『アリスとテレスのまぼろし工場』

 00年代のセカイ系とか10年代の深夜アニメの雰囲気を濃厚にたたえた作品で、さらに福島第一原発事故をモチーフにした作品でもあります。設定にはけっこう無理もありますが、それを含めて00〜10年代をギュッと濃縮した作品だという印象を持ちました。

 

 ちなみに、セカイ系の影響というともちろん新海誠もそうですが、新海誠は『君の名は。』以降、セカイ系的なシチュエーションをウェットにしすぎない手法(RADWIMPSの歌とか奥寺先輩とか)を確立して幅広い層に訴求することに成功したのに対して、本作はそこを「ウェットさ上等!」という感じで突き抜けています。ラストに流れるテーマソングが中島みゆきですし、このウェットさは狙い通りでしょう。

 また、本作は新海誠が『すずめの戸締まり』で避けた福島第一原発事故に向き合おうとした作品と言えるかもしれません(とは言っても放射能的なものはない)。

 

 公式サイトに載っているストーリーは以下の通り。

 

 菊入正宗14歳。彼は仲間達と、その日もいつものように過ごしていた。すると窓から見える製鉄所が突然爆発し、空にひび割れができ、しばらくすると何事もなかったように元に戻った。しかし、元通りではなかった。この町から外に出る道は全て塞がれ、さらに時までも止まり、永遠の冬に閉じ込められてしまったのだった。

 

 町の住人たちは、「このまま何も変えなければいつか元に戻れる」と信じ、今の自分を忘れないように〈自分確認票〉の提出を義務とする。そこには、住所、氏名、年齢だけでなく、髪型、趣味、好きな人、嫌いな人までもが明記されていた。

 

 正宗は、将来の夢も捨て、恋する気持ちにも蓋をし、退屈な日常を過ごすようになる。ある日、自分確認票の〝嫌いな人〟の欄に書き込んでいる同級生の佐上睦実から、「退屈、根こそぎ吹っ飛んでっちゃうようなの、見せてあげようか?」と持ち掛けられる。

 

 正宗が連れて行かれたのは、製鉄所の内部にある立ち入り禁止の第五高炉。そこにいたのは、言葉も話せず、感情剥き出しの野生の狼のような謎の少女。この少女は、時の止まったこの世界でただ一人だけ成長し、特別な存在として、長い間閉じ込められていた。

 

 二人の少女とのこの出会いは、世界の均衡が崩れるはじまりだった。止められない恋の衝動が行き着く未来とは?

 

 舞台は架空の見伏(みふせ)という街で、そこの製鉄所が爆発事故を起こすわけですが、事故の後に時間が止まってしまうという設定からして、福島第一原発を念頭においているのは明らかでしょう。

 福島第一原発事故では、住民が避難し、街の時間が止まってしまうわけですが、本作では、住民たちが止まった時間の中を過ごすことになります。

 

 こうした中、いつか現実の世界とつながることができたならば、そのときにスムーズに復帰できるように、見伏では以前と「変わらないこと」が要請されています。

 ただし、中学生の正宗らにとっては、当然、それは退屈なわけで、彼らは気絶ごっこをしたりわざと危ない遊びをしたりして過ごしています。

 

 そして、中学生ということで溜まったエネルギーは恋愛にも向かうのですが、この恋愛の描き方にも『君の名は。』との違いが見られます。

 『君の名は。』では、最初の恋愛は瀧くん→奥寺先輩で、見ている側は多少瀧くんが失敗したとしても奥寺先輩が上手にかわしてくれるだろうと安心してみることができます。

 ところが、本作ではまったく意中にはなかったクラスメイトの園部→政宗という形で表出し、「痛さ」が前面に出てきます。当然ながら、中学生の正宗は園部の行為を上手にかわすこともできません。

 

 この「痛い/いたい」が本作のキーワードでもあります。

 恋愛というのは「痛い/いたい」という2つの気持ちの混合物であり、さらに本作では「痛み」とは「存在」につながるものです。

 この映画では、政宗とヒロインの睦実が互いを傷つけ合うような形に度々なりますが、その「痛み」こそが、時が止まった世界におけるリアルでもあるのです。

 

 さらに『君の名は。』との大きな違いは、本作に性愛の要素が導入されている点です。

 『君の名は。』ではラッキースケベ的な要素は取り入れられていたものの、性愛的な部分に関しては封印してありました。性愛的なシーンは見ている方を気まずくさせるものでもあるため、『君の名は。』ではきれいに排除されているのです。

 

 一方で、本作にはアニメでは珍しい非常に濃厚なキスシーンがあります。TVで放送されたりしたら気まずくなってしまうようなシーンをあえて入れているわけです。

 さらに映画のストーリーからすると、このキスは生殖に直結しており、世界の調和をゆるがすものになっています。

 

 本作には設定として強引だったりわかりにくいところがあり(劇中の世界の時間の進み方はどうなっているのか?(特定の日付が繰り返されているのか?)、買い物とかはどうやっているのか?、さらに主人公たちのいる世界と後半で垣間見える世界の間の関係はどうなっているのか?とか)、ストーリーの流れとしてはうまくいっていないところもあるのですが、脚本・監督の描きたかった情念はうまく表現できていると思います。

 

 本当は、タイトルにもなっている「アリスとテレス」から当然のように連想されるアリストテレスの「エネルゲイア」と「デュミナス」をまじえた考察もしたいところですが、このあたりで力尽きました。