『バケモノの子』、「熊徹=宮崎駿、九太=細田監督」説

 見てきました。
 タイトルや設定などを聞いた時は、「『おおかみこどもの雨と雪』で描かれた異形の者との間の親子関係を、今度は母子ではなく父子から描くのかな?」と思っていたのですが(だからミスチルのテーマソングも"Starting Over"ではなくて、♪僕らは愛し合い 幸せを分かち合い/歪で大きな隔たりも越えて行ける♪の"fantasy"の方かと思っていた)、もっとエンターテインメントに振り切った作品でしたね。
 かなり詰め込んだ作品ですけれども、脚本的な破綻もなかったですし(ラストの敵に向けての伏線もきちんと張ってある)、絵もきれい、そして役所広司(=熊徹)、染谷将太(=九太・青年)、宮崎あおい(=九太・子ども)といった主役たちのアフレコがよかったです。熊徹の怒鳴り散らしているセリフも、役所広司がうまく深みを与えていて、最後の「泣き」につなげています。
 全体的には非常に完成度が高く、そつがないのですが、気になったのは渋谷の街からバケモノの世界である渋天街に入るときの描写があまりにも『千と千尋の神隠し』に似ているというところ。市場の吊り下げられた食べ物とか意識していないとは言わせないようなレベルです。


 で、思ったのが、「熊徹=宮崎駿、九太=細田監督」なんではないかということ。
 ご存じの方も多いかもしれませんが、細田守監督は、スタジオジブリに出向し、『ハウルの動く城』の監督をする予定で絵コンテなども描いていましたが、諸処の事情から細田監督は降板。『ハウルの動く城』は宮崎駿監督によって作りなおされています(詳しくはWikipedia『ハウルの動く城』の「監督交代と公開延期」を)。
 この映画では、九太は熊徹に「弟子になれ」と誘われて様々な事情から弟子になるのですが、熊徹は剣術を教えるにしても「ガシッと」とか「グワーッと」とか言うだけで、きちんと言葉にして教えることが出来ません。映画の中では、九太が熊徹の動きを真似することで体の動かし方を覚え、足さばきなどに関しては熊徹に教えるまでの存在になるのですが、想像するに細田監督もスタジオジブリに行ったときに宮崎駿の感覚的なアドバイスやダメ出しに面食らったのではないかと(あくまでも想像です)。


 そして、そこまで想像すると、映画の中で九太が読む『白鯨」の本もこの師弟関係を表したものにも見えてきます。
 『白鯨』について、楓は「エイハブ船長は自分の片足を食いちぎられた鯨を敵として負っているけど、本当の敵は自分自身だったのかも」といった事を言いますが、これもモビィ・ディック=宮崎駿、エイハブ船長=細田守なのではないかと。
 さらにラストで、九太は熊徹から「心の剣」というものを受け取るわけですが、これまた、『風立ちぬ』で長編アニメーション映画の世界から引退した宮崎駿からその「精神」の一部を受け取った、あるいは引き継ぐ覚悟があるということを示したものではないかと。
 

 まあ、ここまで何でも結び付けられて映画を見られると細田監督としても迷惑なんじゃないかとも思いますが、それくらい『千と千尋の神隠し』を思わせるシーンがあったということで。


バケモノの子 オフィシャルガイド
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