『ブリッジ』

 今日は水曜で、仕事もないということで、水曜なら男女問わず1000円の恵比寿ガーデンシネマジェンダーフリー!)に、デヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』を見に行った!
 
 が…、 来週からだったー!ばかだー!

 久々に大バカをしてしまいましたが、このまま帰るのもなんなんで、『ブリッジ』で言う映画見てきた。
 ブリッジってのはサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジのことを指していて、アメリカで一番の自殺の名所。それで、そこに1年間カメラを据え付けて、自殺する人とその周囲の人を取材したドキュメンタリーがこの映画。
 実際、何人かのまさに飛び降り自殺の瞬間が写っていて、その映像はかなりショッキングです…。
 
 自殺をしようか逡巡しながらゴールデンゲートブリッジをうろうろするジーンという男の様子をカメラで追いながら、そのジーンも含めた複数の自殺者の周囲の人間のインタビューをつなぐ形で映画は進んで行くんだけど、最初はややごちゃごちゃしてわかりにくいし、いまいち監督のやりたいこともわからない。
 だいたい、こういう映画をつくる事自体の倫理的問題ってのもあって、この映画を見始めた時も、ハゲワシと少女の写真でピューリッツア賞を受賞しながら、「なぜ助けなかった」と批判されのちに自殺したカメラマンのケビン・カーターの話を思い出したりしたんですが(映画のスタッフは自殺者が橋の欄干を越えたら通報するというルールをつくり、実際にそれで助かった人もいるようです)、けれども、この映画は途中でまさにそのものズバリのシーンが出てくる。

 映画のスタッフとは関係のないカメラマンが写真を撮っていると、若い女性が欄干を越え橋のはじに腰掛ける、カメラマンは当然それに気付くんですが、助けようとしないでその女性の写真を撮ります。その後、気付いたように女性を助けるのですが、彼は「『映像モード』に入っていて、目の前の自殺が現実的な行為とは思えなかった」と言います。
 これはたぶんこの映画のスタッフにもあったのではないでしょうか?
 橋の上を歩く人を「自殺者ではないか?」と思いながら、その人をカメラで追いつづける。ファインダー越しに見ることで、現実の人間は観察の対象に変質してしまっているようです。


 監督のエリック・スティールは、自殺が残されたものにどんな影響を与えるのか?2週間に一人が自殺すると言われるこのゴールデンゲートブリッジの一つ一つの自殺の持つ意味は何か?といったことを撮りたかったのでしょうけど、上記のようなことを考えずに入られませんでしたね。


晩ご飯は餃子とキュウイ