ロベルト・ボラーニョ『鼻持ちならないガウチョ』

 白水社から刊行の始まった「ボラーニョ・コレクション」の第2弾。『2666』とともに、ボラーニョの遺作となった短篇集になります。
 収録作は、「ジム」、「鼻持ちならないガウチョ」、「鼠警察」、「アルバロ・ルーセロットの旅」、「二つのカトリック物語」の5つの短編小説と、「文学+病気=病気」、「クトゥルフ神話」という2つの講演の原稿になります。
 解説や訳者のあとがきを除けば、150ページほどの薄めの本です。


 内容的にも、『2666』はもちろんのこと、「ボラーニョ・コレクション」の第一弾で同じく短篇集だった『売女の人殺し』に比べてもやや軽く感じるかもしれません。 
 例えば、「鼠警察」は「凄惨な殺し」とそれを捜査する警官が描かれている短編なのですが、それが鼠の世界を舞台に描かれています。ストーリーやそこで描かれているものは『2666』の第4部に通じるものですが、カフカの短編「歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族」と関連を持たせるなど、『2666』とは違ってかなり虚構化されています。
 「鼻持ちならないガウチョ」は、ボラーニョらしく「淡々と人間が一線を越える」話。アルゼンチンの経済危機を舞台に、弁護士でもあり西洋的なエリートでもあった主人公が「ラテンアメリカ化」していきます。
 「アルバロ・ルーセロットの旅」は、「剽窃」をテーマに自らの作品がフランスの映画監督によってパクられていることを知ったアルゼンチンの作家ルーセロットが、その見知らぬ相手に一喜一憂しながら、その相手をいつの間にか追い求める話。いかにも、ボラーニョっぽい書きっぷりで面白いです。


 あと、面白かったのが講演の「文学+病気=病気」(「クトゥルフ神話」はスペイン語圏の作家事情に詳しいのであればいろいろ笑えるんだと思う)。
 ボラーニョはもともと詩人で、生活のために小説を書き始めたらしいのですが、基本的にボラーニョの小説には「詩的」なイメージはありません。華麗な文体や強烈な比喩といったものはあまりなく、物事が淡々と記述されている印象を受けます。
 しかし、この「文学+病気=病気」を読むと、やはり「小説家ボラーニョ」の裏に「詩人ボラーニョ」がいたということがわかります。
 マラルメボードレールの詩を引用し、「病気」と「旅」を重ねつつ、そこから文学や詩について語っています。チリからメキシコ、そしてヨーロッパに渡り、自ら50歳で肝臓の病気によって亡くなったボラーニョの文学的なエッセンスが垣間見える講演です。
 最後に、その「病気」と「旅」のつながりの部分を紹介しておきましょう。

 旅は人を病気にする。かつて医者は、とくに神経症の病気を患っている患者には旅を勧めた。患者はたいてい金に余裕があり、勧めにしたがって数か月、ときには数年にわたる長い船旅に出た。神経症の病に罹っている貧しい者たちは旅に出なかった。想像するに、気が狂ったものもいたはずだ。だが、旅に出た病人もやはり気が狂い、さもなければ街や気候、食習慣の変化にともなって新しい病気に罹った。実際、旅をしないほうがよほど健康的だ。動かずに、家から一歩も出ず、冬は暖かく着込み、夏になるまでマフラーをはずさない方がよほど健康的だし、口を開けず、まばたきもしないほうがよほど健康的だし、呼吸もしないほうが健康的だ。だが、人は呼吸をして旅に出るものだ。(129p)


鼻持ちならないガウチョ (ボラーニョ・コレクション)
ロベルト ボラーニョ 久野 量一
456009263X