本田由紀・内藤朝雄・後藤和智『「ニート」って言うな!』読了

 本田由紀内藤朝雄後藤和智『「ニート」って言うな!』を読了。素直な感想としては、ここまで玄田有史をたたく必要はないのではないか?ということ。
 「ニート」なる概念の曖昧さや、「無気力なやつは何でもニート」的な言説は確かに問題ではありますが、それはそれを指摘すればすむことであって、別に「ニート」という言葉を否定するまでもないと思う。
 確かに第1章で本田由紀の指摘するように、問題はニートだけではなく、むしろフリーターなど働く意志はあるのに正社員になれない若者にあるというのはその通りだと思うし、ニートに対する「甘えるな」という言説が労働需要の問題を隠してしまうというのはその通りでしょう。
 ただ、「ニート」という言葉にもいくらか意味はあったと思うわけで、
(ア)単に親のスネをかじっているだけという「パラサイト・シングル」を過去の言葉にし,  若者の失業問題が重要であることを認識させた。 
(イ)一度学校教育から外れると、公的支援からこぼれ落ちてしまう若者にラベルを付け、政  策対象として認識させた。
 あたりは玄田有史の「ニート」論の功績ではないかと思います。本田由紀職業高校案とかは将来的な課題としては確かに魅力的だけど、(イ)の問題を考えると,「今」の問題に対する解決策としては疑問が残る。特に日本の学校が同年齢による閉鎖集団となっていることを考えると、すでに高校を卒業を卒業してしまった人に対しては意味がないでしょう。
 内藤朝雄の第2章は,基本的な論旨はうなずけるものもあるけど,議論が粗雑。道徳主義を批判しなきゃいけないのに、少年犯罪について「(被害者の)人権がたかが教育ごときの格下に成り下がってしまい」(152〜153p)などと義憤にかられて書いてしまってる(加害者の少年を罰すれば被害者の人権が尊重されるなんてふうに考えるのは道徳主義以外の何ものでもないと思う)。また、「生のスタイルを自由に選べる人間は、高貴さや美や愛やきずなの質に関して贅沢になり、自己の尊厳の感覚が染みつき、完成度の低いものをますます愛さなくなります。こうして人間世界と人格は多元的に洗練されていきます。」(211p)などという記述は、人々の生に階層を持ち込むような考えで、結局内藤朝雄は裏返しの道徳主義者なんだった思ってしまう。
 第3章の後藤和智の「ニート」言説のチェックはそれなりに面白いけど(特に週刊誌の論調のチェック)、取り上げていない鈴木謙介の「親子のたかりあい」論とかはけっこう面白いと思うんですけどね。

晩ご飯は寄せ鍋