「本気になれば」、「必要に迫られれば」、ダイエットだって禁煙だって貯金だってなんだってできると考える人も多いでしょう。
 でも、多くの人が出来ないんですよね。人間の意志は弱いのです。


 そこでこの本は「どうしたら自分で立てた誓いを守れるのか?」、「どうしたらやる気を引き出せるのか?」ということを豊富な事例を引きながら徹底的に分析してみせてくれます。 
 「アメとムチ」といってもその使い方はなかなか難しいもので、軽いムチ、例えば少額の罰金などはかえって人びとの罪悪感を麻痺させてしまうことがあります。著者の教え子の学生は卒論を期日内に提出できなかったら毎月100ドルを慈善団体に寄付するというコミットメントをしたのですが、結局、彼女は10年間にわたって合計1万2000ドルを慈善団体に寄付したそうです。人間には目先の損得を重視し将来の損得を軽く見る双曲線割引というものがあるので、トータルではすごい金額になっているとしても大変な論文執筆と目先の100ドルの損失だと目先の損失を選んでしまいがちなんだそうです。
 また託児所で遅刻した親に対して罰金を取るようにしたらかえって遅刻する親が増えたという実験を知っている人もいるかも知れません。この本でも124p以下でとり上げられています。


 他にも、「みんながやっているよ」というメッセージに人は弱い(日本人にかぎらずアメリカ人も)とか、進捗状況をちがって表示するだけでやる気がアップするとか、いろいろな人のやる気を引き出す工夫について知ることができます。
 さらにこの本のいい点は、やる気を引き出そうとしすぎるのもよくないということについても述べている点。自制心というのはある意味で有限な資源であり、常に自制していれないいとお言うものでもないそうです。さらにダイエットなどで目の敵にされる「甘いもの」ですが、自制心を保つために役に立つそうです(243p〜)。もっとも、最近では長期的に自制心を訓練する研究も行われているようで、訓練を受ければ甘いものに頼らずにすむのかもしれませんが。
 そしてこの本の第7章では、「「満足最大化派」と「そこそこ満足派」がどちらが幸せになれるか?」という実験についても紹介しています。学生にアンケートをしてその結果によって「満足最大化派」と「そこそこ満足派」のグループに分けます。この2つの学生グループを比較すると、「最大化派」のほうが就職においてより高給取りの職に就いていたそうです。やはり、妥協しない性格というのが性交をもたらすのは確かなようです。けれども、それで幸せになったかというとそうではありません。「満足最大化派」は客観的に見れば成功しているのですが、「満足最大化派」は職探しに対する満足度は低く、不安で意気消沈していたとのことです(255p〜)。


 こういった部分まで書いてくれているのが、いわゆる「成功の哲学」といった本とは違うこの本の大きな魅力。個人的には『その数字が戦略を決める』ほどのインパクトはありませんでしたが、「へぇ〜」と思いながら楽しく読めた本でした。


ヤル気の科学 行動経済学が教える成功の秘訣
イアン エアーズ Ian Ayres
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