『ゴジラ−1.0』

 まず、『シン・ゴジラ』の後で、それとかぶらないようにしてきた戦略は上手い。

 舞台を現代にすればどうしても『シン・ゴジラ』と比較されるし、また、政治を出しても『シン・ゴジラ』と比較されてしまうでしょう。そして、おそらく山崎貴監督は政治とかを描いてうまい監督ではないでしょう。

 そこで、舞台を終戦直後にし、政治がまったく機能しておらず、民間人がなんとかしなくてはならないという設定している。

 さすがに米軍が動いてくれないという設定は厳しいと思いますが、アメリカ人のきちんとした俳優を揃えようとすると予算が膨らんでしまうとかいろいろあるんでしょう。

 

 ゴジラの暴れ方などは初代のゴジラを踏襲していて、銀座の破壊や実況中継をしているアナウンサーがやられるシーンなどは初代と同じですね。

 一方、熱戦を吐くシーンは『シン・ゴジラ』を踏まえている感じで、初代に比べて圧倒的に派手です。

 本作では、放射能で巨大化する前のゴジラも登場するのでしが、こちらは『ジュラシック・パーク』みたいな感じで、サイズが小さい分、かえって人間からすると怖さがあります。

 全体的にゴジラの出てくるシーンはよく出来ていると思います。

 

 ゴジラに対する作戦としても、民間主体でできて、なおかつ、科学的にもそこそこ説得力があるというものとして成立していると思いますし、作戦を立案した科学者役が吉岡秀隆で、吉岡秀隆がしゃべるで説得力があるというのもあります。

 本作に登場するキャラクターの造形で一番うまくいっているのが吉岡秀隆の野田さんだったと思います。

 

 メインは神木隆之介浜辺美波で「らんまん」コンビなわけですが、今回の神木隆之介は万さんとは違ってずっとピリピリしていますね。浜辺美波の芯を感じさせる安定感は今作でも健在です。

 安藤サクラのキャラの序盤での描き方とかは好きではないですが、後半になると露骨に鼻白むような演出もなくなるので、中盤以降で興が削がれることはないです。

 

 そして、「特攻」を注意深く描き、右派にも左派にもそれほど反発を受けないような形で提示しているのが、良し悪しは別にして脚本的な巧さでもあります。

 「特攻」という作戦を否定せずに、同時に「日本は命を粗末にしすぎてきた」と言わせる脚本が絶妙なバランスを発揮しています。

 ただし、そこに日本政府が不在だというのも考えてみれば奇妙なことではあるのですが。