アイナ・ジ・エンドが主演で、そのバディ的な役として広瀬すずが出ているという情報を聞き、一種の青春音楽映画を想像しながら見に行ったら、かなりガッツリとした震災映画でもありました。
上映時間が3時間近くある作品になっていますが、これは同じ岩井俊二監督の『リップヴァンウィンクルの花嫁』のように話がどんどん展開していくから長くなったというよりは2つの作品を1つの作品としてまとめあげたからなんだと思います。
映画.comの解説には以下のように書かれています。
石巻、大阪、帯広、東京を舞台に、歌うことでしか“声”を出せない住所不定の路上ミュージシャン・キリエ、行方のわからなくなった婚約者を捜す青年・夏彦、傷ついた人々に寄り添う小学校教師・フミ、過去と名前を捨ててキリエのマネージャーとなる謎めいた女性・イッコら、降りかかる苦難に翻弄されながら出逢いと別れを繰り返す男女4人の13年間にわたる愛の物語を、切なくもドラマティックに描き出す。
でも、この解説から想像する内容と実際の映画の内容は随分と違うものです。
まず、「男女4人の13年間にわたる愛の物語」とありますが、一般的な男女のカップルはこの4人のどの間でも成立していません。
前半で高校生時代のイッコ(広瀬すず)が家庭教師としてやってきた夏彦(松村北斗)と出会うシーンがあるので、ここからこの2人が恋愛関係になるのか?などと思いますが、そういった展開はしないのです。
歌うことでしか“声”を出せない路上ミュージシャン・キリエ(アイナ・ジ・エンド)がイッコに見出されて、自分の歌を世に出していくというストレートな展開でも、この映画は成り立ったと思います。
アイナ・ジ・エンドの歌には人を惹きつけるものがありますし、音楽に小林武史が入っていることもあって楽曲的にもばっちりです(ただし、アイナ・ジ・エンドの自作の歌もかなりあった模様)。
撮ろうと思えば、夏彦とフミ(黒木華)を抜いた脚本でも1本の映画になったと思います。
ところが、本作はフミが孤児のようになっていたキリエ(本名はルカ)を見出し、夏彦がルカとイッコ(本名は真緒里)を引き合わせます。
そして、この複雑な関係の裏には東日本大震災が絡んでいるわけです。
震災と松村北斗というと、新海誠の『すずめの戸締まり』を思い出すわけですが、この映画を見て、改めて岩井俊二と新海誠はこだわっているものが似ていると思いました。
『ラストレター』を見たときは『秒速5センチメートル』みたいだと思いましたが、今回の震災へのこだわりは『君の名は。』以降の新海誠に通じます。
もちろん表現手法は違うのですが、失われてしまったものへのこだわりとか、ある種の間隔を共有しているように思います。
この『キリエの歌』も東京は新宿中心に撮ってますし、児童保護の制度の描き方なども考えてみれば『天気の子』に通じるものがあるかもしれません。
過去の岩井作品とのつながりもいろいろとあって、例えば、『リップヴァンウィンクルの花嫁』で派遣の教師をしていた黒木華は、今作ではいい先生になっていますし、『ラストレター』の庵野秀明に対して、今作では樋口真嗣が出ています。
また、シーンとして似ているわけではないですが、ラスト近くの青い花をもった広瀬すずが光の中に消えていきそうなシーンは、『スワロウテイル』の看板が釣り上げられていくシーンを思い出しました。
こういった印象的なシーンを撮る力はやはりありますね。
歌い手としてのアイナ・ジ・エンドにもっとドはまりすると、この映画自体にももっとドはまりするのでしょうが、その歌には存在感がありますし、歌のシーンはどれも良いと思います(個人的に言うと砂浜で歌うシーンのチェロはなくても良かった気が)。
簡単には消化しきれないような、さまざまなものを抱えながら、最後にはふわっと飛び立つような感覚が味わえる映画ですね。