郵便局員はエリートか?

 ロナルド・ドーアの『誰のための会社にするか』(岩波新書)を読んだんだけど、その最後のほうに次のような部分がある。

 そしてエリートと一般庶民とのギャップが拡大していく日本である。エリートが経済合理性と称して推進した郵政民営化を、二〇〇五年の選挙で支持した有権者の中に,地方の郵便局の人員採用の時、応募倍率三〇〇人の競争で落ちて郵便局への単純な反感を抱いたフリーターたちが多かったという説も、その端的な象徴である。(231p)

 ドーアは今までの日本の準協同的な会社システムを破壊し、株主至上主義的な制度を導入しようとする「エリート」たちを批判する文脈の中で、一般庶民がエリートのせられて行くというこの皮肉な現象(というより、ありそうな皮肉)を持ち出しているわけですが、これが実はもう皮肉でもなんでもないんじゃないかというのが個人的な印象。
 今の就職難で正社員にありつけなかったフリーターとかニートとかの層にとっては、郵便局員とかがもっとも見えやすい「エリート」なんではないかと。
 不況にも関わらず,労働組合がほとんど支持を受けないのも,結局労働組合がエリートの互助組織にしか見えないからだと思うし、自民党中川秀直とかが公務員の削減に力を入れてるのも、1種とか2種とか国家とか地方に関わらず「公務員はエリート」というイメージがある中で、「公務員減らし」こそ若者層に受ける政策であるってことを、郵政民営化騒ぎとかで感じたからじゃないかな?
 もちろん,一般の公務員よりも自民党の国会議員のほうがエリートじゃないか、というのが普通と言えば普通の認識のはずですが、2チャンネルとかを見ていると、一部では「地方公務員>国会議員」のような「ねじれたエリート観」みたいのが成り立っているような気がするんですよね。
 
 そして、このバブル崩壊後の「ねじれ」みたいものは大きなもので、「左翼、リベラル、保守のセット」対「右翼、ネオリベ、革新のセット」という感じの今までの政治の配置図とはまったく違う地図を描き出してると思うわけです。

 ちなみにドーアはこの本で、アメリカ流の株主至上主義ではなく従業員、地域、顧客、取引先などのステークスホルダーのことを考えた会社を目指すべきだと言っているのですが、この点でも、従業員になれなかったフリーターやニートの層にとっては、異常な倍率とコネで決まる正社員の生活を守るよりも株式市場のほうがまだ「公正」だという認識があるのではないでしょうか。(なんといっても株式市場にはジェイコム株で20億円儲けた「英雄」がいましたしね)

 ただ、こういったねじれは結局は景気回復によって解消されて行くのかもしれません。ここ最近の就職市場の売り手市場ぶりを考えると、正社員の地位というのはそれほど「エリート」的なものでなくなり、公務員とかの地位だってそれほどねたまれるようなものでもなくなるでしょう。
 出生数だって、景気の回復とともに6年ぶりに回復してきたようですし、「若者の右傾化」とかだって景気回復ともに勢いを失うかもしれません(でも、不景気時に左翼に対する支持がまったく集まらないってのはほんとは変なんですけどね)。

誰のための会社にするか
ロナルド ドーア Ronald Dore
4004310253


晩ご飯は牛肉と舞茸のガーリック炒めとキュウリ