小林悠太『分散化時代の政策調整』

 著者の博論をもとにした本で副題は「内閣府構想の展開と転回」。興味深い現象を分析しているのですが、なかなか紹介するのは難しい本ですね。

 タイトルの「分散化時代」と言っても「そんな言葉は聞いたことがないし、何が分散したんだ?」となりますし、「政策調整」と言ってもピンとこない人が多いでしょう。

 

 そこでまずは第2次以降の安倍政権時に言われた「官邸一強」の話から入りたいと思います。

 90年代後半の橋本行革によって1府12省庁制となり、首相と内閣府の権限が大きく強化されました。それまで日本では各省庁からボトムアップの形で政策形成がなされており、首相のリーダーシップは弱いままにとどまっていましたが、この改革によって「政治主導」の実現が目指されたのです。

 このしくみをうまく利用したのが小泉政権や第2次安倍政権でした。特に安倍政権では内閣人事局の発足も相まって、省庁の官僚を首相や官房長官、あるいは官邸官僚と呼ばれる人々が支配するトップダウン型の「官邸一強」の政治が実現したとの見方があります。

 

 このように内閣府というのは政治主導を実現するためのもので、それが第2次安倍政権ではさらに強化されるようになったというのが一般的な理解だと思います。

 これに対して、本書では内閣府がどのような構想のもとでつくられ変化してきたかを追い、内閣府が政策調整のために省庁側からも必要とされる形で発展してきたと主張します。

 省庁の対応すべき仕事が増加したにもかかわらず人員は増えないという中で、他省庁との協力・調整のために内閣府のような組織が必要とされたのです。

 また、こうした分析を通じて第2次安倍政権による「官邸一強」政治がいかなるものであったのかということも見えてきます。

 

 目次は以下の通り。

序章   本書の目的と構成
第1章 政府中枢に関する理論的検討
第2章 省庁官僚制の長期的変容
第3章 内閣府構想の展開と社会政策
第4章 内閣府の拡充と融解
第5章 政策調整の構造分析
第6章 内閣官房と政策調整会議
第7章 内閣府構想の意義と限界

 

 行政の仕事はそれぞれの官庁による分業制がとられていますが、例えば、クリーンエネルギーの導入などに関しては経済産業省環境省がかかわることになるでしょうし、複数の省庁間の調整が必須となる事業もあります。

 

 日本では1付12省庁制の導入を始めとして何度か行政改革が試みられてきましたが、実は行政改革が行われていない時期に内部部局が変化するという「改革なき変化」があったといいます。

 そして、日本では公務員の定数に対する「総量規制方式」が採用されているために、課の新設には別組織の廃止を伴うというスクラップ・ビルドの原則も生まれました。

 官僚の採用は絞り込まれたことで組織の高齢化も進みます。組織の高齢化は昇任圧力を生み、審議官などの統括整理職が増えることとなりました。

 

 このように課についてはスクラップ・ビルドが行われましたが、一方で課の上にある局については安定していました。

 そして増加したのが室です。室は課の下につくられますが、1989年に235室だった省令室は2018年には575室と約2.5倍増加しています(59p)。これは新たな行政需要に対して課を新設することが難しいので、課の資源を分割して室をつくることでこれに対応しようとしたと思われます。 

 

 この室の増加などに見られる意思決定の分散化は政策調整の必要性を増します。この「分散化」がタイトルにある「分散化時代」の「分散化」になります。

 一方で、省庁の高齢化と管理職の増加は調整を行える人材を生み出しているとも言えます。

 

 では、この分散化時代につくられた内閣府はいかなる存在なのかというのが第3章と第4章の議論です。

 橋本行革以前、省庁をまたがる政策調整にあたったのが経済企画庁科学技術庁国土庁総務庁などの大臣庁や総理府などでした。特に総務庁は青少年対策、北方領土対策、交通安全対策、同和事業など雑多な調整案件を担当しており、総合調整を担う組織でした。

 

 橋本行革ではこの調整機能をどうするかが課題となりましたが、ここで1つの論点となったのが省庁再編によって誕生する巨大省庁に対して、それに対抗する強力な政府中枢が必要だという考えです。分権的な日本の行政機構において省庁再編はその分権性をさらに促進するとの危惧もあったのです。

 また、男女共同参画や防災などの総合調整が必要な案件も内閣府が担当する方向で議論が進みました。

 

 ただし、パワフルな巨大省庁の誕生という予測に関してはやや外れた面もあります。この時期には先述の分散化がすでに進行しており、省庁は少ない資源をさまざまな行政需要になんとか振り分けているような状況だったからです。

 

 実際に内閣府がスタートすると、まずは小泉政権下で経済財政諮問会議が存在感を見せました。この場で積極的に発言することで経済政策において小泉首相がリーダーシップを発揮する構造が見られましたが、2005年の郵政選挙以降はその存在感を低下させ、第2次安倍政権以降でもそれほど大きな存在感を見せているとは言えません。

 

 内閣府の人員は増加しています。2001年度に内閣官房515人、内閣府2210人の計2725人ですが、19年度には計3638人と33%伸びています(101p)。

 ただし、内閣府2210人の中には出先機関沖縄総合事務局の人員もカウントされていますし、人員の増加の理由には原子力防災担当の新設もあります。

 大臣官房の人数はほとんど変わっておらず(103p表4−2参照)、政府中枢が拡大しているとは言えないのです。

 

 内閣府の人員には各省庁からの出向者が多くいます。

 かつては、例えば経済企画庁の幹部ポストが大蔵省や通産省からの出向者によって占められており、それが総合調整を難しくしているとの議論がありました。

 内閣府では経済企画庁国土庁防災局などが再編され政策統括官組織がつくられますた。これは局や課よりも所掌事務の柔軟な配分を可能とするものです。

 そうした中で、科学技術的政策担当や共生社会政策担当などでは機能強化にともなって各省庁との間の組織ネットワークを強化する動きもあります。「政府中枢と省庁官僚制の境界が曖昧となり、相互に侵食しあう「融解」とでも呼ぶべき現象が生まれている」(126p)のです。

 

 内閣府誕生以降も、やはり一部の幹部ポストは出向者によって占められる傾向が見られますが、経済財政分担担当の政策統括官組織で自治省農水省出身者が登用されているなど、人事慣行については変わってきている面もあります。

 

 予算に関しては、補助金や委託金などのプログラム的予算が拡大しており、総合調整だけではなく、自ら政策実施に介入していくようになっていることがうかがえます。

 内閣府が司令塔で各省庁がその手足となっているという形にはなっていないのです。

 

 政策調整と言ってもその内実はさまざまですが、この構造については第5章で分析されています。

 著者がまず注目するのが共管法です。共管法は複数の主務大臣を擁するもので容器包装リサイクル法などがこれにあたります。

 また、食育基本法などに見られる、議員立法によってつくられた基本的な理念や推進体制について定めた法律も増加傾向にあります。

 さらに環境分野では環境政策以外の領域にも環境への配慮を要請するといったことが起きています。

 こうした動きは「主流化」という用語で他の分野でも見られるようになっており、例えば、あらゆる政策にジェンダーの視点を埋め込む「ジェンダー主流化」といったものもあります。

 

 このうち共管法ですが、共管法を所管する省としては農水省経産省国交省環境省が多く、内閣府が関与するものは限定的です。ここから見ると、必ずしも政府中枢に政策調整が集中しているわけではないことがわかります。

 一方、内閣府において存在感が増した分野は共生社会政策担当です。これには犯罪被害者対策や自殺対策、少子化対策、子どもの貧困、食育などが含まれます。

 これらの政策は一般的に政治家の関心が高いものであり、そのために首相の手元に集められたとも考えられますが、著者は「省庁官僚制の弱点を積極的に補ってきたと解釈できる」といいます。「繁忙の度合いを高める厚生労働省や、もともと政策管理能力の低い文部科学省に関連する政策調整を」内閣府が吸収したというわけです(180p)。

 

 第6章は「内閣官房と政策調整会議」という題で、さまざまな政策調整会議と内閣官房の役割やその変化が分析されています。

 第2次以降の安倍政権で目立ったのは、さまざまな会議の乱立と菅官房長官の存在感でしたが、その内実を教えてくれてもいます。

 中央省庁の再編時に想定されたのは内閣府特命担当大臣による府省間調整でした。ところが、実際には内閣官房による調整が行われています。これはなぜなのか? というわけです。

 

 政府入りした政治家が行政官や有識者とともに政策決定を行う場を政策会議と言います。この政策決定会議には儀礼的を含めてさまざまなレベルのものがありますが、本書では、その中でも「①内閣官房もしくは内閣府が庶務に関与する合議体であり、かつ②府省の代表として政治家もしくは官僚が関与するもの」(158p)を「政策調整会議」と定義して分析しています。

 

 本書ではこの政策調整会議について、首相を含む首相主導型、首相を含まず内閣官房長官を含む官房長官参加型、その他の閣僚級の人物が出席する閣僚委任型、それ以外の政治家が参加するその他の型に分けて分析しています。

 第1次安倍政権の2007年、第2次以降の2013年、2019年を比べると、政策調整会議はいずれの型も増加傾向で、さらに2013年と19年を比較すると官房長官参加型の増加が目立ちます(163p表6−1参照)。このあたりには菅官房長官の権力の増大がうかがえます。

 

 小泉政権では経済財政諮問会議が大きな役割を果たしたのに対して、第2次以降の安倍政権では政策調整会議が次々とつくられ、それが総合調整を行いましたが、この政策調整会議の濫造によって内閣府の存在感は低下したとも言えます。

 第2次以降の安倍政権における首相と官房長官の役割分担では、警察、外務、法務、国交の4省に関する政策調整の多くが官房長官に委ねられています。これは内閣府や共管法ではカバーできない部分の調整が官房長官のもとに回ってきていると考えられます。

 さらに政務の内閣官房副長官などを議長とする官房長官ラインの政策調整会議が局長級の官僚を束ねる政策調整の場となっており、ここにも官房長官の影響力の拡大がうかがえます。

 

 こうした分析を受けて、著者は第7章で次のように述べています。

 省庁再編時に予測された強力な大型官庁は、結局のところ姿を表すことはなかった。むしろ分権型組織管理の継続により府省横断的な資源配分が困難な状況で、省庁間のキャパシティー格差が大きく顕在化したのが21世紀の行政官僚制なのである。ここで「内閣府構想」のB面とでも呼ぶべき、旧総理府総務庁系を継承した「その他調整」の共生社会政策への発展は大きな意義を持つ。「警察、司法行政と連絡調整」に関する経験を軸としつつ相対的に政策調整能力が低下した省庁の限界を補完することで、重要政策会議や御三家型ネットワークでは対応しきれないタイプの行政需要を吸収することを可能にしたからである。(182p)

 

 これだとわかりにくいかもしれませんが、もともと定員を抑えられたことと組織の高齢化で数少ない資源を室に分散させてなんとか新たな行政需要に対応していた省庁は、省庁再編によっても大きな資源を手にできたわけではなく、特に他省庁とのネットワークを持たずに(この御三家は146pの農水・国交・経産の「新御三家」とイコールでいいのかな?)巨大な仕事を抱えた厚労省や調整下手の文科省などは新たな行政需要に対応する能力を失っていってしまった。だから、それらの官庁に代わって調整を引き受ける内閣府の役割が増大したのだ、という感じでしょうか。

 

 このように本書は、「首相権力の強化のために内閣府もその規模を拡大し、いわゆる「官邸官僚」が跋扈するよいうになった」というイメージを修正しています。

 もちろん政治主導という「上からの要因」もあるのですが、資源が限られる中で省庁が政策調整のために内閣府を頼り、それが内閣府の規模拡大につながっているという「下からの要因」もあるのです。

 

 そんなにわかりやすい叙述ではないですし、何よりもとり上げられていることはマニアックなのですが、「安倍一強」「官邸一強」などと呼ばれた政治の内実や、「ポスト安倍・菅政権」を考える上でもさまざまな示唆を与えてくれる本となっています。