『バベル』

 今日は映画の日ということで『クイーン』を見に行くつもりだったんだけど、新宿武蔵野館に行ったら30分前で次の会どころかその次の会まで満席。毎度思うけど、なんで配給会社は客来そうな映画に大きな映画館が用意できないのかね?

 で、これも見たかった『バベル』を代わりに見てきました。監督は『21g』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。『21g』と同じくいくつかのストーリーが複雑に絡み合った話になっています。
 しかも、時間軸がまた微妙にずれている。映画は、銃の試し撃ちでアメリカ人観光客に怪我ををさせてしまったモロッコの羊飼いの少年とその家族、撃たれたアメリカ人夫婦(この旦那がブラッド・ピット)、そのアメリカ人夫婦の子供を預かるメキシコ人のベビーシッター、そして菊池凛子演じる日本人の聾唖の女子校生の4つのパートによって進むのですが、完全に同じ時間軸でエピソードが並べられているのではなく、ブラッド・ピットのシーンが一番時間の進みが遅く、ついで羊飼いの少年、そして日本篇、メキシコ篇(メキシコのシーンと日本のシーンのどちらの時間軸が遅いのかははっきりしませんが、メキシコ篇のほうが遅いのかな?)という形になっています。
 監督は一つの事件とかかわる4つの家族を描くことで、先進国と途上国の間の断絶や家族の間の断絶、そして言葉をしゃべれる者と耳が聞こえない者の断絶といったコミュニケーションの断絶という重いテーマを描こうとしていて、そのあたりはうまく描けています。
 例えば、ともに家族の話をし理解し合えたと思わせながら、最後にはモロッコ人のガイドに金を渡そうとするブラッド・ピットの姿や、アドリアナ・バラザ演じるメキシコ人ベビーシッターの結末などには、豊かな国に住む者と貧しい国に住む者の埋めがたい差を感じさせます。
 ただ、そんな中で日本篇がやや浮いている感じがします。菊池凛子は存在感があるのですが、ちょっと空回りしている印象(脚本の面で)もありますし、役所広司の関わりもすこし弱い。本当は、この日本篇を映画全体をまとめるようなエピソードにすることができたら完璧だったのでしょうけど、それには失敗していると思います。最後の菊池凛子のメッセージも明らかにならないままに終わってしまいますし、映画の完成度という点では少し足りない面もあると思います。

晩ご飯は茄子とピーマンと豚肉の炒め物とトマト