マーク・マゾワー『国連と帝国』

 授業で国連とかのことを話すときに、「なにか面白い本はないか?」と探していたら、『暗黒の大陸』のマーク・マゾワーが本書『国連と帝国』を出していたことを思い出して、さらに古本がネットで安く買えたので読んでみました。

 中学・高校生向けの授業のネタとしてはほぼ使えない感じではありますけど、いろいろと面白い本ですね。

 読書メモ程度に簡単に振り返っておきます。

 

 目次は以下の通り。

序 章
第1章 ヤン・スマッツ帝国主義インターナショナリズム
第2章 アルフレッド・ジマーンと自由の帝国
第3章 民族、難民、領土 ユダヤ人とナチス新体制の教訓
第4章 ジャワハルラール・ネルーとグローバルな国際連合の誕生
終 章

 

 本書は2007年にプリンストン大学で行われた連続講演をもとにしたもので、イラク戦争などを受けて国連の無力さが露呈された中で、今一度国連の源流を探ってみるといった内容になっています。

 そこで著者が打ち出してくるのが「イギリス帝国との連続性」という意外なものです。なんとなく「第二次大戦によってイギリス帝国は完全に終わった」というイメージがありますが、この「帝国」というのは1つの模範として意識されていて、それが国連の憲章やその他諸々の部分に流れ込んでいるというのが著者の主張になります。

 

 本書の主人公とも言えるのが南アフリカの軍人にして政治家のヤン・スマッツです。スマッツ国際連盟国際連合の創設の両方に関わった唯一の政治家であり、国連憲章の制定にも重要な役割を果たしています。

 一方で、スマッツは母国の南アフリカアパルトヘイトを推進した人物であり、間違いなく人種差別主義者でもありました。

 この「南アフリカの政治家であるヤン・スマッツが、国連憲章の感動的な前文の起草に貢献したという事実をどう考えればよいのか」(21p)というのが本書の出発点になります。

 

 このスマッツと第2章でとり上げられるアルフレッド・ジマーンに共通するのが、世界の文明化には大英帝国的なものが必要だという信念です。

 スマッツ第一次世界大戦のころ、「イギリス帝国を「世界政府の実験として唯一成功したもの」と大いに賞賛」(41p)していました。

 また、スマッツ第一次世界大戦終結にあたって、ウィルソン大統領にはたらきかけていましたが、本書では「二人ともモラリストで、国家や地域の利己的な利益追求を超えた公共倫理なるものを理想化していたし、何よりも、高邁な判断を下せる人間たちが事態全般に取り組めば衝突の源は消え去るという確信を抱いて」(49p)いました。

 

 ただし、ここ最近のBLM運動で批判されたようにウィルソンも実は人種差別的な考えを持っていた人物になります。

 スマッツは「二つの肌の色を混ぜ合わせないこと」(53p)を自明のことと考えていましたし、「白人国家が鎖状につながった」「大南アフリカ」を構想していました(56p)。

 スマッツ国連憲章の前文に基本的人権や人間の尊厳といった概念を盛り込ませましたが、スマッツの中では、文明化の度合いなどによって、集団の扱いが異なるのは当然であり、これらの理想と人種隔離政策が両立していました。

 

 こうした「文明」による教化を重視したのはイギリスで国際連盟の青写真を描き、国際連合創設に関してアメリカにはたらきかけ、ユネスコの創設にも重要な役割を果たしたジマーンにも共通しています。

 古代ギリシャ学について学んだジマーンは、国際政治を古代ギリシャの関係に当てはめ、国際社会における道義性を訴えていきますが、その道義性が拡大していくための裏付けとなる力が、イギリス帝国、あるいはアメリカ合衆国でした。

 

 第3章では亡命ユダヤ人であり、ラファエル・レムキンとヨゼフ・シェクトマンがとりあげられています。

 ここではレムキンが制定に関わったジェノサイド条約がとり上げられていますが、ジェノサイド条約は可決されたものの、「文化的ジェノサイド」の項目は否決され、また冷戦下でこの条約は機能しませんでした。

 国際法と国際的な裁判所によってマイノリティの権利を守ろうというレムキンの考えは骨抜きにされており、「国際連合は全面的に、国際連盟に特徴的であった介入主義から撤退してしまう」(154p)のです。

 

 第4章ではスマッツがインドのジャワハルラール・ネルーの前に敗れ去り、国連が新たな組織として動き出す様子を描き出します。

 1946年、いまだに独立を成し遂げていないなるーのインドは南アフリカにおけるインド人差別の問題を国連総会に持ち込み、「ヨーロッパこそが支配する権利を持っているのだという原理に挑戦して成功した初めての国」(166p)となるのです。

 スマッツイギリス連邦を重視していましたが、母国でのインド人への差別的な政策は、この連邦を引き裂くことになりました。それはスマッツの考えるイギリス帝国の延長系としての国連にも影響を及ぼすものだったのです。

 

 1946年、インドはネルーの妹であるビジャエラクシュミー・パンディットを代表とする代表団を派遣し、国連にこの問題を訴えました。アメリカやイギリス、そして南アフリカなどは、この問題を国際司法裁判所国際法の問題として取り扱うことを望みましたが、インドはこの問題を法曹家に任せることを拒否して総会に持ち込みます。そして、インドは総会で勝利を収め、脱植民地化の動きを確かなものとしたのです。

 スマッツらが掲げた「道義性」はすっかり古いものとなり、別の「道義性」にその座を譲ったのです。

 

 ただし、スマッツの考えが完全に死んだわけではありません。著者は「現在の世代の心地よい人道主義的な言い回しで表されている「失敗国家」という批評は、ヤン・スマッツの世代の文明を盾に取った傲慢さと同じく耳障りに聞こえる」(216p)と書いていますが、この国際政治における「道義性」の問題はいまだに残っているものだと言えるでしょう。