ワールドカップは予選の主立った所を見て、一番良いのはチェコ。決して弱いチームではないアメリカを相手に3ー0の圧勝。ネドベド、ロシツキー、ポボルスキー、ガラセクといった面々で構成される中盤は「素晴らしい!」の一言につきる。
コレルが故障したのは痛すぎるけど、バロシュが復帰すれば相当いい所までいけるかも。
そんなワールフドカップ漬けの中で、「新しい太陽の書」シリーズの最終巻・ジーン・ウルフ『独裁者の城塞』を読了。
(第1巻『拷問者の影』についてはhttp://d.hatena.ne.jp/morningrain/20060504#p1を、第2巻『調停者の鉤爪』についてはhttp://d.hatena.ne.jp/morningrain/20060514、第3巻『警士の剣』はhttp://d.hatena.ne.jp/morningrain/20060528を参照)
長編ファンタジーもいよいよ完結したわけですが、物語は一気に核心に近づくわけではなくて、その前に、<十七人組>と呼ばれる指導者の認めたスローガンしかしゃべらないアスキア人という民族(?)が現れて、そのアスキア人をめぐる話が圧倒的に面白い。
アスキア人がしゃべる言葉というのは、「すべての努力は、その人が<正しい思想>に従う程度応じて、うまくも導かれるし、まずくも導かれるのだ」とか「民衆の意志を行う者は友人だ」とか「木の根は民衆だ。葉は落ちる。だが、木は残る」とか、どっかの社会主義の国のスローガン集みたいなもので、このスローガンによって語られる物語というのがまたすごいアイディア。
アスキア人は決まりきった文句しかしゃべらないわけですが、その決まりきった文句の使われ方を解釈してやることによって物語が語られるのです。例えば、「苦しい仕事をする者にきれいな水を与えよ。温かい食べ物と清潔な寝床を与えよ」が<彼は旅に疲れ、腹を空かせて農場に戻ってきました>となり、「親切であるよりも、公正であるほうがよい。しかし、良い判事だけが公正である。公正でありえない人々は親切であれ」が<首都で、彼は乞食をして暮らしました>となるのです。
このあたりはデイヴィドソンの「寛容の原理」とかを思い出させるようなコミュニケーションで、ほんとに奥が深いです。
そのあと、物語はウールスの秘密が徐々に明らかになり独裁者の正体という者も明らかになってくるのですが、最終的に読み終えて思うのは、このシリーズの秘密がウールスの秘密というよりは、むしろ時間を複雑に組み替えた部分にある点。
最後の最後で第1巻でのドルカスをめぐる謎めいた言葉の秘密なども明かされ、このシリーズの時間の流れ方の特殊性というものが改めて感じられます。
アギアがなんであんなにすごいのか?とか大長編ならではのちょっと苦しい部分もなくはないんですけど、やっぱりウルフならではのひねりにひねった物語だったですね。
晩ご飯は餃子とトマト