一応、リサーチリテラシーを

 修理に出したiPodが早くも新品になってご帰還。土曜に宅配便に渡して、月曜にAppleに到着、火曜に新しいの発送、今日到着という流れで、なんかあっさり。
 でも、早く帰ってきて、しかも新品になちゃってほんとによかった!

 最近、いじめのニュースを聞かない日はないというくらい取り上げられていますが、そんな中での次のような記事。

http://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/061205/gkk061205000.htm

いじめ「クラスの空気」反映 学級崩壊時、5倍に

 いじめの発生は学級の雰囲気に左右され、児童生徒が学校生活への不満を感じるクラスで特定の子供をはけ口にする傾向が強いことが5日、都留文科大学山梨県)の河村茂雄教授(心理学)の調査研究で明らかになった。中学では学級崩壊の兆候が見え始めると、いじめの発生は約5倍に跳ね上がる。河村教授は「いじめは被害者と加害者という二者関係でなく、学級という集団の問題としてとらえ、対処することが重要」と指摘している。

 河村教授は平成7年度以降、約10万人の児童生徒を対象に心理テストを行い、学級でのトラブルの大小や児童生徒の意欲の高さなどから、学級の状態を(1)子供同士の人間関係が良く学級運営も正常な「満足型」(2)教師が統率するタイプの「管理型」(3)教師とも友達感覚が漂うタイプの「なれ合い型」−などに分類した。これまでの研究では、「管理型」は小学校で24%、中学校では58%、「なれあい型」は小学校で45%、中学校で16%を占める。

 このうち16年度から2年間にわたり、約1万人を対象にいじめについて調べた結果、小学生では「長い間いじめられている」「とてもつらい」と答えた児童が40人学級で1人の割合となる3.6%を占めた。中学生は2%で、8割の学級でいじめを訴えていた。

 いじめと学級状態との関係では、「満足型」の学級でのいじめ発生割合を1とした場合、「管理型」は小学校で2.5倍、中学校で1.6倍。

「なれあい型」では小学校3.6倍、中学は2.1倍で、学級崩壊の兆候が見え始めると、中学では5.1倍に急増した。

 学級内のストレスの要因をみると、全般的には「授業がわからない。興味が持てない」が多く、「管理型」ではそれに加えて、「教師が威圧的。特定の子供だけが認められている」「授業や学級生活がワンパターン。判で押した生活で刺激に乏しい」といった不満があった。

 「なれあい型」にみられるストレスには、「子供同士の陰口が多い」「ルールが守られていない」「学級に親しみが感じられない」が並んだ。

 いじめと感じている児童生徒に「誰からいじめられたか」をたずねたところ、小学生の50%弱、中学生の30%弱が「同じクラスのいろいろな人」と回答。いじめられている子供は集団生活のなかで、みんなの不満のはけ口にされている構図が浮き彫りとなった。

 河村教授は今回の調査結果について、「いじめ問題は、加害者対被害者という二者関係でとらえられがちだが、被害者はみんなから『いじめられた』と感じている。学級でいじめは埋没して見えにくく、表面化しても周囲が自覚に乏しいのはこのためだろう。特に『なれあい型』では、実際には子供が傷ついているのに、教師が見逃したり、軽い気持ちで加担したりする危険がある」と指摘している。
(2006/12/05 23:58)

 一昔前の管理教育批判に対して、今度はいわゆる「友だち教師」批判が飛び出してきたのはこのあとで紹介する自民党の中川幹事長のブログの次のような部分と突き合わせると、これから教育改革の方向性が見えてきそうな記事です。

 しかし!その前にこの調査の選択肢は何なんだ?
 (1)子供同士の人間関係が良く学級運営も正常な「満足型」っていじめがないようなクラスってことじゃん。こんなクラスに比べて「なれ合い型」のクラスでいじめが多いのって当たり前じゃん。
 マトモな選択肢である管理型となれ合い型の比較をしなきゃ意味がないと思うんですけど…。

 
 ちなみに中川幹事長の言っていることの一部を引用すると。
http://www.nakagawahidenao.jp/pc/modules/wordpress0/index.php?p=372

 いじめが犯罪行為の総称である以上、校長先生の全校集会の道徳的訓話をするだけでなくなるとは、私には思えない。大人社会同様、学校における犯罪に対して、「徳治」だけでは限界であることを直視すべきではないか。その現実を受け入れなければ、いじめを根絶することはできないのではないか。

 私は、いじめられたことを理由とする転校は、命を守るための緊急策としてはいいと思うが、基本的には、善良な生徒がその学校で教育を受ける権利を大事にすべきだと思う。いじめの原因をつくる問題児こそ、義務教育では問題児を集める教育施設へ転校させるか、義務教育以後では退学処分を科すべきであると考える。

 すでに70年代から学級崩壊が深刻化していた米国で、劇的な改善効果があったのが、罰則に違反した場合は厳密に処分を行う「ゼロトレランス方式」だったといわれる。94年に連邦議会が各州に同方式の法案化を義務付けた。この「ゼロトレランス」方式は日本でも学校毎に導入可能というのが文科省の立場であるが、今回、改めて、教育再生会議で議論されたことは喜ばしいことだ。

 米国では、「ゼロトレランス方式」は、規則に違反した場合は例外なく厳密に罰を与えることで生徒の規範意識を高め、規則そのものや教師に対し尊敬の念を持たせ、ひいては国家や伝統に対する敬意や勧善懲悪の教えを学ばせる効果があったという。

 「ゼロトレランス」方式の全面的導入は日本ではできないのかもしれないが、親子に次のような選択肢が与えられるべきだろう。

 規律を重視し、いじめ被害者の人権と安心して教育を受けられる環境を守ることを第一に考える学校と、訓話を重視し、いじめ加害者の人権と教育環境優先の学校だ。これは保守派とリベラル派の価値観の根本的な問題だと思う。もちろん、両方重視するところがあってもかまわないが、親子にリベラル派の学校を拒否する自由、保守派の学校を選択する自由を与えるべきだ。

 なお、草刈議長が指摘した問題教師といじめとの関係についていえば、先のいじめ自殺事件でいじめの原因が、教師自らが多数の生徒にとりいるために特定の弱い生徒をいじめていたことがあったことを忘れてはならない。こうした問題教師の存在が明らかになって時間も経過しているが、こうした問題教師を文科省はどう排除するのか。精神的理由で教壇に立てないために、生涯、「研修」を続け、税金から給与をもらい続ける数千人の教師群の1人に加えるのか。転校させて何もなかったかのように授業に立たせるのか。

 この問題教師1人の問題ではない。全国に予備軍が大勢いる。11月24日の東京新聞によると、河村茂雄・都留文科大学教授の調査では、教師が教え子たちに友達感覚で接する「馴れ合い型」の学級でいじめが生まれやすいとのことだ。こうした学級では教師が子供に引きずられ、いじめに加担する恐れもあるという。

 教師が学級の取りまとめを頼りにする子供やとりまきが特定の子供をいじめの標的にして、学級全体が同調した場合、教師が止めるのは困難で、助長や加担の恐れもあるという。

 「ゼロトレランス方式」「問題教師の排除」を批判する方は、今もいじめの苦痛に耐えている親子を救える対案を、至急出して欲しい。

 考え方としてはちょっと前の「プロ教師の会」とかの考え方に近いような気がするけど、どうだろう?
 彼の考え方の特徴は単なる保守というよりも、徳治の不可能制を指摘している点で、「規律を重視し、いじめ被害者の人権と安心して教育を受けられる環境を守ることを第一に考える学校と、訓話を重視し、いじめ加害者の人権と教育環境優先の学校だ。」っていうのはけっこうすごい言い方だと思う。

晩ご飯はおでん