中山康雄『共同性の現代哲学』読了

 今日は台所(とは言えないほどのワンルームのキッチン)を掃除。ピカピカになったのはいいけど、料理つくるとまた汚れちゃうんだよな。
 中山康雄の『共同性の現代哲学』を読み終わりましたが、個人から社会の成り立ちを説明しようとした無惨な失敗例という感じ。あとがきに、

 ルーマンは、オートポイエーシスという概念を中核にすえた社会システム理論を提案したが、「コミュニケーション」という概念を独特に変形・抽象化して展開する彼の思弁は、僕にとり受け入れがたいものだった・

という文があって、これについてはわからなくもないんだけど、それに代わって彼の打ち出す社会像というのは、あまりに単純で説明力のないものになっていると言う印象を受けます。
 例えば、この本では社会を構成する個人として「合理的行為者」というものを想定していて、その条件には「(g) 欲していた事態が生起したと思うなら、当初の欲求は消滅する」というようなものがあります。これは、ちょっとでも精神分析との考えを知っている人にとっては、とうていリアルな人間像とは言えないでしょう。
 また、最初から「志向性」が個人や社会を理解するためのポイントとして提示されるのですが、この「志向性」ってやつがなんにも説明していないに等しい概念でしょう。それほど厳密に考えているわけではありませんが、「志向性」とか「意図」といったことを基礎にしている考えって、あんまり意味がないと思う。
 中山康雄『共同性の現代哲学』


晩ご飯は牛肉コンソメシチュー